gezellig

日記など。

someone, somewhere cares

すっかり寒くなり引き締まった空気は心地よく、週の中日の祝日にたいした予定もなく寝て家事をして結局仕事をしたりして過ごした。会社の近くのジムで汗を流して家路につく。休日の赤坂は好きだ。オフィスが立ち並ぶここ一帯はおいしいご飯とお酒を出すお店も多いけれど休日にぶらぶらとするような街ではない。だから人はまばらだけど、休みの日にここにいる人たちは、ちゃんと用事があってここにいてそれはとても素敵なことなのではないかと思う。そんな場所をひとりで特にあてもなく歩くのはなんだか少し贅沢な気分になる。

 

 

ええと、そうだ、ここ最近のことを思い出そう。春があって、夏があって、秋があった。気が付けば今年もあと2か月で終わる。何が変わって、何が変わっていないだろうか。何もかもが変わってしまったような気もするし、変わったことなど何もないような気もする。

 

 

この街に住み始めて1年が過ぎた。平日は眠りに帰るだけで、少し時間ができたときも外で飲み歩いたりすることも多いことからか、未だにどこか、部屋に入るたびに、新鮮な気持ちになる。これが本当にぼくの部屋だったっけ。ぼくは本当にここで生きているのだったっけ。昔よりも、誰かと時間を過ごすことや、誰かを部屋に入れることに抵抗が少なくなって、ひとりで居たいと思うことが少なくなった。いろいろな人と関わりながら仕事をしているのに、仕事を離れても誰かと居たいと思うということはどういうことなんだろうな。昔だったらせめて、一日中人と接したあとは、ひとりで居たいと思っていたけれど、そういったことがなくなった。それは寂しいという感情とも違って何かへの依存がないと自我が保てなくなっているということなのか、もしそうだとしたらそれは由々しき事態であってどこかにメスを入れなければいけないのだろうな、でも心のどこかにメスを入れた途端にまたどこか心の別の部分にいるじぶんが「そっちじゃないよ」と声を上げ、開いた切り口からダラダラと血が流れるのをただ呆然と眺めることになりそうで、そんな曖昧で輪郭がつかめない心の姿に当惑する。

 

 

過去の記憶は消すことはできないが薄れていくことはある。全体としてはぼんやりとした記憶になっているできごとも、その中の、切り取られた一部分だけが尖った記憶となっていく。あのとき、この部屋で感じた、あの感情。眼に入ってきたあの色。あの形。あの表情。耳に入る声。匂い。喜び。痛み。快楽。苦痛。最近は起こったことを一連のつながったできごととして記憶しておくことが億劫なのか、静止画のような記憶が積み重なって、ランダムで再生するスライドショーのように脈絡もなく次から次へとフラッシュバックしてくることが多い。最近のことはどうだろう。とても最近のことなのにすでに色褪せてしまった記憶や、随分と前のことなのに未だに鮮明に焼き付いた記憶、そして覚えていたことすら忘れていたとりとめのない、無数の、日常の記憶が複雑に折り重なったその色は、全体としてはぼやけていて、しかしときとして、ある一点の鮮やかな色が強烈な存在感を放っていたりする。これは狂気だろうか、平穏だろうか。半年や一年という期間は一言で形容するにはいささか長すぎる。急にいろいろなことを思い出そうとすると、疲れてしまうものだな。こうやって、思い出すことが減って、覚えることも減って、いつのまにか何かを失うことも得ることもどちらにも気づかないまま日常が進んでいく。

 

 

外に出て、冷たい風に当たりながら雲の合間に見える星の弱々しい光を探した。この辺にはちょっとした林があって、少し前までは、虫の鳴き声がうるさいくらいだったけれど、今は微かに、数匹が鳴くだけだ。数ヶ月に一本しか吸わない、煙草に火をつけてみる。煙を吸って吐き出し、何かを思い出そうとしてみる。こういうときに楽しい思い出は、なかなか浮かんでこないものだな。良くない思い出が蘇ってきて、やはり人生はクソだと、思ってしまう。いつものことだ。冬が来る。眠りにつけば、冬にまた一歩近づいた朝がやってきて、仕事があり、夜がある。部屋に戻ろうとする。ここがぼくの居場所なのだっけ。今ぼくはどこにいる。明日のじぶんはどこにいる。

