gezellig

日記など。

do it all again

金曜の夜にしこたま飲んで、それでも我を失うみたいなことはなくて、心地よく酔いながら自分よりもだいぶ酔っ払った後輩の話を聞いたフリをしていた。飲んでも何もかも覚えている夜と、断片的な映像とぼんやりとした匂いのようなものだけが残っている夜があり、この前の金曜日がどちらだったかというと、後者だ。

 

渋谷からほど近い場所に住んでいるので、集まりが終わったら30分足らずで家に着いた。ネクタイはダーツをしている間に取ってかばんの中に入れていたようだ。朝起きたらワイシャツだけ着た姿で寝ていた。でもスーツとコートはしっかりとクローゼットの中のハンガーにかかっていて、コンビニで買ったなんでそんなものを買ったのかさっぱりわからない食料や飲み物はちゃんと冷蔵庫に入っていた。熱いシャワーを浴びて、歯を磨き、念入りに身体を洗う。酒の匂いが消え去るように。しわくちゃになったワイシャツは洗ってアイロンにかければいい。そんなに食べずに飲んでばかりいたのでお腹が減って、無償に松屋カレギュウが食べたくなって自転車を漕いで近くの店まで行った。土曜の朝の松屋は冴えないファッションのむさ苦しい男でそれなりに賑わっていて、中国出身と思われる店員は大変そうだった。少し気持ち悪くなりながらカレギュウを胃に詰め込み、家に帰って、海外ドラマをだらだらと観ながらジムで運動しようかなと考えているうちに眠ってしまって目覚めたら夕方だ。

 

 

Last Friday night

Yeah we danced on tabletops

And we took too many shots

Think we kissed but I forgot

 

 

きちんとした過ごし方をできるようになってしまったなと思う。失敗したらそこから学べるところが自分のいいところだとは思いつつも、そこに少しだけ、物足りなさを感じてしまったりもする。まるでハプニングや失敗も予定調和のようで、もちろんそれは楽しかったり嫌な気持ちになったりはするのだけれど、振り返ったときの虚しさが募る。繰り返して、そのたびに二日酔いになったり散々な気持ちになるけれど、その気持ちをどのように扱えばいいのかは知ってしまっている。

 

 

常識的であること、良心的であること、そういった諸々の、世間一般で望ましいとされている性質を身につけていることが、逆に自分を苦しめるときがある。常識的な人間でなければ、これほどまでに苦しまなかったのに。客観的に物事を見ることができない人間であれば、これほどまでに考えなくていいことを考えてなくてもよかったのに。そういったことを考えているうちに、自分とは異なった性質を持つ人を、羨望だけでなく蔑みの眼差しで見てしまっていることに気づき、その事実がさらに自分を苦しめる。生きづらさというものはなかなか消えてはくれないし、自分が特別ではなくごく普通の人間なんだと感じれば感じるほどその感覚は生々しくなっていく。

 

誰とも会わない休日でよかった。雪が降るらしいので、それもよかった。部屋にひきこもって現実から逃れることができるから。一日中、呻き、のたうち回ることができるから。