gezellig

日記など。

日記20150707

月曜から火曜にかけての寝起きが一番すっきりしている気がする。たいていの場合、日曜の夜は明日会社行きたくない明日会社行きたくない明日会社行きたくないと唱えながら夜更かししていることが多いし、月曜は朝早くから社内で会議が入っていることが多くて睡眠時間が著しく削られてしまうからだ。月曜の夜は疲れるので早く眠る。結果として、火曜の朝はよく眠れたなと感じることが多くなる。8時すぎくらいに目覚めて、なんだかんだで30分くらいはベッドの上でグダグダとよく寝たなーでも今日も働きたくねえなーと思いながら過ごす。シャワーを浴びてスーツを着てコンビニで売ってるマウントレーニア?の安っぽくて甘ったるい「エスプレッソ」(当然それはエスプレッソなどと呼べる代物ではない)を飲みながら家を出る。電車を乗り継いで客先へ向かい、10時前に商談に同行する他部署の人と合流し、客先へ入る。この人と一緒に客先へ行くのは初めてだ。自分一人で説明できないところのサポートを頼んだつもりだったけれど、その人のパフォーマンスが低すぎて驚愕した、というか終始イライラしながら訪問を終えた。一人で行ったほうがよかったかなとか思いながら、せめてもの仕事はしてほしいので諸々の確認事項の確認をお願いして、次の訪問先の近くまで向かう。社歴で言うと僕のほうがかなり下なんだけど、すんません。昼前だけど次の訪問の前までにメールを返したり、話さないといけない内容を頭に詰めたりする作業が残っていたので、豚骨ラーメンってあんま好きじゃないんだよなと思いつつも、もうすぐ12時だったので12時になると昼休みの人々が押し寄せるだろうなと思い、目に入ったラーメン屋に入り、ソッコーでまずいラーメンを掻き込む。まずい。特に麺が。うまい麺って言われてもよくわからないけど、まずい麺はすぐにわかるから不思議だ。終わったら客先のビルの1階にあるカフェでアイスコーヒーを頼んで、メールチェックしてから集中して資料を読み込む。Windows RTというクソOSを積んだSurface 2を仕事で使っているんだけど、まぁメールチェックくらいならとても快適。思い会社PCを持ち運ぶくらいならこれの方が何倍もいいや。そういえばアイスコーヒーってめちゃくちゃ嫌いなんだけど夏は暑いので飲まざるをえないのが不快だ。朝からここまで、嫌なものしか口にしていない。待ち合わせ時間直前、強烈な尿意。ダッシュでトイレを探して、待ち合わせ時間に焼く45秒ほど遅れて到着。今回の訪問は自分の担当企業ではないものの、一個上の女の先輩から僕の得意分野について話してほしいと頼まれたので来た。まぁいっか、そこそこ好みの外見の人だし、上司も来るし、と思って引き受けた仕事だ。訪問は大成功。久しぶりに、俺よくやったなーと感じた。3人で歩いて駅に向かい、僕は会社へ。電車の中で上司と話す。こういうときの雑談は思いもよらぬお得情報があるから貴重だ。会社の最寄り駅まで来たんだけど、ギブ。めっちゃ疲れたのでカフェで休憩する。よくわかんないタピオカが入ったドリンクを注文した。仕事しようかと思ったけど、逆に短時間で集中して休もうと思い、Youtubeで動画を見ることにした。2006年W杯のジダンの活躍に思いを馳せる。思うに、あれだけ傑出した個人のパフォーマンスが発揮されたのは、コレクティブな戦いを志向するチームが勝ち上がった2010年、2014年では当然なかったし、それより前だとマラドーナの時代に遡らないといけないのではないか。当時、リアルタイムで見ていて、本当にフットボールに魔法をかけたようなジダンのプレーに、本当に興奮したのを覚えている。のろのろと歩いて会社に戻り、電話だったりメールだったりであっという間に時間が過ぎていく。後輩と打ち合わせをする。そういえば自分の中で後輩に何かを教えるということに時間を使うことが増えてきて、そういえば会社入ってから数年経つもんなーと思った。色々やってたら20時。同じチームの、入社10年にもなる先輩が、別のオフィスでの打ち合わせから戻ってくる。この人、ほんと働き過ぎだし、ふつーにこういう時間にオフィスに戻ってくるのって後輩に悪影響だと思うんだよな。PC持ち運んでるし、外でやればいいのにと思いつつ、まぁでも尊敬は尊敬だ。そういう働き方もある。諸々の仕事を片付け、そしてその他大量の仕事を放置し、疲れたので会社を出る。そろそろ、次にどういうものを目指していくのかを考えないとなーとぼんやりと考えつつ、電車に乗る。途中、大好きなうどん屋でいつものちくわと鶏天がついたぶっかけうどんを食べる。うまいけど、別に食べたい気分じゃなかったなと思って後悔する。今日は食事のチョイスがよくなかった。豊かな生活の根本は良い食事だ。反省。バスに乗って家に帰る。疲れたなと思ったのでコンビニでビールを買う。七夕だけど星なんてぜんぜん見えないなと思う。帰ったらとりあえずスーツを脱いでハンガーにかけ、シャワーを浴びる。何しようか迷った末に、日記を書くことにする。せっかくシャワーを浴びたのに汗がとまらない。まぁいっか、明日の朝もまたシャワー浴びるし。たばこが吸いたいと思うけどそもそもたばこは吸わない主義なので吸わない。水タバコとかほしいなーと思う。買ったら数回で飽きそうだけど。普通の一日だった。明日は朝が早い。また今日も、明日の朝も、仕事したくねえなーと思う。でも、客観的に見ればけっこうバリバリに難易度高い仕事やってるし、なんか自分が何したいのかよくわからん。きっとこんな感じが一生続いていくんだろうな。そのくらいがちょうどいいんだろうな。

