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日記など。

死ぬ季節

吸い込む夕暮れの空気は、少し小高い場所にいたからかもしれないけれど、ふわっと軽くて濃密な真夏の空気が消え去っていることに少し驚いた。まだ8月だ。しかし、8月の後半である。生まれ育った街では、盆を過ぎるとクラゲが出るからと海に入るのを止められたことを思い出した。本当に、気づかぬ間に季節というのは過ぎ去っていってしまうものだなと、性懲りもなく数カ月ぶりに感じてしまう。

 

 

そんなことを感じた、休みをとった水曜日から少し時間がたって、東京は雨が続いている。半袖だと夜には肌寒ささえ感じるような気候だ。夏はいつか死ぬ。「残暑」というのはあくまで「残暑」であって、それは夏本来の暑さではない。季節の移り変わりというのは、当然、グラデーションのように緩やかであるけれど、あるとき、決定的に、季節が変わってしまったと感じる瞬間が来る。

 

 

そうやって季節が過ぎていくことに、いつの間にか焦りを感じるようになっている。それは、過ぎ去っていくこの一瞬をなんとかして、丁寧に切り取り、記憶に留めておかなくては、というポジティブな焦りであることもあれば、一体全体俺はここで何をやっているんだろうという、じりじりと精神をむしばむ焦りであることもある。

 

 

食事や家事といった生活全般や、遊びや、友達や恋人とのコミュニケーションのとりかたや、仕事のやりかたや、そういったものが深く考えずとも落ち着いて心地よいようにできるようになってくると、ともすればそれらを「うまくこなす」ことができる状態に安堵しきってしまい、日々がマンネリ化し、いつのまにか彩りが失われてしまう。このまま生活を続けていれば、どうせそこそこに楽しく生きていける。このまま仕事を続けていれば、どうせもっといろいろできるようになって、給料も等級も上がっていく。1年後の自分がどうなってるかなんてわからないとは言えども、どうせ自分はうまくやれる。不安は大きいし、失敗はたくさんするかもしれないけれど、それも糧にしていくことができる。そんなふうな見え透いた未来を求めていんだっけ。あーやめたやめた、こんなことを考えるのは。そんなときはぼんやりと風呂につかるか何も考えずジムで汗を流すか死ぬほど凝った料理を始めるかどれかが正しいけれど銭湯には昨日行ったし夜は焼肉を食べに行く予定があるからジムに行こう。

 

ぐちゃぐちゃの感情は時として爆発しそうになるけれど、それなりにいい年齢の大人が感情を爆発させるのもみっともない。ちょっと前よりも破滅的な飲み会をする機会が減ったような気もする。秋になると感情が抑圧された状態が心地よくなってセンチメンタルな気分になりがちだけれど、いくら様々なことにひとりで思いを巡らせても、こういって文章にしてみても、解決策なんて何も生まれないということはわかりきっている。仕事で問題解決をして大きな成果を出すことはそれはそれで大切なことだけれど、仕事だけが人生ではなく、生き方全般を見直してみたときに自分は果たして問題解決をできているのだろうかと考えると自信がない。自分ほど仕事に打ち込まない友達の方が余裕があり、豊かな生活を送っているように見えることがある。それは隣の芝は青いとか、価値観の違いとかいう陳腐な言葉で片付けられることではなく、ハードな仕事に打ち込み成果を上げる自分に自己陶酔して、5日感情を失って働いた後に訪れる2日間の休息を適度に楽しく過ごすような今のぬるま湯に浸かったような生活を続けて幸せになれるわけがない。ぬるま湯と表現するにはあまりにも高温なお湯で、火傷して出ていってしまう人も多くいるような職場だけれど。そろそろ身の振りというか、今後のことを、考えていかないといけないなと思いつつ、こんなこと2年くらい前からずっと考えているような気がする。いつのまにかそうやってずるずると生活が続いていってしまうこと、100%の満足はないけれど70%くらい満足した状態で日常が続いていくこと、それこそが人生というものなのだと多くの人は言う。人生のことを考えるよりもまずは目の前の仕事のことを考えるべき、というくだらない、まっとうな、べき論に流されて今後も生きていくのだとしたら、それはそれでひとつの生のあり方だとは思う。

 

いつの間にかそうやって、3年以上が過ぎている。高校を卒業してから数えると7年だ。冗談かよ。いつもどこか霞んだ視界が当たり前になっていく。それは視力の衰えからのみ来るものでは決してない。

 

例によって答えは出ない。雨と風がひんやりと心地よい。人もまばらな公園は、しっとりと濡れて美しかった。

 

 

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この薄い紅の花をつけた木をサルスベリ、ということを初めて知った。サルスベリは8月に花をつけるらしい。ああ、この日、この瞬間に、この場所に来れてよかったと思った。