gezellig

日記など。

フットボールと選民意識

オランダ、アムステルダム。2月のある晴れた日曜日。今シーズンの初めにユース時代から長い時間を過ごしたクラブに帰郷していたヨニー・ハイティンハは引退を決め、慣れ親しんだアムステルダム・アレナのピッチでファンから温かい拍手を送られていた。引退セレモニーが終わり、徐々に熱気を増していくスタジアム。前節、格下のローダJCとの手痛い引き分けでPSVに首位の座を明け渡したアヤックスの、フェイエノールトとの対戦。オランダで最も重要なナショナルダービー、「クラシケル」(De Klassieker)が幕を開ける。

 

 

100年以上の歴史を持ち、欧州の舞台を4度制したアヤックスは、紛れも無い名門クラブである。しかし、今となってはその栄光も過去のもの。エドウィン・ファン・デル・サールミハエル・ライツィハーダニー・ブリントフランク・ライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンパトリック・クライファートフィニディ・ジョージマルク・オーフェルマルスという、奇跡のような選手たちを、ルイ・ファン・ハールが率いた90年代中盤の黄金時代は過ぎ、今やアヤックスは時折欧州のビッグクラブに選手を供給する、こじんまりとした小国の一フットボールチームに成り下がってしまった。2010年以降、クラブのレジェンド、ヨハン・クライフは"velvet revolution"と呼ばれることとなる改革を推し進め、フランク・デ・ブールを監督に、オーフェルマルスファン・デル・サールデニス・ベルカンプ、ウィム・ヨンク、ヤープ・スタムといった往年の名選手を次々にマネジメントに招き入れた。しかしその試みも虚しく、アヤックスは国内的には4連覇を成し遂げたものの、昨年は王者の座をPSVに明け渡し、毎年チャンピオンズリーグでは敗退。2015-16シーズンはラピド・ウィーンに敗北してヨーロッパ・リーグに回った上に、グループステージで敗退するという屈辱を味わっている。

 


それでも、この日のアレナに漂う空気は、ヨーロッパで最も成功を収めたクラブのひとつとしての誇り。現代サッカーの基礎を作った、ヨハン・クライフを生んだクラブとしての誇り。最高の雰囲気の中で、永遠のライバルとの一戦が始まる。

 

 


緩慢な守備から序盤に一点を許したアヤックスだったが、徐々にボールを支配し始める。その中に、あらゆる局面でボール回しの中心となり、チャンスを演出する背番号10のキャプテンの姿があった。

 


幼少期よりアヤックスのユース・アカデミーで育ったデイフィ・クラーセンは、若干22歳にして名門アヤックスのキャプテンを務めている。昨シーズンはオランダ最優秀賞若手選手賞に輝き、今シーズンは名実ともにエールディビジで最も才能あるプレーヤーとして若いチームを引っ張っている。柔らかなボールタッチ、シンプルかつ的確なパス、スペースを見つけファイナル・サードで決定的な仕事をするセンス。90分間全力で走り抜く走力と闘争心を持ちつつ、高い技術に裏打ちされた知性を備えた、オランダ人の生え抜き「10番」。彼こそが、アヤックスの理想を体現する選手だ。難しいプレーをいとも簡単にやってのける姿から、彼は長らく「ベルカンプ2世」と称される。

 


相手ペナルティエリア付近でのボール回しから、一瞬空いたスペースに、クラーセンがワンタッチで短いパスを送る。走り込んだアミン・ユネスがゴールライン際で切り返し、守備陣の隙間を縫ってシュートを放つ。ギリギリの低い軌道を描いたシュートは、ポストに当たり、ゴールラインを割る。同点になると同時に、ここ数試合負傷でクラーセンを欠き低調な試合運びを批判されていたチームにとって、キャプテンの存在がいかに大きかったかを気付かされる瞬間でもあった。


オープンな展開の中、両チームとも気迫の入った守備で失点を許さない。緊迫しているが、ダイナミックで攻撃的なオランダサッカーの醍醐味が濃縮された試合となった。後半、ついに試合が再び動く。今シーズン、チームの主軸として定着した19歳のリーシェトリー・バズールが、アウトサイドに引っ掛けた素晴らしいミドルシュートを叩き込む。その後、ネマニャ・グデリのPK失敗により点差を2点に広げるチャンスを逃したアヤックスだったが、結局は最後まで堂々たる戦いぶりで2-1でクラシケルを制することとなる。

 

 