日記20150704

今日は休日だけど会社に行って少しだけ仕事をした。昨日は夕方から全社でのイベントがあって早めに仕事を切り上げた人が多かったので今日はその分会社まで来てる人が多いかなと思っていたけど全然そんなことなくて僕ともう一人くらいしかいなかった。特段仲が良い人でもなかったので部屋に入ったときと帰るときに「お疲れ様です」と言っただけだ。今日はこれと、玄関までやってきたモルモン教徒の誠実そうな男の人に対してすこし申し訳ないなと思いつつも「今少し忙しいので」と言ったのと、クロネコヤマトの人に対して「はい」と言ったのと、日高屋でダブル餃子定食を注文するとき以外には、言葉を発していない気がする。今日はいつもよりいろいろなことを考えたなと思う日ほど実際に声に出している言葉の数は少なかったりするので、たぶん僕がひとりで考えることなんてこれっぽっちも社会的意味を持たないものなのだろうなということを強く感じる。でもそういう日ほど、こうやってキーボードをたたいてネット上に文字を打ち込む時間は増えていたりして、健全な人なら不健全と表現するのだろうなというような一日を過ごしていたりする。僕はどちらかというと比較的小さな頃からこうやってアルファベットや数字やよくわからない記号が印字されたボタンをひたすらに押し続けてきた人間で、古き良きインターネットの黎明期の最後のひとときを、かろうじて見てきた人間だ。2ちゃんねるはもっとずっと殺伐としていたしまとめサイトなんてものはなかった。誰に向けるでもないエモーショナルな文章がネット上にあふれていた時代だった。携帯電話は持っていなかったしスカイプなんていう便利なものもなかった(あるにはあったがそんなに普及していなかった)ので親のPCでメールアカウントを作ってもらってそれで友達とメールした。今思うと頭がおかしいけれど親のPCで必死に文面を考えてそれをキーボードに打ち込んで女の子に告白したことだってあった。あの頃はブラクラなんてものがあって一度うっかりクリックしてしまって焦ったものだ。兄はインストールしたフリーのゲームからPCをウイルス感染させて怒られていた。そのときから使っていたso-netのメールアドレスは大学時代まで使い続けたけれど、何かの拍子にログインできなくなってしまって、それ以降はGmailを使っている。いつか、どこかで、ふいにログインできたらきっと1ヶ月くらいかけても読みきれないくらいの大量のメールが届いていて、その大半は無価値なメルマガだったり今この瞬間の僕にはなんの意味も持たない大学やサークルに関わるメールだったりするんだろうなと思うけれど、もしかしたらだれか大切な人からの知らせが届いていたりするのかもしれないなと思うと、ちょっとごめんって思う。いつのまにか何もかもがそれとは気づかないうちに変わっていってしまうなと思う。数カ月ぶりに郵便受けを開けて中を見たら自分に有益な情報なんてひとつもなかった。昔は郵便受けは3日に一回くらいは、その頻度で律儀と言えるのかどうかはよくわからないけれどそれでも僕なりに律儀にどんな手紙やチラシが来ているのか確認をしていたけれど、最近はそういうことをぜんぜんしなくなった。当時から、家に帰ってくるたびに毎回郵便受けを確認する彼女のことをなんでそんなきっちりできるんだろうと不思議に思っていたけれど、年をとるにつれて自分がだんだん適当な人間になっていっているような気がしてくる。人間、そう簡単には変わらないというけれどそれはみんな人間がそう簡単に変わらない姿を見たいと思っているからであって、実際はけっこうな部分が変わっていっているのだろうなと思う。あ、でもこの文章を書きながら唐辛子をかじったらめちゃくちゃ辛くて悶絶しているんだけど、小学校のころ母親と一緒に行った近所のいい感じのイタリア料理屋でパスタについてた唐辛子をかじってその後数時間ダウンしていたのを思い出した。なんだ、あんまり変わってないじゃん、俺。そのほかに今日書き留めておくべきことといえば、朝食がコーヒーとヨーグルトだったこと、油断していたらゴミ回収車が来てしまってゴミを出せなかったこと、ゲームをしたこと、昼ごはんにとても久しぶりにカップ焼きそばを食べたこと、シャワーを浴びながら歌を歌ったこと、HEROの初期の再放送を見たこと、会社に行くとちゅうに知り合いに偶然あったこと、新橋に行くかどうか迷ってけっきょく行かないで家に帰ったこと、コンビニで飲み物を選んでいる途中に考えごとをしてしまってその場にたぶん3分くらい立ちすくんでしまったこと、キャベツをいろいろなものに着けたつまみを作ったこと、キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンを観たこと、応援しているサッカーチームの試合を見ていること。いつかもっとちゃんとした大人になりたいと思っていること。そういうことを考えて胸がいっぱいになっているということ。

