gezellig

日記など。

under control

打ちひしがれた経験は人間を強くする。

 

 

だからといって好き好んで打ちひしがれようなんて考えないし、できることなら毎日ハッピーに過ごしたいし、辛い思いは極力避けて生きていきたい。あまりにも長く打ちひしがれる日々が続くのであれば、それは心と身体が病んでいるということで、もうどうしようもないくらいになったなら環境を変えて、しっかりと医者に見てもらえばいい。

 

とはいえ、僕がいつも味わうのは、自分の感情をコントロールすることで切り抜けられる程度の挫折だ。たくさん寝て、少し気晴らしをすれば抜け出せる程度の暗闇。その最中にあるときには永遠に続くように思われるような闇でも、案外すぐ抜けられてしまうものだということを、なんとなく僕は知っている。

 

 

気落ちしているときは、なるべく何も感じないように、いろんなことを感じすぎて疲れてしまわないように、というふうに考えてしまう。それがいいことなのかどうかはよくわからないけれど、逆に打ちひしがれた時に「感じてしまった」ものごとの記憶は、普段よりも鮮明に残っていたりする。

 

 

例えば、美しい朝焼け。街の景色。街の匂い。あのメロディー。肌を突き刺す寒さ。うだるような暑さ。食べものの味。お酒の味。嫌なことからは目を逸そうとしているときの記憶だから、余計に美しいもの、美味しいものの記憶が、鮮やかに記憶に刻まれる。

 

 

そんなものを覚えてる余裕があるくらいの、チープな挫折。きっと今もそうだ。チープすぎて語るのも恥ずかしくなるくらいの挫折。コントローラブルな苦悩。ふとした瞬間に感じたきりっとした冬の寒さを、ああそういえばああやってあそこで悩んでいたときもこんな空気を感じていたな、とか思いながら、やっぱりこれもしっかりと記憶に刻んでいこうとか、そんなことを考えた12月最初の日。