ところで、アムステルダムの人々は、歴史ある自らのクラブに対して並々ならぬ誇りを抱いており、その選手は特別であるという感覚、そして自分たちがその特別なクラブを支えているという感覚を強く持っているように思える。あるときは選手たちをGodenzonnen (God's Sons)と呼び、またあるときはSuperjonden (Super Jews)と呼ぶ。クラブ設立当初、ユダヤ系のサポーターが非常に多かった名残で、今でもスタジアムにはダビデの星が描かれた旗が掲げられる。今となっては、実際にファンがユダヤ人ばかりというわけではない。しかし彼らは、まるでユダヤ教の教えのように、アヤックスというクラブが神に選ばれたクラブであり、その選手とファンは選ばれた民なのだと信じようとしているようだ。


Een echte Ajacied


クラーセンのような選手はこのように呼ばれる。「真のアヤックス人」という意味合いだ。今シーズンはじめにAZから加入したグデリのような選手がそのように呼ばれることはない。かつて有望な若手外国人選手としてアヤックスに加入し、大きく成長してヨーロッパのビッグクラブに巣立っていったスアレスイブラヒモビッチのような選手に対してアヤックスのファンは大きな尊敬の念を抱いているが、それでも彼らが"een echte Ajacied"と呼ばれることはない。PSVユース出身のバズールや、スパルタユース出身のアンヴァル・エル・ガジもそのように称されることはないだろう。それはクラブを愛し、クラブに対して深いつながりがある、生え抜きのオランダ人選手のみに与えられる特別な称号なのだ。

 

Daley Blind, wie kent hem niet?
Daley Blind is een echte Ajacied!
ダレイ・ブリントを知らないやつはいないか?
ダレイ・ブリントは真のアヤシートだ!

 


今やマンチェスターユナイテッドで主力として活躍するダレイ・ブリントにはこんなチャントが用意されていた。ダレイは現オランダ代表監督であり、キャプテンとしてアヤックスを最後のチャンピオンズリーグ制覇に導いた、ダニー・ブリントの息子だ。言うまでもなく、物心ついたころから彼はアヤックスと共にあり、出場機会に恵まれずファンからもブーイングを受けるような苦しい時期を乗り越え、才能を開花させ、クラブそして代表でも大黒柱に成長した。そんな彼にアヤックスのファンたちは、今となっては最大限の称賛を贈る。もちろん、ブリントだけではない。最近では、ウェズレイスナイデルラファエル・ファン・デル・ファールトナイジェル・デ・ヨング、そして前述のハイティンハといったオランダ人選手がアヤックスのユースアカデミーから育っている。彼らは2度のワールドカップを2位と3位という、小国にしては出来過ぎた成績で終えた「オランイェ」の中心となっていた。そして、アムステルダムの人々は、高い金を払って買ってきたよそ者ではなく、彼らのような生え抜きの選手が、常にチームの大黒柱であるべきだと考えている。

 


アムステルダムの人々は、優秀な選手をコンスタントに輩出し続ける"De Toekomst"(未来)と呼ばれるアカデミーのことを、とりわけクラブの誇りに感じている。事実、アヤックスのアカデミーはヨーロッパで最も多くプロのサッカー選手を輩出しているし、不甲斐ないトップチームとは対照的にユースの大会ではアヤックスは常に優秀候補だ。クラーセンやヴィクトル・フィシャー、ヨエル・フェルトマンら、現在のトップチームの主力がまだユースにいた頃は、NextGenシリーズで準優勝、今年のUEFAユースリーグでもドニー・ファン・デ・ベークやアブデルハク・ヌーリといった好タレントを備えたチームが躍進を続けている。彼らはトップチームと全く同じ4-3-3のフォーメーションでのサッカーを、子供の頃からずっと続けている。コンパクトな陣形を保ち、キーパーまでもがトライアングルを作って細かなパスを回す。ウイングの選手はサイドラインの白い粉でスパイクが汚れるくらいに、大きく外に開いてプレーする。ボールを奪われたらまずはスピッツ(ストライカー)が相手を追いかけまわす。それがオランダサッカーのDNAであり、そしてアヤックスこそがその伝統の創始者なのであるという感覚のもとで、プレーし続けるのである。


アムステルダムをコピーすることはできない」


と、クラブ関係者は語る。科学に裏打ちされたアヤックスの育成メソッドは国中に浸透している。優秀な選手を輩出し続けるアカデミーは、アムステルダムの外にもある。しかし、誰もアムステルダムという街の雰囲気を真似ることはできない。クラブが長い歴史の中で培ってきたメンタリティーをコピーすることは何者にもできない。クラブを信じていれば、70年代と90年代に起きた奇跡の再来を、また目にすることができる。アヤックスというクラブには、ある種、宗教的な狂気がつきまとうのである。