good night

最近は忙しい日が続いていて、帰宅する頃には日付が変わってしまっているということも多くなっている。

 

日付が変わる瞬間はいつもどこかにドラマがあるような気がしてくる。23時50分のラーメン屋、目の前のやたらと味の濃い深夜にはそぐわない食べ物の入った丼を、なんとか10分以内に片付けようと意気込んだ。すでに多くの店が閉まり、静寂が訪れつつある商店街の道には、日を跨ぐ前に家に辿り着こうと、心なしか早足で家路を急ぐ人たちが、ぽつりぽつりと眼に入る。

 

家に帰ってからのこのくらいの時間は不思議な魔力があるような気がする。まだ起きていてもいいような気がするけれど、ぼんやりとしていたらいつのまにか睡眠時間が足りなくなる時間まで起きていてしまう。一日の疲れがそうさせるのか、ほんとうにゆったりと時間が流れることもあれば、神様がズルをして時計の針を一気に前に進めたんじゃないかって思うくらい、あっというまに時間が過ぎてしまうこともある。7、8時間もすれば、また自分はスーツをまとって出かけているんだと思うと、その7,8時間は果てしなく長い時間のようにも感じられることもあるし、逆に時間の流れの儚さを感じることもある。太古からの悠久の時の流れと、今自分が生きている小さな世界でせわしなく過ぎていく日々のコントラストを感じると、なんだかこんなことやってる場合じゃないなんていう気持ちになったりもするけれど、結局のところ人間の生なんてものはこのうえなくちっぽけなもので、僕が個体としていくら充実した人生を過ごそうが、あるいは乾燥した味気ない人生を過ごそうが、人類という種の保全という観点から見たら何の意味もないことなのだ、とニヒルな気持ちになることが多い。しかし僕はそんな客観性をもった事実を無条件に受け入れられるほど大人ではないので、変えようのない真実に必死で抵抗しようと、うんうんと思考を巡らせ、なんとか自分の生に意味があるかのように思い込もうとしている。

 

 

 

そんな夜を、最近はずっと過ごしているような気がする。そんなたいそうなことではないかもしれないけれど。

 

 