 

日記20160528

ひとを肯定すること、まちがいや失敗も許すこと、そんなことを無理せずにさらりとできる大人になりたいなと、大人になりもう随分と経った今になってよく思う。大切に思う人に対してやさしくあることだったり、自分とまったく違った考え方や価値観を許容することだったり、そういうことに対するスキルが自分にはまったく備わっていないのだ、と、最近はよく思う。口先では多様な価値観を認めたい、価値観を同じにすることなんてできないんだからお互いを認め合えればそれでいい、と言うけれど、けっきょくこれまでの自分はなんとなく自分と同じような価値観を持った人に囲まれて、ぬくぬくと過ごしてきたんだなと、すこしだけ職場での立場が変わって、それと、すこしだけ、生き方そのものが変わって、まるで体験したことのないことばかりを体験している今、毎日毎日考え、そんなこと以外に何も考えられなくなるくらいにそればかり考えているけれど、結論も出ず、また同じ間違いをして、どうしたらいいかわからないのに、信頼できる友人であってもすべてを包み隠さず話すことが恐ろしい。いつも、強がって、自分を強く見せようとしてきた。自分の弱い部分を隠してしまい、ありのままの自分を見せるのがむずかしい。いつのまにか身体に染みついてしまったその子どもじみた高慢で、自分で自分の首を絞めている。そして、隠そうとすればするほど、ほんとうの自分の気持ちはわからなくなり、自分はいったいなにものなのだ、誰に対して見せている、どの自分がほんとうの自分なのだ、ひとりで部屋で唸りながら考えている自分が、ほんとうに、ほんとうの自分なのか、などというありきたりでくだらない思いが頭の中の空間を埋め尽くす。

 

 

つらいことというのは、つねにあるものだなと、これまでを振り返って思う。何もかもがすべてうまくいったことなんてあっただろうか。きっとないだろうな。いつもいつも、自分勝手に傷ついて、鬱々とした気持ちになって、それをできるかぎり、周りに見せないように生きてきた。自分の感じている絶望なんて薄っぺらいものだ、なんてことはわかっていて、だからこそ余計にめんどくさく、他人に愚痴ることができるものでもないなと考え、そういうときはこんなふうに文章を書いてきた。そして、なんとなく自分の気持ちや、行動をコントロールして、うまいこと生きることができてきた。それでもやっぱり、どこかで自分を認めてくれて、大変だね、でも大丈夫、心配ないよって言ってくれる人が、きっと自分には必要なんだと、できることならば自分自身がそういう存在でありたかったと思うようになってはじめて気づく。まいったな、何が大切なのか、路頭に迷う中で気づくことができそうになっているのに、そう思ったときにはいろんなことが手遅れになっていて、それをすぐに実践するにはあまりにも自分は不器用すぎるまま成長してしまっていて、傷ついたまま立ち尽くすしかない。人を守りたいとうたう歌が世の中には溢れていて、その気持ちが今までずっと理解できなかったけれど、やっと、この歳になって、その意味がわかりはじめてきたような気がする。目の前の相手を肯定することができるか。何があってもその人の味方になることができるか。自分にそうする覚悟があるか。そして、自分も同じように、そうされることができるか。相手を信頼できるか。そういうことなんだろうなって、今は思う。もしこの先、そういう人間関係を、誰かと築くことができなかったら、きっと後悔だらけの人生になってしまうんだろうなと、ぼんやりと思う。

 

 

それでも、自分は元気だ。誰よりもたくさん働くし、誰よりも仕事に対して深く考えるし、成長意欲も上昇志向もある。周りに負けたくない、成功してやりたい、と毎日強く思いながら働いている。そのほかのことが何ひとつうまくいかなくても、情熱を注げる仕事が目の前にある。重圧に潰れそうになることもあるけれど、負けない。それだけが今、自分の中のひとつの防衛線になっている。いつまでこんな状態が続くのかわからないし、そんなに悠長に問題を先延ばしにしている余裕もないのだけれど、今はそれで大丈夫。すべてうまくいくときが、きっと来る。