 

 

巨大なマネーゲームになりつつある現代のサッカー界において生え抜きの選手を中心に戦うことも、スピードとフィジカルコンタクトの強さの重要性が年々増す現代の試合の中でもはや絶滅危惧種となりつつあるオランダ流サッカーで戦うことも、無謀な試みのように思える。しかし、アヤックスのファンはこれからもいつも伝統に固執するだろう。クライフの懐古主義的な改革は失敗に終わり、クライフはクラブのアドバイザーの役割から去った。今年、アヤックスPSVから王者の座を奪い返すことができるかはわからない。それでも伝説の「14番」の教えはクラブの血骨であり、その教えのもと、「マイティ・アヤックス」は欧州を制した。それがいつか遠い過去の話になったとしても、アヤックスは常にアムステルダムの人々にとって、そしてオランダ人にとって、特別な存在であり続ける。選ばれた民である彼らには、オランダサッカーのDNAを、後世に伝えていく使命がある。アムステルダム・アレナでは、いささか血の気が多いことで有名なファンたちが、今日も歌い続ける。

 

Dit is mijn club, mijn ideaal,
Dit is de mooiste club van allemaal.
Hier ligt mijn hart, mijn vreugd en mijn verdriet.
Het kan dooien, het kan vriezen, we kunnen winnen of verliezen,
Maar een be'tre club dan deze is er niet...

これが僕のクラブ、僕の理想
これが世界で一番のクラブ
ここには僕の心があり、喜びと悲しみがある
雪が解けることもあれば、凍えることもあるだろう
勝つこともあれば、負けることもあるだろう
それでもこれ以上のクラブなんてどこにもない

 

 

 

do it all again

金曜の夜にしこたま飲んで、それでも我を失うみたいなことはなくて、心地よく酔いながら自分よりもだいぶ酔っ払った後輩の話を聞いたフリをしていた。飲んでも何もかも覚えている夜と、断片的な映像とぼんやりとした匂いのようなものだけが残っている夜があり、この前の金曜日がどちらだったかというと、後者だ。

 

渋谷からほど近い場所に住んでいるので、集まりが終わったら30分足らずで家に着いた。ネクタイはダーツをしている間に取ってかばんの中に入れていたようだ。朝起きたらワイシャツだけ着た姿で寝ていた。でもスーツとコートはしっかりとクローゼットの中のハンガーにかかっていて、コンビニで買ったなんでそんなものを買ったのかさっぱりわからない食料や飲み物はちゃんと冷蔵庫に入っていた。熱いシャワーを浴びて、歯を磨き、念入りに身体を洗う。酒の匂いが消え去るように。しわくちゃになったワイシャツは洗ってアイロンにかければいい。そんなに食べずに飲んでばかりいたのでお腹が減って、無償に松屋カレギュウが食べたくなって自転車を漕いで近くの店まで行った。土曜の朝の松屋は冴えないファッションのむさ苦しい男でそれなりに賑わっていて、中国出身と思われる店員は大変そうだった。少し気持ち悪くなりながらカレギュウを胃に詰め込み、家に帰って、海外ドラマをだらだらと観ながらジムで運動しようかなと考えているうちに眠ってしまって目覚めたら夕方だ。

 

 

Last Friday night

Yeah we danced on tabletops

And we took too many shots

Think we kissed but I forgot

 

 

きちんとした過ごし方をできるようになってしまったなと思う。失敗したらそこから学べるところが自分のいいところだとは思いつつも、そこに少しだけ、物足りなさを感じてしまったりもする。まるでハプニングや失敗も予定調和のようで、もちろんそれは楽しかったり嫌な気持ちになったりはするのだけれど、振り返ったときの虚しさが募る。繰り返して、そのたびに二日酔いになったり散々な気持ちになるけれど、その気持ちをどのように扱えばいいのかは知ってしまっている。

 

 

常識的であること、良心的であること、そういった諸々の、世間一般で望ましいとされている性質を身につけていることが、逆に自分を苦しめるときがある。常識的な人間でなければ、これほどまでに苦しまなかったのに。客観的に物事を見ることができない人間であれば、これほどまでに考えなくていいことを考えてなくてもよかったのに。そういったことを考えているうちに、自分とは異なった性質を持つ人を、羨望だけでなく蔑みの眼差しで見てしまっていることに気づき、その事実がさらに自分を苦しめる。生きづらさというものはなかなか消えてはくれないし、自分が特別ではなくごく普通の人間なんだと感じれば感じるほどその感覚は生々しくなっていく。