朝が来れば、また一日が始まる。大きなものから小さなものまで、誰かに対しても、自分に対しても、また嘘をたくさんつきながら、一日を終え、疲れた身体で家に帰ってきて、ああでもない、こうでもないと考えながら、いつのまにか瞼が重くなっていくのだろう。

 

 

「誰も近づくことのできないほど奥深い森の中で倒れる木は、音を立てるのだろうか」

 

不思議なことに、というのもはばかられるくらいよくある話だけれど、知らない人ばかりの都会で人の波に飲み込まれていると、人は孤独を感じるものだ。これだけの人々に囲まれながら暮らしていても、その中に自分のことを知っている人なんてほとんどいない。静寂の深淵の中で倒れようとする木が音を立てるかどうかはわからないけれど、もし、音を立てていたとしても、それにどれだけの意味があるだろうか。もし、僕が絶対的な孤独のなかで何かを感じ、考えたとしても、それに何か意味があるだろうか。

 

 

『荒野へ』で描かれたクリストファー・マッカンドレスは、アラスカの厳しい自然の中にたったひとりで身を置こうとした。人を寄せ付けない、奥深い森。ひとりの若者が対峙するにはあまりにも偉大な自然の驚異の中で、食べるものすら満足に得ることができず、天国へつながっているかのような透き通る青空の下で彼は静かに死んでいく。彼が死の淵で導き出した結論は、"Happiness only real when shared"というものだ。

 

 

分かち合うことができなければ、いかなる感情も真実とはなりえない。ならば、自分が日々の生活で感じる幸せや、苛立ちや、疲労感や孤独は、真実たりえないのだろうか。一人で家に帰り、夜遅くまで一人で考え事をしているとき、ふと、今自分が考えていることに何の意味があるのだろうと思う。何かを口に出し誰かと共有しなければ感情は本物とならないのだとしたら、日々、自分の中だけで、まるで奥深い森の中で倒れる木のように、死んでいく感情がどれだけあるだろうか。自分の考えていることや、感じた感情を、記録しなければと思う。しかし、それが他人向けになったところで、出てくるのは取り繕った偽物の言葉ばかりだ。本当の感情はどこにいってしまったのだろうか。本当の感情などというものはあるのだろうか。自分が今現実だと思っている物事は、実は誰かが見せている夢なのではないだろうか。すべてが無意味に思える瞬間は確かにあって、そうなってしまったときの建設的な解決策を僕はまだ知らない。時間が流れ、心が温かみをもってものごとを受け止めることができるようになるのを待つことしかできない。そのとき心の中には激しく揺れ動く思いがあるはずだが、たいていのことは忘れてしまう。忘却され、死んでいく感情たちにせめてもの居場所を与えてあげたいと思い、文章を書くけれど、書けば書くほど、自分が日々何を感じながら生きているのかわからなくなるし、表現したいものごとと、表現できる自分の力のギャップは年々大きくなっていく。

 

 

 

嘘をつくことになれてしまったね。なにかを隠すことになれてしまったね。そこには豊かで、穏やかな日々があるかもれないけれど、どこかに隠して忘れてしまった思いたちが、いつかその存在を証明し、居場所を求めるために暗い森の墓場から這い出して来るのではないだろうかと思うことがある。いつ、その瞬間がやってくるのかはわからないけれど、少なくとも今の生活をいつまでも続けることはできないだろうなと思う。そう考えたところで、今の自分には、今の生活を、ひとまず進めていくことしかできないということもわかってはいるけれど。

 

 

嫌な季節になった。梅雨の東京はどこまでも不快で、けれど人々は夏を待ち焦がれながら、なんともないような顔で毎日電車に乗っていて、それが余計に不快に感じられる。分厚い雨雲が静かに流れる空の下で、雨に濡れた道路は疲れた人々の姿を曖昧に映す。唯一、あじさいだけが灰色の世界に彩りを与えている。

 

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できれば、雨に濡れた姿を撮ってあげたかったな、と思う。つかの間の晴れ間に、その色が褪せてしまわないようにと願いがら、シャッターを切った。

 

 

北へ

春が去って梅雨に入る、このとてもとても短い初夏の夜に、肌を撫でた風はひんやりとして心地よく、あまりの心地よさに理由もなくふっと涙が出そうになった。地球は実はずっと回り続けていて、こうやってたえず風を運んでいるんだ。ビルだらけの東京ではそんなことをなかなか感じられないけど、雨が降ったり風が吹いたりすると、ときどきそんなことを思って途方もない気分になる。