 

reccuring nightmare

心が弱ったときに見る・するあれこれみたいな情報が今日もネットには溢れかえっている。心なんて随分と前から弱りっぱなしで、そんな人間に対する救済なんていうものはなかなか簡単に見つかるものではない。筋トレやランニングはダメだ。単純な反復作業を繰り返す中でどうしても余計なことを考えてしまう。最近は唯一フットサルをやっているときだけが余計なことを考えなくて済む。パスをもらうその瞬間、どこにボールを持ち出すのが最適か。細かいタッチがいいのか、大きく持ちだすのがいいのか。あるいはワンタッチでパスを出すのがいいのか。足元のボールに対して、脚をどんな角度で、どんな速度で振ったら、目指す位置にボールを飛ばすことができるのか。キーパーが取れないシュートを打つために、どこにボールを置いて、どんなキックをすればいいか。サッカーやフットサルというのは常に無数の可能性の中から最適解を選ぶゲームであり、その複雑性の中に身を委ね、目の前のプレーに集中することで、束の間、他のことを考えなくて済む。

 

 

どこを見渡しても喪失しかない。進むべき方向性も、大切にすべきものも、何もかも見失ってしまったような感覚だ。暗い部屋でコーヒーをすすって青々とした光を放つパソコンのディスプレイに向かう。何の生産性もないけれどぐちゃぐちゃとした思考を文章にまとめて書き殴るのはそれはそれで気を紛らわすことになる。自分には何もない。仕事がうまくいこうがそれがどうした。仕事に打ち込んで何になる。それが将来の何につながる。そこからつながる将来に、どんな意味がある。今までの人生の中で築いてきた、いろいろな人とのつながりや、これまで頑張って身につけてきたいろいろなことを、すべて捨て去って、どこか知らない場所に行くことができたら、どんなにいいだろうと思う。でもけっきょくそんなことをする勇気もなくて、どうせこのまま仕事を続けたらそれなりの成功を手に入れて、どこかのタイミングで幸せな家庭でも築いて、それなりに幸せな人生を送るんだろうなと思う。

 

 

大切にしていた気持ちはどこにいった。そんなものは果たして最初から、あったのだろうか。期待を裏切り、人を傷つけ、自分を傷つけ、最低な気持ちで日々を送っている。そうやって過ごすことで少しでも自分の気持ちを満足させることができたらいいのに、どうやったって、自己嫌悪を繰り返すだけだ。ひとときの満足を得るためなら酒を飲めばいい。ひとときの満足すら得ることができないような言動を繰り返して、何度も何度も後悔して、なんでそういうふうにしか生きていくことができないんだろうと、沈んでいく。

 

 

Where are you?
And I'm so sorry
I cannot sleep
I cannot dream tonight
I need somebody and always
This sick strange darkness
Comes creeping on so haunting every time

 

 

春の夜の闇は街をやさしく包む。街灯に照らされた花は夜もなお生き生きと、可憐でいて妖艶な姿を見せ、その美しさに胸が詰まるけれど、僕はその薄桃色の花の名前さえ知らない。二人で歩きながら、道端の花の名前を次々と言い当てた人のことを少しだけ思い出す。日曜の夜はこんなにも平和で、家路を急ぐ人たちもどこか心地よさそうにしているというのに、それに対比されるように自分の心の闇が浮き彫りになる。その闇は、このやわらかな夜の闇とは違った色をしている。それは濁っていて、ふれたらチクチクとするような刺々しさと、悪意を持っていて、身体を内側から侵食していく。視界にはぼんやりとした靄がかかり、皮膚の感覚は鈍く、思考は遅い。歩いても、脚が動いているという感覚がなく、ふわふわと空中を浮いているような感覚だ。でもそれは心地よいものではなく、地に足がつかないもどかしさ、むず痒さが、またしても少しずつ、心を傷つけ、むかむかとした吐き気が身体の奥の方でぼんやりと湧き上がってくる。何もかもが面倒で、気だるく、家に帰っても死んだようにベッドに横たわることしかできない。ああいま僕は生きていようが死んでいようが変わらない状態だ、と気づくと、さすがに少し起き上がって皿を洗ったり、洗濯物をしたり、掃除機をかけたりしてみる。どんなに深く、暗く切ない感情に胸を切り裂かれていたとしても、そうやってどす黒い血をダラダラと流したままだとしても、食べて寝て普通に生きていくことだけは続けないといけない。繰り返し感じる痛みはいつか麻痺していく。痛みは痛みとしてそこにあり、対峙する自分の感覚だけが腐っていく。それはけっして、時間がすべてを洗い流してくれるだとか、そんなきれいなことではなくて、ただただ、自分の中の何かが、少しずつ崩れていくのを傍観しているような気分だ。抑えている感情はふとした瞬間に爆発し、人並みに生きたい、人並みに生きたいと、誰の耳にも届かない咆哮を上げる。

