gezellig

日記など。

good night

最近は忙しい日が続いていて、帰宅する頃には日付が変わってしまっているということも多くなっている。

 

日付が変わる瞬間はいつもどこかにドラマがあるような気がしてくる。23時50分のラーメン屋、目の前のやたらと味の濃い深夜にはそぐわない食べ物の入った丼を、なんとか10分以内に片付けようと意気込んだ。すでに多くの店が閉まり、静寂が訪れつつある商店街の道には、日を跨ぐ前に家に辿り着こうと、心なしか早足で家路を急ぐ人たちが、ぽつりぽつりと眼に入る。

 

家に帰ってからのこのくらいの時間は不思議な魔力があるような気がする。まだ起きていてもいいような気がするけれど、ぼんやりとしていたらいつのまにか睡眠時間が足りなくなる時間まで起きていてしまう。一日の疲れがそうさせるのか、ほんとうにゆったりと時間が流れることもあれば、神様がズルをして時計の針を一気に前に進めたんじゃないかって思うくらい、あっというまに時間が過ぎてしまうこともある。7、8時間もすれば、また自分はスーツをまとって出かけているんだと思うと、その7,8時間は果てしなく長い時間のようにも感じられることもあるし、逆に時間の流れの儚さを感じることもある。太古からの悠久の時の流れと、今自分が生きている小さな世界でせわしなく過ぎていく日々のコントラストを感じると、なんだかこんなことやってる場合じゃないなんていう気持ちになったりもするけれど、結局のところ人間の生なんてものはこのうえなくちっぽけなもので、僕が個体としていくら充実した人生を過ごそうが、あるいは乾燥した味気ない人生を過ごそうが、人類という種の保全という観点から見たら何の意味もないことなのだ、とニヒルな気持ちになることが多い。しかし僕はそんな客観性をもった事実を無条件に受け入れられるほど大人ではないので、変えようのない真実に必死で抵抗しようと、うんうんと思考を巡らせ、なんとか自分の生に意味があるかのように思い込もうとしている。

 

 

 

そんな夜を、最近はずっと過ごしているような気がする。そんなたいそうなことではないかもしれないけれど。

 

 

朝が来れば、また一日が始まる。大きなものから小さなものまで、誰かに対しても、自分に対しても、また嘘をたくさんつきながら、一日を終え、疲れた身体で家に帰ってきて、ああでもない、こうでもないと考えながら、いつのまにか瞼が重くなっていくのだろう。