 

 

また悪いことをしてしまった。燃えるゴミにプラスチックを混ぜてしまった。電気をつけたまま寝てしまった。仕事のミスをバレないように隠した。電車から出るときに人をわざと乱暴に押しのけた。

 

 

 

人はいつのまにやら心に淀みをためていくものらしい。ふとした瞬間に、自分がとても嫌な人間になっているのではないかと不安になることがある。そして、その不安は、たいていの場合現実だ。疲れていることを理由にして、あたりまえにすべきことをせずに日々を過ごしてしまう。仕事に打ち込んでいるとき、目標に向かって突っ走っているとき、それはそれで大切なことだけれど、それよりももっと大切で、忘れてはならないことを忘れてしまうことがある。そんなふうに、おそらく世の中の多くの人と同じように、なってしまう自分が悲しかったりする。自分は天才でもスーパーマンでもなければ善良な人格者でもない。自分は単なる凡人で、ずるくて、最悪だ。

 

 

そしてまた一日が始まり、今日も英子は都内某駅から、世界中の人が幸せになれるように願い、自分だけはみんなよりさらにちょっとだけ…幸せであるようにと願うのでした。

 

浅野いにお『超妄想A子の日常と憂鬱』

 

 

 

 

休み明けの怒涛の日々ですっかり忘れかけていたけれど、ゴールデンウィークは久しぶりに海外へ行った。遠い遠い北欧の国。昔、その国で暮らせたらなと思っていたことを思い出した。少し前、僕はその国から飛行機で2時間くらいのところに暮らしていた。行こうと思えば行けたけれど、なぜかそこは特別な場所のような気がして、どうしても飛行機のチケットを買うことができなかった。それから数年、思い立って成田発のチケットを買い、憧れの地に降り立った。少し天気が不安だったけど、1週間弱の滞在の間、晴れ間も見えた。日本は夏の始まりだったけれど、北欧は春の始まりだった。長い冬が終わり、短い春が来る。どういう気持ちで、彼らは冬を過ごすのだろうか。彼らにとって、春はどれほど特別なものなのだろう。彼ら、そして、太古の昔からこの地に生きてきた彼らの祖先たちは、何を思いこの凍える大地で暮らしてきたのだろう。

 

 

 

中世にタイムスリップしたような街並みは美しく、このまま、この幸せな旅がいつまでも続けばいいのにと思った。

 

 

 

 

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答えのない日々の中で、必死に答えを探している。そんなに簡単に見つかるものじゃないなんてことくらい、わかっているけれど。でも実は、それはそんなに難しいことではないなんてことくらい、わかっているけれど。

 

細胞が死ぬということ

 

 

何もない休日になると、日記を書きたくなることが多い。ひとりになれる時間はやはり必要で、ひとりになった僕が何をするかというと、頭のなかをぐるぐると渦巻くとりとめのない思いを言語化して、自分が今どこに立っているのかをちょっとでもはっきりさせることだ。最近は休日どこかに出かけてばかりで、先週まで3週間連続で新幹線に乗ったりしていたし、土曜の夜に家のベッドで眠ったのは久しぶりだ。基本的に社交性があるタイプの人間ではないし、友達と過ごすのは楽しいけれど、それでも定期的にひとりになる日がないと、心の中に淀みが生まれてしまう。そんな淀みの正体を明らかにし、自己満足に浸るために文章を書く。

 

 

ひとりで過ごす休日だけでなく、最近はどこかに行ったときに、その記憶をとどめておこうと日記を書くことも多くなった。旅行の記録は昔からしていたけれど、最近は外出するときも例えばカメラを持っていたり、「何かを探して出かけてしまっている」という気がして後ろめたい。世の中の感動というものは、本来的に、予測外のものであるべきだ。日々の生活をする中で、ときに美しい風景に出会い、忘れがたい体験をする。そういった瞬間を最近はスマホのカメラで気軽に撮れるようになり、それはそれで素敵だと思う。しかし、「フォトジェニック」な風景があることを期待しながら街を歩くのは、何か正しくないことをしているような、居心地の悪い思いをすることになったりする。世界のいろいろな街の路地裏は、迷い込んだ時にハッとその美しさや物語性に惹かれるのであって、路地裏を探しながら街を歩いてしまったら本末転倒だ。