 

 

Spring 2016

いつのまにかコートがいらない季節になり、街には桜が舞っている。1年前とは違う街で迎える春。何もかもが新しくて、そして何もかもが古くさくて、むず痒い気持ちになる。それが春という季節だ。東京は去年も、満開の桜を雨が濡らしていた。今年も、小雨に身体を濡らしながら桜が咲いた道があればゆっくり歩く。すぐにでも散ってしまう花の蕾を携えて、一年中同じ場所に突っ立っているのはどんな気持ちだろう、と思いを巡らす。やがて花は散り、街は甘く優しい色からきりりとした新緑の色に、少しずつ移り変わっていく。

 

今となってはさしたる苦労もなく手に入れたと思えるようなおぼろげな幸せはいつか終わりを迎えて、日々を取り巻く色彩は季節が巡る度に変わっていく。いつのまにかはじめと比べたらまるで違う色に変わってしまった心は行先のなさに絶望して破裂しそうになる。あまりにも多くのできごとがあまりにも短い時間の間に起きすぎて、それはまるで心地の良いぬるま湯から突然極寒の雪山に放り出されたようであり、自分の無防備さや弱さを否が応でも実感せざるをえない。これまでの自分はなんと甘えていたのだろう、生きるということは、ほんとうはなんと難しく苦しいものなのだろう。小さなことがきっかけで、どうしてこうも、すべてのものごとが向かう方向が、変わってしまうのだろう。不運だと思うことが重なっていく一方で、自分の意志で、自分の間違いで、起こしてしまったいくつかの間違いや、間違いだとは微塵も思っていなかった数えきれないほどの行為が、少しずつ自分の気持ちを歪めていき、また新たな間違いを犯す。

 

 どうやったらもっと幸せになれるのだろう。どうやったらまともに生きることができるのだろう。もっとこうしておけばよかったとか、もっとこんな人生もあったのではないかとか、そんなことばかりが最近、頭のなかを侵食していく。ふつうに人と付き合って、普通に人を好きになって、普通に仕事をすることができたら、どんなにいいだろう。面倒で、後ろ向きな色々な感情を、抱えずに生きることができたら、どれだけ楽だろう。脳天気な人生が羨ましい。そんなことを思っている自分がどれほど不寛容で、醜い人間なのかなんてわかってはいるけれど。

 

 

フットボールと選民意識

オランダ、アムステルダム。2月のある晴れた日曜日。今シーズンの初めにユース時代から長い時間を過ごしたクラブに帰郷していたヨニー・ハイティンハは引退を決め、慣れ親しんだアムステルダム・アレナのピッチでファンから温かい拍手を送られていた。引退セレモニーが終わり、徐々に熱気を増していくスタジアム。前節、格下のローダJCとの手痛い引き分けでPSVに首位の座を明け渡したアヤックスの、フェイエノールトとの対戦。オランダで最も重要なナショナルダービー、「クラシケル」(De Klassieker)が幕を開ける。

 

 