 

誰とも会わない休日でよかった。雪が降るらしいので、それもよかった。部屋にひきこもって現実から逃れることができるから。一日中、呻き、のたうち回ることができるから。

死を望むということについて

まともに生きる、とはいったいどういうことであろうかと思いをめぐらせ、そういうことを考えているときはたいてい自分がまともに生きていると感じることができていないか、この先まともに生きていける気がしていないか、あるいはそのような生き方に対して嫌気がさしているかどれかだと思われる。自分は今、そのうちのどの状態だろうか。少なくとも「死にたい死にたい死にたい」とは繰り返し思っている気がする。

 

何か嫌なことがあったり、悶々と考えていることがあるとき、それを英語で口に出してみることが、よくある。大学に入るまで日本という国の外に出たことすら一度もなかったし、これまでもまともに勉強してきたとは言い難いけれど、どうやら自分には語学のセンスというものはあるらしく、勘所を押さえてそこそこに的確な英語を話すことができる。たどたどしくても、自分の考えを一通り、英語で話すということはできる。しかし、どこまでいっても英語は外国語だ。外国語で考え、話すというのは、日本語で考え、話すという行為と、まったく異なる行為だ。それは思考を正確に言語化できるか否かという問題だけではなく、自己というものをいかに定義するかという問題でもある。どのような自己を想定し、話すのかということだ。

 

英語で話すときは、日本語で話すのとでは異なったマインドセットが必要だ。大学時代に英語の授業を持っていたバイリンガルの日本人教師は、"When I speak in English, I speak in a different personality"と話していた。言語と、その言語が表現できる思考には、おそらくある程度の相関性はあると思われる。(言語によって思考が影響を受けるとする考え方は「言語相対論」と呼ぶらしい)

 

稚拙な英語を話す日本人の多くは、自己の思考をそのまま、一言一句違わず、英語で表現しようとする。しかし、そこに適切な英語の表現が見つからないため、スムーズに話すことができない。日本人にとって、いかにうまく英語を話すかという問題は、いかに自己の思考を要約し、抽象化し、普遍的かつシンプルな単語の連続として表現できるかという問題でもある。逆に言うと、ESL(English as a Second Language)話者にとっては、自己の思考や主張を簡略化する勇気こそが、英語上達の肝であるとも言えるのではないか、というのが大学に入って以降考えてきたことでもある。

 

日本語で、「死にたい」と感じることがある人は、多くいるだろう。僕もその一人で、頻繁に「死にたい」と感じている。それを英語にするとどうか。"I wanna die"になるだろうか。違う。"Life sucks"だ。そこには大きな差がある。"I wanna die"の場合は、「死」という結果を話者が明確に望んでいることが示唆されている。しかし、不思議なことに、日本語の「死にたい」は、必ずしも肉体的な死を望む表現ではない。

 

英語で表現をすることによって、自分が何を望んでいるのか、そして何を望んでいないのか、ということがわかる。もちろん、英語にも婉曲表現や、曖昧な思考を表現する方法はいくらでもある。しかし、僕のようなESLスピーカーにとっては、そういった表現は非常に難易度が高く、その感覚を100%理解するのは無謀に近い。だからこそ、僕のような人間が英語で話すとき、その表現はシンプルで簡略化されている。

 

僕は今日も"Life sucks"とつぶやいている。"I wanna die"とつぶやいたことは、まだない。そうやって、まだ大丈夫、少なくとも、もう少しは大丈夫、と自分に言い聞かせている。そう、それは普通のことなのだ、誰しもが、多かれ少なかれ、そう思っているのだ、自分が考えていることなんて、その程度のことなのだ、と、言い聞かせている。

 

 

if winter comes

季節は巡り驚くほど早く冬が来る。生温い空気がいつまで経っても過ぎ去らなかった秋が終わり、ようやく引き締まった緊張感のある空気が戻ってきた。こうしていつの間にか一年が終わるのだろう、そんなことを考えているうちに今年もあと3週間になった。

 

