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gezellig

日記など。

フットボールと選民意識

オランダ、アムステルダム。2月のある晴れた日曜日。今シーズンの初めにユース時代から長い時間を過ごしたクラブに帰郷していたヨニー・ハイティンハは引退を決め、慣れ親しんだアムステルダム・アレナのピッチでファンから温かい拍手を送られていた。引退セレモニーが終わり、徐々に熱気を増していくスタジアム。前節、格下のローダJCとの手痛い引き分けでPSVに首位の座を明け渡したアヤックスの、フェイエノールトとの対戦。オランダで最も重要なナショナルダービー、「クラシケル」(De Klassieker)が幕を開ける。

 

 

100年以上の歴史を持ち、欧州の舞台を4度制したアヤックスは、紛れも無い名門クラブである。しかし、今となってはその栄光も過去のもの。エドウィン・ファン・デル・サールミハエル・ライツィハーダニー・ブリントフランク・ライカールトロナルド・デ・ブールフランク・デ・ブールエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフヤリ・リトマネンパトリック・クライファートフィニディ・ジョージマルク・オーフェルマルスという、奇跡のような選手たちを、ルイ・ファン・ハールが率いた90年代中盤の黄金時代は過ぎ、今やアヤックスは時折欧州のビッグクラブに選手を供給する、こじんまりとした小国の一フットボールチームに成り下がってしまった。2010年以降、クラブのレジェンド、ヨハン・クライフは"velvet revolution"と呼ばれることとなる改革を推し進め、フランク・デ・ブールを監督に、オーフェルマルスファン・デル・サールデニス・ベルカンプ、ウィム・ヨンク、ヤープ・スタムといった往年の名選手を次々にマネジメントに招き入れた。しかしその試みも虚しく、アヤックスは国内的には4連覇を成し遂げたものの、昨年は王者の座をPSVに明け渡し、毎年チャンピオンズリーグでは敗退。2015-16シーズンはラピド・ウィーンに敗北してヨーロッパ・リーグに回った上に、グループステージで敗退するという屈辱を味わっている。

 


それでも、この日のアレナに漂う空気は、ヨーロッパで最も成功を収めたクラブのひとつとしての誇り。現代サッカーの基礎を作った、ヨハン・クライフを生んだクラブとしての誇り。最高の雰囲気の中で、永遠のライバルとの一戦が始まる。

 

 


緩慢な守備から序盤に一点を許したアヤックスだったが、徐々にボールを支配し始める。その中に、あらゆる局面でボール回しの中心となり、チャンスを演出する背番号10のキャプテンの姿があった。

 


幼少期よりアヤックスのユース・アカデミーで育ったデイフィ・クラーセンは、若干22歳にして名門アヤックスのキャプテンを務めている。昨シーズンはオランダ最優秀賞若手選手賞に輝き、今シーズンは名実ともにエールディビジで最も才能あるプレーヤーとして若いチームを引っ張っている。柔らかなボールタッチ、シンプルかつ的確なパス、スペースを見つけファイナル・サードで決定的な仕事をするセンス。90分間全力で走り抜く走力と闘争心を持ちつつ、高い技術に裏打ちされた知性を備えた、オランダ人の生え抜き「10番」。彼こそが、アヤックスの理想を体現する選手だ。難しいプレーをいとも簡単にやってのける姿から、彼は長らく「ベルカンプ2世」と称される。

 


相手ペナルティエリア付近でのボール回しから、一瞬空いたスペースに、クラーセンがワンタッチで短いパスを送る。走り込んだアミン・ユネスがゴールライン際で切り返し、守備陣の隙間を縫ってシュートを放つ。ギリギリの低い軌道を描いたシュートは、ポストに当たり、ゴールラインを割る。同点になると同時に、ここ数試合負傷でクラーセンを欠き低調な試合運びを批判されていたチームにとって、キャプテンの存在がいかに大きかったかを気付かされる瞬間でもあった。


オープンな展開の中、両チームとも気迫の入った守備で失点を許さない。緊迫しているが、ダイナミックで攻撃的なオランダサッカーの醍醐味が濃縮された試合となった。後半、ついに試合が再び動く。今シーズン、チームの主軸として定着した19歳のリーシェトリー・バズールが、アウトサイドに引っ掛けた素晴らしいミドルシュートを叩き込む。その後、ネマニャ・グデリのPK失敗により点差を2点に広げるチャンスを逃したアヤックスだったが、結局は最後まで堂々たる戦いぶりで2-1でクラシケルを制することとなる。

 

 


ところで、アムステルダムの人々は、歴史ある自らのクラブに対して並々ならぬ誇りを抱いており、その選手は特別であるという感覚、そして自分たちがその特別なクラブを支えているという感覚を強く持っているように思える。あるときは選手たちをGodenzonnen (God's Sons)と呼び、またあるときはSuperjonden (Super Jews)と呼ぶ。クラブ設立当初、ユダヤ系のサポーターが非常に多かった名残で、今でもスタジアムにはダビデの星が描かれた旗が掲げられる。今となっては、実際にファンがユダヤ人ばかりというわけではない。しかし彼らは、まるでユダヤ教の教えのように、アヤックスというクラブが神に選ばれたクラブであり、その選手とファンは選ばれた民なのだと信じようとしているようだ。


Een echte Ajacied


クラーセンのような選手はこのように呼ばれる。「真のアヤックス人」という意味合いだ。今シーズンはじめにAZから加入したグデリのような選手がそのように呼ばれることはない。かつて有望な若手外国人選手としてアヤックスに加入し、大きく成長してヨーロッパのビッグクラブに巣立っていったスアレスイブラヒモビッチのような選手に対してアヤックスのファンは大きな尊敬の念を抱いているが、それでも彼らが"een echte Ajacied"と呼ばれることはない。PSVユース出身のバズールや、スパルタユース出身のアンヴァル・エル・ガジもそのように称されることはないだろう。それはクラブを愛し、クラブに対して深いつながりがある、生え抜きのオランダ人選手のみに与えられる特別な称号なのだ。

 

Daley Blind, wie kent hem niet?
Daley Blind is een echte Ajacied!
ダレイ・ブリントを知らないやつはいないか?
ダレイ・ブリントは真のアヤシートだ!