100年以上の歴史を持ち、欧州の舞台を4度制したアヤックスは、紛れも無い名門クラブである。しかし、今となってはその栄光も過去のもの。エドウィン・ファン・デル・サールミハエル・ライツィハーダニー・ブリントフランク・ライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンパトリック・クライファートフィニディ・ジョージマルク・オーフェルマルスという、奇跡のような選手たちを、ルイ・ファン・ハールが率いた90年代中盤の黄金時代は過ぎ、今やアヤックスは時折欧州のビッグクラブに選手を供給する、こじんまりとした小国の一フットボールチームに成り下がってしまった。2010年以降、クラブのレジェンド、ヨハン・クライフは"velvet revolution"と呼ばれることとなる改革を推し進め、フランク・デ・ブールを監督に、オーフェルマルスファン・デル・サールデニス・ベルカンプ、ウィム・ヨンク、ヤープ・スタムといった往年の名選手を次々にマネジメントに招き入れた。しかしその試みも虚しく、アヤックスは国内的には4連覇を成し遂げたものの、昨年は王者の座をPSVに明け渡し、毎年チャンピオンズリーグでは敗退。2015-16シーズンはラピド・ウィーンに敗北してヨーロッパ・リーグに回った上に、グループステージで敗退するという屈辱を味わっている。

 


それでも、この日のアレナに漂う空気は、ヨーロッパで最も成功を収めたクラブのひとつとしての誇り。現代サッカーの基礎を作った、ヨハン・クライフを生んだクラブとしての誇り。最高の雰囲気の中で、永遠のライバルとの一戦が始まる。

 

 


緩慢な守備から序盤に一点を許したアヤックスだったが、徐々にボールを支配し始める。その中に、あらゆる局面でボール回しの中心となり、チャンスを演出する背番号10のキャプテンの姿があった。

 


幼少期よりアヤックスのユース・アカデミーで育ったデイフィ・クラーセンは、若干22歳にして名門アヤックスのキャプテンを務めている。昨シーズンはオランダ最優秀賞若手選手賞に輝き、今シーズンは名実ともにエールディビジで最も才能あるプレーヤーとして若いチームを引っ張っている。柔らかなボールタッチ、シンプルかつ的確なパス、スペースを見つけファイナル・サードで決定的な仕事をするセンス。90分間全力で走り抜く走力と闘争心を持ちつつ、高い技術に裏打ちされた知性を備えた、オランダ人の生え抜き「10番」。彼こそが、アヤックスの理想を体現する選手だ。難しいプレーをいとも簡単にやってのける姿から、彼は長らく「ベルカンプ2世」と称される。

 


相手ペナルティエリア付近でのボール回しから、一瞬空いたスペースに、クラーセンがワンタッチで短いパスを送る。走り込んだアミン・ユネスがゴールライン際で切り返し、守備陣の隙間を縫ってシュートを放つ。ギリギリの低い軌道を描いたシュートは、ポストに当たり、ゴールラインを割る。同点になると同時に、ここ数試合負傷でクラーセンを欠き低調な試合運びを批判されていたチームにとって、キャプテンの存在がいかに大きかったかを気付かされる瞬間でもあった。


オープンな展開の中、両チームとも気迫の入った守備で失点を許さない。緊迫しているが、ダイナミックで攻撃的なオランダサッカーの醍醐味が濃縮された試合となった。後半、ついに試合が再び動く。今シーズン、チームの主軸として定着した19歳のリーシェトリー・バズールが、アウトサイドに引っ掛けた素晴らしいミドルシュートを叩き込む。その後、ネマニャ・グデリのPK失敗により点差を2点に広げるチャンスを逃したアヤックスだったが、結局は最後まで堂々たる戦いぶりで2-1でクラシケルを制することとなる。

 

 


ところで、アムステルダムの人々は、歴史ある自らのクラブに対して並々ならぬ誇りを抱いており、その選手は特別であるという感覚、そして自分たちがその特別なクラブを支えているという感覚を強く持っているように思える。あるときは選手たちをGodenzonnen (God's Sons)と呼び、またあるときはSuperjonden (Super Jews)と呼ぶ。クラブ設立当初、ユダヤ系のサポーターが非常に多かった名残で、今でもスタジアムにはダビデの星が描かれた旗が掲げられる。今となっては、実際にファンがユダヤ人ばかりというわけではない。しかし彼らは、まるでユダヤ教の教えのように、アヤックスというクラブが神に選ばれたクラブであり、その選手とファンは選ばれた民なのだと信じようとしているようだ。


