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日記など。

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誰かのために生きるとか、社会において何かを成し遂げるために生きるとか、そういったバイタリティーというか思考方法はどうも自分には馴染まないようで、自分のために、マイペースに生きていくのが合っているんだろうなと思う。

 

でも、マイペースってなかなか許されるものではなくて、あれもやりなさい、これもやりなさい、こうするべきです、はやくやりなさい、こういうふうにしかできません、って、常に誰かに、何かに、言われながら僕らは暮らしているんだと思う。それは「常識」とか「規範」とか「倫理」とか「法」とか、いろんな形で社会の中で決められたものごとだったり、もっと小さな-例えば会社とか-コミュニティーの中で決められたものだったり、あるいは自分が生きている環境そのものから出てくるもろもろの制約条件だったりする。性別、生まれた場所、今住んでいる場所、お金、その他いろいろ。

 

自分のペースと他者からの外的要因、そのどちらも大切なことで、どちらか一方だけ考えていればいいってものではないのだよなあ。

 

 

先週末、車を借りて少し遠出してみた。都心と違って空が広くて、風が気持ち良い場所だった。こんなところに住めたら、とても気持ちよく、自由に生きることができるのかな?とふと考えた。でも、都会から離れて暮らすのって、いろんな束縛から自由になれる一方で、また別の制約の中に身を置くことになるんだよな、とも思った。

 

何が自分にとっていちばん気持ちがいいのか、なんてのはやってみないとわからない。住む場所とか、仕事とか、人付き合いとか。完璧なんてないけど、一方で100%の絶望というのもないのではないかと思う。

 

家に帰って、小汚い路地に面したベランダで、秋の夜風にあたりながらしみったれた夜空を眺めてみたら、まぁこれはこれで悪くないんじゃないかとも感じた。それが本心なのか、自分を偽る嘘なのか、お酒と疲れでぼやけたそのときの頭ではわからなかったけれど。