 


今やマンチェスターユナイテッドで主力として活躍するダレイ・ブリントにはこんなチャントが用意されていた。ダレイは現オランダ代表監督であり、キャプテンとしてアヤックスを最後のチャンピオンズリーグ制覇に導いた、ダニー・ブリントの息子だ。言うまでもなく、物心ついたころから彼はアヤックスと共にあり、出場機会に恵まれずファンからもブーイングを受けるような苦しい時期を乗り越え、才能を開花させ、クラブそして代表でも大黒柱に成長した。そんな彼にアヤックスのファンたちは、今となっては最大限の称賛を贈る。もちろん、ブリントだけではない。最近では、ウェズレイスナイデルラファエル・ファン・デル・ファールトナイジェル・デ・ヨング、そして前述のハイティンハといったオランダ人選手がアヤックスのユースアカデミーから育っている。彼らは2度のワールドカップを2位と3位という、小国にしては出来過ぎた成績で終えた「オランイェ」の中心となっていた。そして、アムステルダムの人々は、高い金を払って買ってきたよそ者ではなく、彼らのような生え抜きの選手が、常にチームの大黒柱であるべきだと考えている。

 


アムステルダムの人々は、優秀な選手をコンスタントに輩出し続ける"De Toekomst"(未来)と呼ばれるアカデミーのことを、とりわけクラブの誇りに感じている。事実、アヤックスのアカデミーはヨーロッパで最も多くプロのサッカー選手を輩出しているし、不甲斐ないトップチームとは対照的にユースの大会ではアヤックスは常に優秀候補だ。クラーセンやヴィクトル・フィシャー、ヨエル・フェルトマンら、現在のトップチームの主力がまだユースにいた頃は、NextGenシリーズで準優勝、今年のUEFAユースリーグでもドニー・ファン・デ・ベークやアブデルハク・ヌーリといった好タレントを備えたチームが躍進を続けている。彼らはトップチームと全く同じ4-3-3のフォーメーションでのサッカーを、子供の頃からずっと続けている。コンパクトな陣形を保ち、キーパーまでもがトライアングルを作って細かなパスを回す。ウイングの選手はサイドラインの白い粉でスパイクが汚れるくらいに、大きく外に開いてプレーする。ボールを奪われたらまずはスピッツ(ストライカー)が相手を追いかけまわす。それがオランダサッカーのDNAであり、そしてアヤックスこそがその伝統の創始者なのであるという感覚のもとで、プレーし続けるのである。


アムステルダムをコピーすることはできない」


と、クラブ関係者は語る。科学に裏打ちされたアヤックスの育成メソッドは国中に浸透している。優秀な選手を輩出し続けるアカデミーは、アムステルダムの外にもある。しかし、誰もアムステルダムという街の雰囲気を真似ることはできない。クラブが長い歴史の中で培ってきたメンタリティーをコピーすることは何者にもできない。クラブを信じていれば、70年代と90年代に起きた奇跡の再来を、また目にすることができる。アヤックスというクラブには、ある種、宗教的な狂気がつきまとうのである。

 

 

巨大なマネーゲームになりつつある現代のサッカー界において生え抜きの選手を中心に戦うことも、スピードとフィジカルコンタクトの強さの重要性が年々増す現代の試合の中でもはや絶滅危惧種となりつつあるオランダ流サッカーで戦うことも、無謀な試みのように思える。しかし、アヤックスのファンはこれからもいつも伝統に固執するだろう。クライフの懐古主義的な改革は失敗に終わり、クライフはクラブのアドバイザーの役割から去った。今年、アヤックスPSVから王者の座を奪い返すことができるかはわからない。それでも伝説の「14番」の教えはクラブの血骨であり、その教えのもと、「マイティ・アヤックス」は欧州を制した。それがいつか遠い過去の話になったとしても、アヤックスは常にアムステルダムの人々にとって、そしてオランダ人にとって、特別な存在であり続ける。選ばれた民である彼らには、オランダサッカーのDNAを、後世に伝えていく使命がある。アムステルダム・アレナでは、いささか血の気が多いことで有名なファンたちが、今日も歌い続ける。

 

Dit is mijn club, mijn ideaal,
Dit is de mooiste club van allemaal.
Hier ligt mijn hart, mijn vreugd en mijn verdriet.
Het kan dooien, het kan vriezen, we kunnen winnen of verliezen,
Maar een be'tre club dan deze is er niet...

これが僕のクラブ、僕の理想
これが世界で一番のクラブ
ここには僕の心があり、喜びと悲しみがある
雪が解けることもあれば、凍えることもあるだろう
勝つこともあれば、負けることもあるだろう
それでもこれ以上のクラブなんてどこにもない