 

 

モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画を観た。若きエルネスト・ゲバラは友人と二人で南米大陸放浪の旅をする中で、ラテン・アメリカの厳しくも雄大な自然と対峙し、社会の周縁に追いやられた弱者と接する。この旅はゲバラの物の見方を大きく変え、数年後、彼はキューバでの革命を指導する革命家として世界にその名を知られることとなる。彼は旅の目的を尋ねられたとき、「旅をするための旅」と答える。実際、そうだったのだろう。映画の中での彼の姿はあくまで無目的だった。彼特有の強い意思が見え隠れする場面は描かれていたが、この青年が数年後にキューバでゲリラ戦を主導する姿は、想像しにくい。

 

 

経験から何を感じ取り、それをどう咀嚼し、その後の生き方に活かしていくかというのはほんとうに人ぞれぞれだ。ローマを訪れた人間がローマのことを「悠久の歴史の中で生きるマジカルな街」と感じるか、「過去の遺産で生きる腐った街」と感じるかはその人次第だ。

 

Some people feel the rain. Others just get wet. (Bob Marley)

 

 

ここまで書いて、平日になった。東京の上空には雨空が広がり、そう簡単に去りそうもない。雨雲の下で、せわしなく客先に向かいながら、記憶するということの意味を考えていた。東京のようにカラッと晴れた日が少ない土地で生まれ育ったから、雨というのは自分の子供のころの記憶と密接に結びついている。それでも、数日たって春らしい、あたたかな日差しが戻ってきたときに、あのとき降った雨の匂いを思い出そうとしても、なかなか思い出すことができない。ふとした瞬間に何かを思い出すということはあっても、なにかを思い出せなかったとき、思い出すのが適切と思えるときに、「思い出そうとする」という行為はなかなかに難しいものだと感じている。季節が巡り、都合の良いことばかり覚えていて、ほんとうは覚えておきたいディテールなんてちっとも思い出せない、なんてことが多くなってしまった気がする。あのとき打たれた雨はどんな温度だったっけ。スーツに身を纏って働き始めたとき、何を感じていたっけ。おいしい料理の記憶だったり、馬鹿馬鹿しい酒の席での記憶だったり、そんなことは覚えていても、そんなことを思い出したいんじゃないんだ。結局、思い出はきれいな形でこじんまりとまとめられてしまい、日々刻々と変化する日々を過ごしているように感じても、総じてみれば、何の変哲もない日々を過ごしているのかもしれないな、なんて思ったりしてしまう。本当はそこには数えきれないほどの感情が散在していて、出会いが、別れが、感動が、絶望が、そこかしこに無秩序に詰まっているはずなのに、振り返ってみて自分の生き方がそんなふうに小奇麗な物語に変えられてしまうのはなんだか悔しい。身体の奥底になにかそんな日々のカオスが刻まれていてほしいと思ってみても、細胞は7年ですべて入れ替わってしまうときた。この瞬間にも死んでいく細胞があるという事実には圧倒されてしまう。

 

 

例えば旅をすることで抱くようなプリミティブな感情を、心の中にしっかりと留めながら生きていくことはできるだろうか。塗り替えられていく記憶、入れ替わっていく体細胞のとめどない流れの中で、それでもなお残っている何かがあるのだとしたら、それはとても大切なことなのだと思う。

 

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枯れて、散った花がまた新たに芽吹く。

 

 

 

 

春と雨と

あたたかい雨が東京の街をしっとりと濡らし、満開に近づいた桜の花は淡いピンク色で街を彩っていた。分厚い雲に覆われた灰色の空には、儚い桃色は少し頼りなく感じられたけれど、春がやってきたのだということを強く感じた。

 

 

It's been a roller coaster ride.

