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日記など。

映画レビュー~桐島、部活やめるってよ~

今更ながら、「桐島、部活やめるってよ」をDVDで観た。あまりにも素晴らしかったので、感想を書いておきたい。

 

最初に断っておくが、僕は映画のことはあまり詳しくない。だから作品中でロメロがどうとか、タランティーノがどうとか、ゴドーを待ちながらがどうとか、そういう細かいことはよくわからない。

 

それでもこの映画は胸を打つものがあった。たぶん、高校時代にこれを見ても、「なんだよこれ、つまんね」で終わっていたと思う。でも、大人になった今見てみると、あのときまさに悶々と感じていた違和感をまさにバシリと言い当てているような感覚で、見事だと思った。

 

 

中学から高校にかけて、僕はサッカー部という、一般的な意味での「リア充」集団に属すことで、ある程度自分のポジションを担保しながらも、それでもあまり騒ぎまくったりするのは好きではないし交友関係が広いわけでもなかったので、一歩引いたポジションというか、どこか冷めた目で物事を見てしまっていることがあった。

 

でもいわゆる「非リア」と一緒にいるのもけっこう楽しくて、なんとなく「自分はリア充ともうまくやっていけるし、冴えないあいつらとも仲良く話せる、すげーいいやつだ」みたいな、今考えてみるとなんとも傲慢な姿勢をとっていた気がする。

 

その考えがいかに軽薄だったか、「桐島」は思い知らせてくれた。いくらオタク達に寄り添っても、結局僕は逆襲に燃えるゾンビたちに食い殺される薄っぺらい「最低へんじゃない人々」の一員に過ぎなかった。作品中一度も登場していないにも関わらず圧倒的な存在感・カリスマ性を見せる桐島にはなれず、かといってゾンビに徹する勇気もなく、なんとなく都合のいい立場をその時その時で維持しつつ、何を成し遂げるでもなく高校時代を終えてしまった。当時は自分のことしか見えてなくて、なんというか若いときによくある全能感みたいなものを持っていたんだけど、それが今思い返してみればなんとも薄っぺらいものだったか。

 

 

例えば、橋本愛演じるカスミ。彼は映画部の前田と中学の時の同級生で、たまたま映画館で一緒になって話したり、校内でも前田に話しかけたりする。見るからにリア充なギャル二人と一緒にいるけれど、一歩引いた姿勢で、「オタク」達への理解を時として見せたりする。

 

映画のあとにカスミと話せて、その後校内で作った映画を見に行くと言われたとき、前田は死ぬほど嬉しかったはずだ。勘違いしたはずだ。ワンチャンあるかも、と思ったはずだ。それが高校生の思考だ。だから午後ティーを一気飲みするするんだ。

 

でも、カスミは決して前田側の人間ではない。彼女は絶世の美女だ。そして、バドミントンの才能もある。おそらく、(根拠はないが)頭もいい。彼女は特別なのだ。前田みたいに、冴えない・モテない、オタクではない。映画は好きだけどタランティーノの作品の詳細までいちいち覚えていない。

 

そして、彼女には彼氏がいる。彼氏はあの薄っぺらいリア充集団のひとりだ。前田たちが忌み嫌う、チャラくて、顔も運動神経もいい、あいつらの一人だ。

 

あいつは「セックスしたくない女なんていない」と叫んでいたではないか。そこには、当然カスミが念頭にある。あんなに真面目そうで、優等生っぽい彼女だって、セックスしたいんだ。カスミの風貌は凛としていて、いかにもなギャル達とは一味違うけれど、でも彼女だって結局は短絡的で愛情に飢えた単なる女子高生なんだ。それをあのイケメンリア充は知ってしまった。

 

そして、野球部の幽霊部員になった宏樹。目鼻立ちも整い、運動神経は抜群。しかし彼からは一見すると「リア充」にありがちな軽薄さは感じられない。むしろ、思慮深く、他人の気持ちを考えることができる人間のような印象を受ける。しかし、結局彼も、彼女に「キスして」と迫られたら、キスしてしまう。他人の視線に気づきつつ。おそらく、彼は自分からキスを迫ったことは一度もない。でも、迫られたら、してしまう。「そうじゃねえだろ!もっと舌絡めろよ!そういう場面だろ!」と言いたくなるような控えめなキスではあるけれど、たぶん「もうなんかどうでもいいや」みたいな気分で、キスする。望まなくてもキスができる。そして、迫られたら、結局流されてしまう。そんな様を見せつけられること以上に非リアを傷つけることなんてない。

 

思うに、非リア・オタク達にとって、桐島の彼女の美人ギャルや、いかにもチャラそうなギャルその2とかリア充パーマ野郎がセックスしまくりなことなんて、大したダメージじゃない。平凡な僕らは「イニエスタはチャンピンズリーグもワールドカップも制覇していてずるい!」なんて思わない。あまりにも戦う土俵が違いすぎるからだ。でも、リア充集団に属してはいるもののそんなにチャラくなくて、時として自分たちへの理解も示してくれるような、カスミや宏樹のような人たちが、実は自分たちの見えないところでよろしくやってしまっているという事実は、彼らを何よりも深く傷つける。結局、やつらも「向こう側」の人間なんだ、と思い知らされる。

 

結局、性欲なんだ。性欲が故の軽薄さ。それに対して非リアは憤るけれど、結局自分たちが考えてることだって一緒なんだ。

 

 

ああ、なんか全然まとまらなくなってきたのでそろそろ辞める。結局自分がどういうふうにこの作品に心打たれたのかもよくわからなくなってきた。でもとにかく高校生の薄っぺらいコミュニケーションと心の揺れの描き方がすさまじいリアリティーで、本当に素晴らしいと思った。今度またGEOで借りて見なおしてみようとおもう。