最近はバタバタしていて、ずっと何かを深く考えたりすることができていなかったなと思う。深夜、こうやってここ最近のできごとを振り返ってみると、自分がぜんぜん思考なんてしていませんでした、頭も心もからっぽのまま生きていましたと白状せざるをえないなということがわかってしまって、辛い。「日々弾力を失っていく心」という表現をどこかで聞いたことがある。当時はそんなふうになったら嫌だな、でもそれはそれでなんか都会っぽくていいのかもしれないな、かっこいい、なんてぼんやりと考えていたりしたけれど、ふと立ち止まってみると本当に、見事に、心が弾力を失っていってしまっているではないか。それは年をとるから当たり前だ、と言ってしまうこともできるかもしれない。思考力や感受性というのは脳細胞の動きがどれほど活発かという問題であり、ある時を境に人間の身体は成長を止め徐々に衰えていくということを考えると、何かを感じなくなってしまったり、何かを考えなくなってしまうことは、老いから来る当然の自然現象だと言うこともできるだろう。覚醒している間のぼんやりとした倦怠感に比例するように、夢の鮮明さが増していく。そこには喜怒哀楽がある。不完全な魂は真夜中、あてもなく意識の外側、あるいは奥深くをふらふらと放浪し、まるで自分がまっとうに生きているかのような感覚を味わうものの、けっきょくは捜し物を見つけることなく朝、現実に舞い戻る。

 

引っ越したことに伴って、色々なものを捨てて、本も最小限のものだけを残してあとは全部売るか捨てるかしてしまった。それは自分の中に蓄積していった知識だったり、物語だったり、経験だったりを、そこまで残しておく価値もないなと判断したということでもあり、いささか寂しい気持ちにもなる。人生は盛大な時間の浪費であり、これからも無駄なものを買い、無駄なものを知り、生きていくのだろうと思うと、うんざりを通り越してある種の諦めのような感情が生まれてくる。残しておくべきものはいったい何だろうか。本棚に残した本を眺めると、『イエイツ詩集』と『ムーミン谷の彗星』が並んでいて、ますます自分という存在がわからなくなる。これだけ長い間生きてきて、自分というものが何者なのかわからないというのも奇妙な話だ。ときどき、普通の人なら普通にできることが自分にはできないと感じることがあって、とても辛い。自分のことを説明するとか、普通に人と話すとか、別に何も気にせず生きるとか、そういうこと。それは自分を特別と思いたいがためのナルシシズムだろう、と言われればそれまでだけれど、息苦しさのような感覚というのは日々募っていく。

 

来年は変わるだろうか。年が明けたら、何かが変わるだろうか。住む場所を変えたところで、本質的に何かが変わるわけではないことはわかった。そんなことは、わかりきっていたはずだけれど。

 

世田谷区の話

ハロウィンの渋谷は馬鹿げた服装の若者で溢れかえっていて、山手線のホームではJRの職員が改札から出るまで10分かかることもあるといううんざりとした事実をうんざりとした顔で伝えている。僕は逆方向の電車に乗り込み、死んだ顔で先ほどの数時間の間で撮った物件の写真をぼんやりと眺めていた。

 

 

何かに向かって進んでいる感覚が欲しい。自分が何かを決めているという感覚。自分で何かを変えているという感覚。不意に、今の自分にはそんな感覚が欠けていると思うようになってしまった。部屋は古くそこまで広くもないけれど、友人や恋人にも恵まれ満ち足りた生活。万事快調とは言えないまでもそれなりに軌道に乗った仕事。レールに乗っていけば、普通に幸せで、それでいて刺激も感じられるような生活がこの先も待っているのだろうなとは思う。

 

 

週末ですべてを忘れて夜遅くまで起きて、少しだけ眠ってどんよりとした表情で会社に向かう月曜。スケジューラーを開いて今週の予定を確認し、「この日はなかなか帰れなそうだな」とか、「この日、この客先に向かう電車の中で寝れそうだな」とか、そんなくだらないことを考えている。毎日「普通」の時間に帰って「普通」の時間に寝ることができていれば、そんなこと考えなくたって、「普通」に仕事をして、「普通」に生活することができるはずだけど、そう簡単にはいかない。たまに帰り道に空を見上げる。たいてい星はきれいに見えなくて、星のないのっぺりとした空はまるで黒く塗られたコンクリートの壁を眺めているようだ。陽はまた昇る、と言うけれど、そうじゃない。陽はいつまでも昇ってほしくない。朝になってほしくない。そんなふうに思いながら日々を過ごしている。でもそんな生活が続いていくとそれすらもどこか心地よくなってしまって、そんなものを望んていたわけではないはずなのに、まるでそれを自分が心の底から望んでいたかのように思い込んでしまう。人は自分に都合のいい事実を、自分ででっち上げてしまう生き物で、僕もそんな人間の一個体に過ぎないのだから。