Een echte Ajacied


クラーセンのような選手はこのように呼ばれる。「真のアヤックス人」という意味合いだ。今シーズンはじめにAZから加入したグデリのような選手がそのように呼ばれることはない。かつて有望な若手外国人選手としてアヤックスに加入し、大きく成長してヨーロッパのビッグクラブに巣立っていったスアレスイブラヒモビッチのような選手に対してアヤックスのファンは大きな尊敬の念を抱いているが、それでも彼らが"een echte Ajacied"と呼ばれることはない。PSVユース出身のバズールや、スパルタユース出身のアンヴァル・エル・ガジもそのように称されることはないだろう。それはクラブを愛し、クラブに対して深いつながりがある、生え抜きのオランダ人選手のみに与えられる特別な称号なのだ。

 

Daley Blind, wie kent hem niet?
Daley Blind is een echte Ajacied!
ダレイ・ブリントを知らないやつはいないか?
ダレイ・ブリントは真のアヤシートだ!

 


今やマンチェスターユナイテッドで主力として活躍するダレイ・ブリントにはこんなチャントが用意されていた。ダレイは現オランダ代表監督であり、キャプテンとしてアヤックスを最後のチャンピオンズリーグ制覇に導いた、ダニー・ブリントの息子だ。言うまでもなく、物心ついたころから彼はアヤックスと共にあり、出場機会に恵まれずファンからもブーイングを受けるような苦しい時期を乗り越え、才能を開花させ、クラブそして代表でも大黒柱に成長した。そんな彼にアヤックスのファンたちは、今となっては最大限の称賛を贈る。もちろん、ブリントだけではない。最近では、ウェズレイスナイデルラファエル・ファン・デル・ファールトナイジェル・デ・ヨング、そして前述のハイティンハといったオランダ人選手がアヤックスのユースアカデミーから育っている。彼らは2度のワールドカップを2位と3位という、小国にしては出来過ぎた成績で終えた「オランイェ」の中心となっていた。そして、アムステルダムの人々は、高い金を払って買ってきたよそ者ではなく、彼らのような生え抜きの選手が、常にチームの大黒柱であるべきだと考えている。

 


アムステルダムの人々は、優秀な選手をコンスタントに輩出し続ける"De Toekomst"(未来)と呼ばれるアカデミーのことを、とりわけクラブの誇りに感じている。事実、アヤックスのアカデミーはヨーロッパで最も多くプロのサッカー選手を輩出しているし、不甲斐ないトップチームとは対照的にユースの大会ではアヤックスは常に優秀候補だ。クラーセンやヴィクトル・フィシャー、ヨエル・フェルトマンら、現在のトップチームの主力がまだユースにいた頃は、NextGenシリーズで準優勝、今年のUEFAユースリーグでもドニー・ファン・デ・ベークやアブデルハク・ヌーリといった好タレントを備えたチームが躍進を続けている。彼らはトップチームと全く同じ4-3-3のフォーメーションでのサッカーを、子供の頃からずっと続けている。コンパクトな陣形を保ち、キーパーまでもがトライアングルを作って細かなパスを回す。ウイングの選手はサイドラインの白い粉でスパイクが汚れるくらいに、大きく外に開いてプレーする。ボールを奪われたらまずはスピッツ(ストライカー)が相手を追いかけまわす。それがオランダサッカーのDNAであり、そしてアヤックスこそがその伝統の創始者なのであるという感覚のもとで、プレーし続けるのである。


アムステルダムをコピーすることはできない」


と、クラブ関係者は語る。科学に裏打ちされたアヤックスの育成メソッドは国中に浸透している。優秀な選手を輩出し続けるアカデミーは、アムステルダムの外にもある。しかし、誰もアムステルダムという街の雰囲気を真似ることはできない。クラブが長い歴史の中で培ってきたメンタリティーをコピーすることは何者にもできない。クラブを信じていれば、70年代と90年代に起きた奇跡の再来を、また目にすることができる。アヤックスというクラブには、ある種、宗教的な狂気がつきまとうのである。

