gezellig

日記など。

No title

 

人と会って話すことが増えていたけれど、特に何もしない週末というのを久しぶりに過ごした。特段誰とも話さず、ただひたすらにコンピュータの画面に映し出される無益な情報や、あるいはテレビ画面のフットボールの様子を、怠惰に眺め、時々コーヒーを飲んだりお酒を飲んだり本を読んだりしながら「時間があったらこんなことするのにな」とか「大金があったらこんなことするのにな」といったような無駄なことをとりとめもなく考えていた。

 

運動もせず人とも話さない週末はまったくもって味気なく、こんなことしていていいのだろうかという思いが頭をよぎる。でも僕は飯を食い、気が向くままに横になり、自堕落な休日を過ごしていた。夕方になって「一歩も家から出ないのはまずい」と強迫観念のようなものに襲われ、近所の商店街だったり電車でちょっといったところにあるいろいろな店が揃う街にでかけたりする。最近の僕はすっかり、常に何らかの消費活動をしないといけないような気がしてしまっていて、流行りの断捨離だったりミニマムな生活というのがどうも苦手だったりする。つくづく、自分は物質世界の人間なんだなと実感する。マテリアル・ワールドの住民。ガールじゃなくてボーイだけど。

 

ただただ無益に過ぎていく時間だけれど、仕事がなくなるわけじゃない。月曜の朝から大量のやることが待ち構えている。一時期のぶっ壊れた生活からは少しだけ解放されているけれど、なにはともあれ忙しい仕事だ。

 

先週末、母校の大学の学園祭に行った。東京の中でも「田舎」と呼んで差支えない場所にある僕の母校は、世界各国の言語を学べることで有名で、学園祭ははっきりいってたいていの大学よりよっぽどオリジナリティがあり、充実した体験ができるものだと思う。そんなことを考えていたら、自分にも母校に対する帰属意識みたいなものがあったんだなーと少し感慨深い気持ちになった。そういう意識というのはどうも苦手で、毛嫌いしていたところがあるんだけど、大学時代の友達と会ったりしているとそういうのも悪くないかなと思ったりする。

 

 

いろいろな物事の出口や、あるいは入口が、よく見えないまま2014年も終わろうとしている。ぼんやりと時間を過ごしていつのまにか年を取っていました、というのをすんなりと受け入れられるには僕はまだまだ若すぎて、何かを成し遂げなきゃという衝動を持っていつつも、同時にうんざりとした現実が気になってしまう程度には大人になっていて、そういったリビドーのようなものをすべて仕事に捧げられたらいいんだろうけど実際はなかなか難しい。もちろん、頑張ってはいるけれど。その結果やり場のない衝動をどうにかする手立ても何もなく、焦りを抱えたまま日々が過ぎていく。ふとこういった一年が終わりつつあるようなタイミングで振り返ってみて、現状を何も変えることができていないどころか日々心の中に抱えたしこりや淀みを大きくしていってしまっている自分に気づき、少しだけ絶望するんだ。

 

 

なんだか暗い文章になってしまった。やっぱり休日は人と話したり、色々なところに行ってみないと駄目だ。でも、まぁそうじゃない週末というのもたまにはいいかと思いながら、ゆったりとした日曜の夜は更けていく。秋も終わって冬が来る。