 

 

このままではいけない、と思って新しい部屋を探し始めた。どこに?そんなの考えている余裕はない。間違いのない場所。間違いのない間取り。間違いのない家賃。ユナイテッドアローズとかシップスとかアーバンリサーチとかで服買っておけばまぁそんなに外れることはないだろうとかそういうのと似ている。いいねその服どこで買ったの。別に普通にアローズだよ、2万円くらいだし。同じようなものをもっと安い値段で売る店なんていくらでもあるのに。「○○を着ていたら/聴いていたら/食べていたら/飲んでいたらおしゃれ」というような時代は過ぎ去ったようで過ぎ去っていない。すくなくとも、それをやっておけば無難というようなノームはそのときどきでやはり色濃く現れてくるものであり、そういうのに追従するのが一番体力を使わなくて済むのである。わかりやすく承認欲求を満たすためには実より名が重要であり、北千住に済むより恵比寿に住んだほうが良くて、駒場東大前に済むよりは中目黒に住んだほうが良くて、とか、そういうこと。どこ住んでるの。麻布十番。えーおしゃれ。ふざけんな。今例を上げたところに住もうとしているわけではないけれど。

 

 

ともかく衝動だろうがなんだろうが自分で何かを決めるという感覚が非常に重要であり、なぜならそれは自分がいっぱしの人間になったような気になれるから。忙しいふりをしていても実はサボりながら仕事をして、真面目に考えるべきことを後のばしにして、アルコールの助けがなければやっていけないような状態で、それだって嘘でアルコールの助けがなければやっていけないふりをしているだけで、別にパイント・オブ・ギネスじゃなくても小枝をサクサク口に運んだり家系ラーメンにニンニクを入れて啜るだけでも満足できるはずなのに、そんなことを考え始めると自分はまっとうに生きたいふりをして本当は死にたいんじゃないかとか、死にたいけどそれは死にたいふりをしているだけでそれはまっとうに生きたいという悲痛な心の叫びの裏返しなのではないかとか考え始めることになり、ああもうとめどなく考えは脳だけでなく心を侵食して、黒く蝕んでいくけれど、とりあえずニンニク入りの家系ラーメンを食べた後に小枝をつまみにして350ml・オブ・ギネスを飲む。やり直せるとしたらどこからやり直すだろうか。でもやり直すことなんてできないから、とりあえず前に進んでいるふりをして、前に進んでいる感覚を一番手っ取り早く掴むには転職するか結婚するか住む場所を変えるかしかないんだけど、前者2つはあまりにも体力がかかりすぎて無理なので住む場所を変えることにする。イージーな選択だ。でもお金がかかる?知ったことか。マイナスにならなきゃなんだっていい。なんならマイナスになって何が悪い。でもこれだって、衝動的に生きているふりがしたいだけなのでは?

 

 

自分が今一番やりたいことはなんだろうか。自分がやっていることはどれも、自分がやりたいことではないような気がしてくる。そんな違和感を抱えたまま、この先ずっと生きていくのだろうか。それが普通なのだろうか。普通というのはなんだろうか。新垣結衣より小松菜奈が好きだけど、小松菜奈を好きでいるというのは体力をつかうことだ。新垣結衣は知っているけれど小松菜奈は知らないという人はたくさんいるけれど、逆はいない。スタンダードではない。小松菜奈を好きというと「なるほどね」という反応が帰ってくるけれど新垣結衣を好きだといってそりゃそうだろ、男はみんな新垣結衣が好きだよ、無難なことばっか言ってんじゃねえよって会話が生まれることのほうが、実は何倍も人として建設的だ。

 

建設的でない生き方をするというのは、なんと疲れることなのだろう。普通でありたいという気持ちと、同時に普通であってたまるものかという気持ちが混在するのはどういうことなのだろう。今自分は普通なのだろうか。自分はどこへ向かっているのだろうか。

 

 

 

死ぬ季節

吸い込む夕暮れの空気は、少し小高い場所にいたからかもしれないけれど、ふわっと軽くて濃密な真夏の空気が消え去っていることに少し驚いた。まだ8月だ。しかし、8月の後半である。生まれ育った街では、盆を過ぎるとクラゲが出るからと海に入るのを止められたことを思い出した。本当に、気づかぬ間に季節というのは過ぎ去っていってしまうものだなと、性懲りもなく数カ月ぶりに感じてしまう。