 

 

巨大なマネーゲームになりつつある現代のサッカー界において生え抜きの選手を中心に戦うことも、スピードとフィジカルコンタクトの強さの重要性が年々増す現代の試合の中でもはや絶滅危惧種となりつつあるオランダ流サッカーで戦うことも、無謀な試みのように思える。しかし、アヤックスのファンはこれからもいつも伝統に固執するだろう。クライフの懐古主義的な改革は失敗に終わり、クライフはクラブのアドバイザーの役割から去った。今年、アヤックスPSVから王者の座を奪い返すことができるかはわからない。それでも伝説の「14番」の教えはクラブの血骨であり、その教えのもと、「マイティ・アヤックス」は欧州を制した。それがいつか遠い過去の話になったとしても、アヤックスは常にアムステルダムの人々にとって、そしてオランダ人にとって、特別な存在であり続ける。選ばれた民である彼らには、オランダサッカーのDNAを、後世に伝えていく使命がある。アムステルダム・アレナでは、いささか血の気が多いことで有名なファンたちが、今日も歌い続ける。

 

Dit is mijn club, mijn ideaal,
Dit is de mooiste club van allemaal.
Hier ligt mijn hart, mijn vreugd en mijn verdriet.
Het kan dooien, het kan vriezen, we kunnen winnen of verliezen,
Maar een be'tre club dan deze is er niet...

これが僕のクラブ、僕の理想
これが世界で一番のクラブ
ここには僕の心があり、喜びと悲しみがある
雪が解けることもあれば、凍えることもあるだろう
勝つこともあれば、負けることもあるだろう
それでもこれ以上のクラブなんてどこにもない

 

 

 

do it all again

金曜の夜にしこたま飲んで、それでも我を失うみたいなことはなくて、心地よく酔いながら自分よりもだいぶ酔っ払った後輩の話を聞いたフリをしていた。飲んでも何もかも覚えている夜と、断片的な映像とぼんやりとした匂いのようなものだけが残っている夜があり、この前の金曜日がどちらだったかというと、後者だ。

 

渋谷からほど近い場所に住んでいるので、集まりが終わったら30分足らずで家に着いた。ネクタイはダーツをしている間に取ってかばんの中に入れていたようだ。朝起きたらワイシャツだけ着た姿で寝ていた。でもスーツとコートはしっかりとクローゼットの中のハンガーにかかっていて、コンビニで買ったなんでそんなものを買ったのかさっぱりわからない食料や飲み物はちゃんと冷蔵庫に入っていた。熱いシャワーを浴びて、歯を磨き、念入りに身体を洗う。酒の匂いが消え去るように。しわくちゃになったワイシャツは洗ってアイロンにかければいい。そんなに食べずに飲んでばかりいたのでお腹が減って、無償に松屋カレギュウが食べたくなって自転車を漕いで近くの店まで行った。土曜の朝の松屋は冴えないファッションのむさ苦しい男でそれなりに賑わっていて、中国出身と思われる店員は大変そうだった。少し気持ち悪くなりながらカレギュウを胃に詰め込み、家に帰って、海外ドラマをだらだらと観ながらジムで運動しようかなと考えているうちに眠ってしまって目覚めたら夕方だ。

 

 

Last Friday night

Yeah we danced on tabletops

And we took too many shots

Think we kissed but I forgot

 

 

きちんとした過ごし方をできるようになってしまったなと思う。失敗したらそこから学べるところが自分のいいところだとは思いつつも、そこに少しだけ、物足りなさを感じてしまったりもする。まるでハプニングや失敗も予定調和のようで、もちろんそれは楽しかったり嫌な気持ちになったりはするのだけれど、振り返ったときの虚しさが募る。繰り返して、そのたびに二日酔いになったり散々な気持ちになるけれど、その気持ちをどのように扱えばいいのかは知ってしまっている。

 

 

