北へ
春が去って梅雨に入る、このとてもとても短い初夏の夜に、肌を撫でた風はひんやりとして心地よく、あまりの心地よさに理由もなくふっと涙が出そうになった。地球は実はずっと回り続けていて、こうやってたえず風を運んでいるんだ。ビルだらけの東京ではそんなことをなかなか感じられないけど、雨が降ったり風が吹いたりすると、ときどきそんなことを思って途方もない気分になる。
また悪いことをしてしまった。燃えるゴミにプラスチックを混ぜてしまった。電気をつけたまま寝てしまった。仕事のミスをバレないように隠した。電車から出るときに人をわざと乱暴に押しのけた。
人はいつのまにやら心に淀みをためていくものらしい。ふとした瞬間に、自分がとても嫌な人間になっているのではないかと不安になることがある。そして、その不安は、たいていの場合現実だ。疲れていることを理由にして、あたりまえにすべきことをせずに日々を過ごしてしまう。仕事に打ち込んでいるとき、目標に向かって突っ走っているとき、それはそれで大切なことだけれど、それよりももっと大切で、忘れてはならないことを忘れてしまうことがある。そんなふうに、おそらく世の中の多くの人と同じように、なってしまう自分が悲しかったりする。自分は天才でもスーパーマンでもなければ善良な人格者でもない。自分は単なる凡人で、ずるくて、最悪だ。
そしてまた一日が始まり、今日も英子は都内某駅から、世界中の人が幸せになれるように願い、自分だけはみんなよりさらにちょっとだけ…幸せであるようにと願うのでした。
―浅野いにお『超妄想A子の日常と憂鬱』
休み明けの怒涛の日々ですっかり忘れかけていたけれど、ゴールデンウィークは久しぶりに海外へ行った。遠い遠い北欧の国。昔、その国で暮らせたらなと思っていたことを思い出した。少し前、僕はその国から飛行機で2時間くらいのところに暮らしていた。行こうと思えば行けたけれど、なぜかそこは特別な場所のような気がして、どうしても飛行機のチケットを買うことができなかった。それから数年、思い立って成田発のチケットを買い、憧れの地に降り立った。少し天気が不安だったけど、1週間弱の滞在の間、晴れ間も見えた。日本は夏の始まりだったけれど、北欧は春の始まりだった。長い冬が終わり、短い春が来る。どういう気持ちで、彼らは冬を過ごすのだろうか。彼らにとって、春はどれほど特別なものなのだろう。彼ら、そして、太古の昔からこの地に生きてきた彼らの祖先たちは、何を思いこの凍える大地で暮らしてきたのだろう。
中世にタイムスリップしたような街並みは美しく、このまま、この幸せな旅がいつまでも続けばいいのにと思った。
答えのない日々の中で、必死に答えを探している。そんなに簡単に見つかるものじゃないなんてことくらい、わかっているけれど。でも実は、それはそんなに難しいことではないなんてことくらい、わかっているけれど。