 

 

そんなことを感じた、休みをとった水曜日から少し時間がたって、東京は雨が続いている。半袖だと夜には肌寒ささえ感じるような気候だ。夏はいつか死ぬ。「残暑」というのはあくまで「残暑」であって、それは夏本来の暑さではない。季節の移り変わりというのは、当然、グラデーションのように緩やかであるけれど、あるとき、決定的に、季節が変わってしまったと感じる瞬間が来る。

 

 

そうやって季節が過ぎていくことに、いつの間にか焦りを感じるようになっている。それは、過ぎ去っていくこの一瞬をなんとかして、丁寧に切り取り、記憶に留めておかなくては、というポジティブな焦りであることもあれば、一体全体俺はここで何をやっているんだろうという、じりじりと精神をむしばむ焦りであることもある。

 

 

食事や家事といった生活全般や、遊びや、友達や恋人とのコミュニケーションのとりかたや、仕事のやりかたや、そういったものが深く考えずとも落ち着いて心地よいようにできるようになってくると、ともすればそれらを「うまくこなす」ことができる状態に安堵しきってしまい、日々がマンネリ化し、いつのまにか彩りが失われてしまう。このまま生活を続けていれば、どうせそこそこに楽しく生きていける。このまま仕事を続けていれば、どうせもっといろいろできるようになって、給料も等級も上がっていく。1年後の自分がどうなってるかなんてわからないとは言えども、どうせ自分はうまくやれる。不安は大きいし、失敗はたくさんするかもしれないけれど、それも糧にしていくことができる。そんなふうな見え透いた未来を求めていんだっけ。あーやめたやめた、こんなことを考えるのは。そんなときはぼんやりと風呂につかるか何も考えずジムで汗を流すか死ぬほど凝った料理を始めるかどれかが正しいけれど銭湯には昨日行ったし夜は焼肉を食べに行く予定があるからジムに行こう。

 

ぐちゃぐちゃの感情は時として爆発しそうになるけれど、それなりにいい年齢の大人が感情を爆発させるのもみっともない。ちょっと前よりも破滅的な飲み会をする機会が減ったような気もする。秋になると感情が抑圧された状態が心地よくなってセンチメンタルな気分になりがちだけれど、いくら様々なことにひとりで思いを巡らせても、こういって文章にしてみても、解決策なんて何も生まれないということはわかりきっている。仕事で問題解決をして大きな成果を出すことはそれはそれで大切なことだけれど、仕事だけが人生ではなく、生き方全般を見直してみたときに自分は果たして問題解決をできているのだろうかと考えると自信がない。自分ほど仕事に打ち込まない友達の方が余裕があり、豊かな生活を送っているように見えることがある。それは隣の芝は青いとか、価値観の違いとかいう陳腐な言葉で片付けられることではなく、ハードな仕事に打ち込み成果を上げる自分に自己陶酔して、5日感情を失って働いた後に訪れる2日間の休息を適度に楽しく過ごすような今のぬるま湯に浸かったような生活を続けて幸せになれるわけがない。ぬるま湯と表現するにはあまりにも高温なお湯で、火傷して出ていってしまう人も多くいるような職場だけれど。そろそろ身の振りというか、今後のことを、考えていかないといけないなと思いつつ、こんなこと2年くらい前からずっと考えているような気がする。いつのまにかそうやってずるずると生活が続いていってしまうこと、100%の満足はないけれど70%くらい満足した状態で日常が続いていくこと、それこそが人生というものなのだと多くの人は言う。人生のことを考えるよりもまずは目の前の仕事のことを考えるべき、というくだらない、まっとうな、べき論に流されて今後も生きていくのだとしたら、それはそれでひとつの生のあり方だとは思う。

 

いつの間にかそうやって、3年以上が過ぎている。高校を卒業してから数えると7年だ。冗談かよ。いつもどこか霞んだ視界が当たり前になっていく。それは視力の衰えからのみ来るものでは決してない。

 

例によって答えは出ない。雨と風がひんやりと心地よい。人もまばらな公園は、しっとりと濡れて美しかった。

 

 

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この薄い紅の花をつけた木をサルスベリ、ということを初めて知った。サルスベリは8月に花をつけるらしい。ああ、この日、この瞬間に、この場所に来れてよかったと思った。