常識的であること、良心的であること、そういった諸々の、世間一般で望ましいとされている性質を身につけていることが、逆に自分を苦しめるときがある。常識的な人間でなければ、これほどまでに苦しまなかったのに。客観的に物事を見ることができない人間であれば、これほどまでに考えなくていいことを考えてなくてもよかったのに。そういったことを考えているうちに、自分とは異なった性質を持つ人を、羨望だけでなく蔑みの眼差しで見てしまっていることに気づき、その事実がさらに自分を苦しめる。生きづらさというものはなかなか消えてはくれないし、自分が特別ではなくごく普通の人間なんだと感じれば感じるほどその感覚は生々しくなっていく。

 

誰とも会わない休日でよかった。雪が降るらしいので、それもよかった。部屋にひきこもって現実から逃れることができるから。一日中、呻き、のたうち回ることができるから。

死を望むということについて

まともに生きる、とはいったいどういうことであろうかと思いをめぐらせ、そういうことを考えているときはたいてい自分がまともに生きていると感じることができていないか、この先まともに生きていける気がしていないか、あるいはそのような生き方に対して嫌気がさしているかどれかだと思われる。自分は今、そのうちのどの状態だろうか。少なくとも「死にたい死にたい死にたい」とは繰り返し思っている気がする。

 

何か嫌なことがあったり、悶々と考えていることがあるとき、それを英語で口に出してみることが、よくある。大学に入るまで日本という国の外に出たことすら一度もなかったし、これまでもまともに勉強してきたとは言い難いけれど、どうやら自分には語学のセンスというものはあるらしく、勘所を押さえてそこそこに的確な英語を話すことができる。たどたどしくても、自分の考えを一通り、英語で話すということはできる。しかし、どこまでいっても英語は外国語だ。外国語で考え、話すというのは、日本語で考え、話すという行為と、まったく異なる行為だ。それは思考を正確に言語化できるか否かという問題だけではなく、自己というものをいかに定義するかという問題でもある。どのような自己を想定し、話すのかということだ。

 

英語で話すときは、日本語で話すのとでは異なったマインドセットが必要だ。大学時代に英語の授業を持っていたバイリンガルの日本人教師は、"When I speak in English, I speak in a different personality"と話していた。言語と、その言語が表現できる思考には、おそらくある程度の相関性はあると思われる。(言語によって思考が影響を受けるとする考え方は「言語相対論」と呼ぶらしい)

 

稚拙な英語を話す日本人の多くは、自己の思考をそのまま、一言一句違わず、英語で表現しようとする。しかし、そこに適切な英語の表現が見つからないため、スムーズに話すことができない。日本人にとって、いかにうまく英語を話すかという問題は、いかに自己の思考を要約し、抽象化し、普遍的かつシンプルな単語の連続として表現できるかという問題でもある。逆に言うと、ESL(English as a Second Language)話者にとっては、自己の思考や主張を簡略化する勇気こそが、英語上達の肝であるとも言えるのではないか、というのが大学に入って以降考えてきたことでもある。

 

日本語で、「死にたい」と感じることがある人は、多くいるだろう。僕もその一人で、頻繁に「死にたい」と感じている。それを英語にするとどうか。"I wanna die"になるだろうか。違う。"Life sucks"だ。そこには大きな差がある。"I wanna die"の場合は、「死」という結果を話者が明確に望んでいることが示唆されている。しかし、不思議なことに、日本語の「死にたい」は、必ずしも肉体的な死を望む表現ではない。

 

英語で表現をすることによって、自分が何を望んでいるのか、そして何を望んでいないのか、ということがわかる。もちろん、英語にも婉曲表現や、曖昧な思考を表現する方法はいくらでもある。しかし、僕のようなESLスピーカーにとっては、そういった表現は非常に難易度が高く、その感覚を100%理解するのは無謀に近い。だからこそ、僕のような人間が英語で話すとき、その表現はシンプルで簡略化されている。

 

僕は今日も"Life sucks"とつぶやいている。"I wanna die"とつぶやいたことは、まだない。そうやって、まだ大丈夫、少なくとも、もう少しは大丈夫、と自分に言い聞かせている。そう、それは普通のことなのだ、誰しもが、多かれ少なかれ、そう思っているのだ、自分が考えていることなんて、その程度のことなのだ、と、言い聞かせている。