 

 

そんな英語の表現がある。ローラーコースター・ライド。最近はまたしても目まぐるしく移り変わり続ける日々を過ごし、休む暇なんてないくらいだ。仕事が忙しいというだけではなく、休日も毎週どこかしらに出かけているので、ああこれが充実した日々というやつか、でもやっぱりちょっと疲れるな、どこかでちょっと休みたいな、なんて思ったりしている。

 

 

この週末は仙台に友達に会いに行ってきた。一日と半日だけの滞在だったけれど、おいしいものをおなか一杯に食べて、見たことのない風景をたくさん見た。週末に、ちょっとそこまでって感じで、仙台まで新幹線で出かけることができるって、なんだか自分がまた一段と大人になったような気持ちになった。

 

 

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今年はいろいろなところに行きたい。お金は少しかかるかもしれないけれど、でも大丈夫。ちょっとくらい貯金が減ったところで死にやしない。そんなことを考えながら、日々を過ごしている。でもやっぱりちょっと怖いから、コンビニじゃなくてなるべくスーパーに行くようにしてたり。あんまり意味ないんだけどね。昔っから、自炊するとたくさん食べてしまうし、ついついちょっと高い食材を使って手の込んだ料理をしてしまうし。

 

 

見たことのない世界を、仕事に本気で打ち込みながら、休日の時間をつかってどれだけ見ることができるか。それが今年のテーマになる気がしている。たぶん、ちょっとお金を使えばいろいろなところにいける。なんなら、週末に海外にだって行ける。ゴールデンウィークは久しぶりのヨーロッパだ。日本にも行ったことのないところがたくさんある。四国に行ってみようかな?北海道に、子供のときぶりに行ってみようかな?

 

 

そうやって、満足のいく一年が過ごせるだろうか。もし、満足できるのであれば、程度の差はあれ今年一年が今後の自分の生き方のモデルになるかもしれない。もし、それでも一年が終わって、本当に、もっともっと知らないところを自分の足で歩いてみたい、何も知らない環境の中で生きてみたいって思うのであれば、そのときはそのとき。次のプランを考えればいい。

 

 

 

「ちょっとでも見たいと思ったものは我慢せず見よう」

 

 

そう考えている僕は、仙台二日目の観光を昼過ぎで切り上げて、友人に別れを告げ、東京行きの新幹線に乗った。まだ間に合う、東京についても日が暮れる時間じゃない。桜を見よう。どうやら東京は雨が降っているみたいだけど。

 

 

 

「あいにくの雨」という言い回しがある。たしかに、雨は残念だ。きっと、青空が見えていたら、目黒川沿いの桜も、もっときれいに見えたのかもしれない。でも、そこには確かに春があった。季節が巡っていた。いつの間にか、どうしようもなく。

 

 

奇妙なことに、大学を卒業してから3年が経っていた。生まれ育った街を離れて東京で暮らし始めてから、7年が経っていた。7年前の今頃は、ほんとうに何もかもが新しくて、とても、とても、ワクワクしていたことを覚えている。暖かな東京の春の日差しを浴びて、慣れない家事をせっせとこなし、ちょっとずつ自分なりの暮らしを組み立てていった。「東京」なんて言葉を使うのが憚られるような片田舎だったし、レオパレスのアパートは周りにスーパーもコンビニもない不便な場所にあったし、線路沿いで電車が通るたびにガタガタ揺れたけれど、それでも僕はあの部屋が大好きだった。「戻れるものなら戻りたい」、とは思わない。でも、できるのであれば、あの頃の自分のところへ行って、そっと、「君はきっと、今、とても幸せな時間を過ごしているんだ」と囁いてみたい。それでいいんだよって。水をすぐに吸収する乾いたスポンジみたいに柔らかで、なにかを吸い取ってやろうという意思と、自分ならやれるはずという大胆不敵な自信に満ち溢れていたあの頃の自分。そんな感覚、なかなか掴めるものではないから。

 

 

 

それからの僕は、春の迎え方が下手だったな、と思う。何かに追われすぎていたり、春を待ちわびる人が疎ましく思えたり、日本にいなかったり。でも、今年は春が楽しい。それも、自分の成長ということなのかもしれないし、大人になったということなのかもしれないし。いろいろなことを嫌いなままでは、生きていくのが大変だしな、と思うようになったし。

 

 

楽しく生きよう、一瞬一瞬を大切に生きよう、と思った週末だった。

 

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曇り空と、桜と、やたらと高いホームから出発する電車。自分の暮らす街。愛おしい風景。多くの人が中目黒に桜を見に行くけれど、大崎から五反田にかけての目黒川に沿った道は、人も少なく平和で、なんだか少し胸がいっぱいになるほど美しかった。