夢と夏

寝不足の日々がようやく終わり、六本木のカラオケで朝まで遊んでからタクシーで家に帰った。おなかが減っていたけどしっかりとしたご飯を食べる気力はなく、アイスを急いでかじってベッドに横になる。クーラーも付いている。何もかも忘れた深い眠りについて目覚めたのが17時。夏の一日が終わろうとしていた。ひとまずシャワーを浴びながら風呂掃除をして、洗濯機を回し、近所の商店街までクリーニングに出していたシャツを取りに行き、朝食みたいなご飯をコンビニで買って食べて、もう一度横になってダラダラと携帯の画面を眺める。ネットで夏の夕暮れの画像を見かけたら、実際にそこにいるわけでもないのに、なんだか切ない気持ちになって、福山雅治の「ひまわり」をかけた。懐かしい音。窓を開けたらじとっと肌にまとわりつく、むせかえるように濃密な東京の夏の空気が漂っていた。

 

 

寝不足の原因は先週末のフジロックだ。月曜の朝からどうしても外せない会議があったため、金曜日の夜に近くまで移動し日曜の夕方まで楽しんだ。新幹線に乗るためにRIDEとノエル・ギャラガーを諦めないといけなかったのは本当に残念だったけれど、夢の中にいるような二日間だった。雨も降らず、日差しは強く肌をジリジリと焼いていったけれど、何杯もビールを飲み僕らは音楽に身体を揺らした。4時間しか眠らずに二日目に向かってまた朝から楽しんだ。こんな楽しみ方は若くないとできないな、と思いながら会場を歩き回った。

 

 

夢はいつか終わり、現実が目の前に現れる。東京駅で脱ぎ捨てたスーツをピックアップして家に向かい、興奮冷めやらぬまま眠ったら次の一週間が始まる。この一週間はとにかく大変なことが多くて、僕にしては珍しくイライラすることも多かった。睡眠時間も削られ、毎日ふらふらになりながらもどこかハイテンションなまま乗り切った一週間だった。外国人から見ると日本人はアル中に見えるとよく言うけどどうだろう。海外にも酔っ払って騒ぎを起こすクソ野郎はたくさんいたような気がするけれど、確かに日本の居酒屋のように際限なく酒が提供され続けるような場はあまりないのかもしれない。

 

 

カラオケで、一人ひとりがテーマを出してそれに沿った歌を選んで歌うというのをやった。「朝、会社に行きたくないときの歌」というテーマで、みんながテンションが上がるような曲を歌う中で、僕は斉藤和義の「歩いて帰ろう」を選び、「嘘でごまかして すごしてしまえば 頼みもしないのに 同じような朝が来る」と歌っていた。あれ、そういうことじゃない?こういう気持ちって誰もが持っているような気がしていたけれど、意外と少数派なのか?とか思ったりしたけれどまぁそれでもいいや。

 

 

夏というのはなんと厄介な季節なのだろう。こんなにも暑く、冷房の効いた室内から外に出るのなんてほんとうは億劫に感じるはずなのに、人はみな、なぜか太陽の光が降り注ぐ空間に向かう。風景は四季折々、趣があるはずなのに、なぜか夏の風景は郷愁の念と結びつく。思い出という言葉ともっとも相性が良いのは夏だ。日本の夏は、長いようで短い。その間に人々は踊り、騒ぎ、戻ることのできない瞬間を心に刻んでいく。8月という特別な月に、単純で愚かな人間であることに、喜びを覚えようと思った。

 

 

街に夏を探しに行った。東京の夏はどこにある。今自分が見ているものは夏の風景だろうか。うだるような暑さの見知らぬ街の商店街は人の姿もまばらだ。汗が灰色のTシャツを濡らして黒い染みを作った。いつか真夏の東京を必死に駆けまわった記憶が思い出になる日が来るのだろうか。それとも結局は海だったり花火だったり、冷房の効いていない夏休みの教室だったり、遮るものの何もない日差しを受けてカラカラに乾いたグラウンドだったり、そういったものがいつまでも、亡霊のように、薄まることなく夏の記憶として自分の中に居座り続けるのだろうか。ただただ気温と湿度だけが高い街の姿をこれが東京の夏ですと見せられたところでその風景にリアリティはなく、僕の夏はここにはないと思うけれど、だからといって今すぐに海に向かって海岸線から花火を眺めたとしたってそれはきっと取り繕われた大人の夏の休日にしかならないんだろうなと、少し悲しい気持ちになる。

 

 

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思い出には残らないかもしれないから、写真には残しておいた。それでも少しでも、記憶に残るように、自分の住む街が夜の淵に沈んでいこうとする姿をただただ眺めていた。その色を覚えておこうと。