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日記など。

テントを背負って山を旅する道具についての考察

山を旅し始めたのは5年ほど前。登山歴5年というとそれほど経験があるわけでもないけれど、繰り返し山に行く中で道具に対するこだわりも出てきたので、日々感じていることをまとめようと思う。

 

「登山」という言葉はかなり曖昧な言葉だ。一口に登山と行っても一般登山道を行く人もクライミングをする人も、あるいは雪山を登る人もいる。個人的には山を「登る」行為が特別好きなわけではない。だって、辛いじゃん。なので「山旅」とか「ハイキング」という言葉の方が自分の気持ちにはフィットするけど、残念ながら日本にはピークを踏まないロングトレイル文化は十分に根付いているとは言い難い。なので絶景を見て、自然の中に長く身を置きために、結果的にピークを踏むことがほとんどだ。

 

人によって山行のスタイルは異なるので、自分のスタイルに合わせた道具を選ぶべきだ。自分はファストパッキング、というほどではないが、ある程度荷物を軽量化した上で軽快に長い距離を歩くことに喜びを感じるタイプ…だと思う。

 

最近はなんとなく好みが確立されてきたので、持っている装備と考えているポイントを紹介したい。総じて意識しているのは、以下の3点だ。

  • 高すぎず、手に入りやすいこと
  • ひとつのアイテムで複数の用途を兼ねることができること
  • 軽さと快適さのバランスをとること

 

道具はいくつかのカテゴリーに分けられる。今回は、

  1. 行動着
  2. 雨具
  3. 防寒具
  4. 靴と靴下
  5. 必携の道具
  6. テント泊のための道具
  7. ザック
  8. 食事のための道具

の8つに分けて整理したい。書いてみて思ったがやはりモンベル多めだ。安くて高品質。ダサいことに目をつむれば本当に頼れるメーカーだ。

 

1. 行動着

まず自分は非常に汗っかきだ。汗を極力かかないことも重要だが、どんなに気をつけても登りでは汗をかく。本格的な冬山登山はやらないので、冬でも汗をかく。その前提で服装も考える。その結果、最近は下記のような装備になることが多い。

 

インナー: 【モンベル】ジオライン クールメッシュ ノースリーブシャツ

ミレーのドライナミックメッシュなど網状のものをインナーに選んでいたが、発汗量が多すぎると水が吸われない感覚に違和感があり、快適さを感じにくかった。なので割り切ってモンベルの軽い着心地のインナーにしている。基本的にインナーはこれだが、あまり行動量が多くなさそうな冬季はモンベルのウールの半袖シャツに切り替えることもある。

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シャツ: 気温に合わせて選べば、なんでもよい

夏は半袖。登山用の化繊のTシャツならそんなに大きな差は生まれないので、気に入ったデザインであることのほうが重要。いろいろ買って試している。今年の当たりはホグロフスのシャツ。襟付きのシャツはなんとなく避けていたけど、乾きも良いし、襟が日焼け対策にもなるし、かなり都合がよかった。秋・冬はインナーの上に直接、ハーフジップの長袖Tシャツを着る。

 

haglofs.jp

 

アウター: 【Haglöfs】リムシリーズ シールドコンプ フード

汗をかく状況ならそもそもアウター的なものは着ない。汗をかかないなら、通気性や透湿性を気にする意味があまりない。なので、寒くなってTシャツの上に着るものなんてレインウェアでいいだろ!と思っていたけれど、アウトレットのセールで安かったウィンドシェルを着てみたところ着心地もよく暑すぎず非常に快適だった。はっきりいってこの軽さなら別に大した荷物にもならない。そこを切り詰めるほどストイックになる必要もないと思っているので、これは買って大正解。ちなみに木更津のアウトレットにはホグロフスのショップがあります。

 

haglofs.jp

 

ボトムス: 【GU】マルチテックショーツ

夏はデメリットも理解しつつ積極的に短パンを履いていく。なぜなら暑いので。そして、ここでまさかのGU。インナーメッシュ付きで海パンとしても使え、安価で履き心地が良いということで2020年ネット上で話題になりすぐに売り切れた。アウトドア向け短パンはパタゴニアのバギーズが定番だが、バギーズのロングよりも若干丈が長い。自分は腿が長いのでバギーズだと少し短いかなぁという印象を持っていたけれど、この長さは自分にベストフィット。水と汚れに強い海パンを登山用のショーツとして履くことは一定の合理性がある。ちなみにノーパンで履いている。それで良い。

 

秋〜冬にかけては下にタイツを履くことになる見込み。それでも寒いということは自分の体質と山行スタイル的にはあまりなさそうだけど、あまりに寒ければタイツの上に長ズボンを履く。夏のテント泊でも短パンが著しく濡れたり汚れたりしたときの保険・および後述する保温用パンツだと暑すぎるときの対策として、軽量な長ズボンをザックの中に入れている。

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帽子: 適当なトラッカーキャップ

下の記事で分類が紹介されている後ろがメッシュになったキャップのこと。帽子は必須だと考えるようになった。理由はふたつある。まずひとつ目が汗対策。僕は特に頭・顔からとても大量に汗をかく。Haloのような汗止めバンダナを試したりもしたけど、頭が締め付けられる感覚が苦手だったのと、何より顔の形とバンダナが絶望的に合わず滑稽な見た目になりすぎてしまう。なので、結果的になんの変哲もないトラッカーキャップを被る、という解決策に落ち着いた。大量発汗するので夏場はつばの先から汗が滴り落ちてきてキャップ全体はびしょ濡れになる。なかなか乾かず不快ではあるが、なにも対策せず頭頂部からの汗が顔に流れ、さらには上半身に流れ続けることの不快さを考えると、むしろつばの先から汗が落ちてくれることのメリットは非常に大きいと考えるようになった。そしてもう一つの理由が日焼け防止だ。ハットを使うほうが日焼け対策効果は高いが、最低限の対策としてキャップは有効だ。それに、アメリカのハイカーみたいでかっこいいじゃん。どこでも手に入るし気に入ったデザインを選べる。

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2. 雨具

これはオーソドックスなレインジャケットとレインパンツしか持っていない。

 

レインジャケット: 【finetrack】エバーブレスフォトン

選んだ決め手はしなやかな着心地と透湿性の高さ。着心地が良いので、積極的にウィンドシェル代わりにも使えるし、行動を妨げないのでちょっと走るときにも快適。一般的なGORE-TEXはゴワゴワしていて苦手なのでこの素材は自分の好みにドハマリだった。

www.finetrack.com

 

レインパンツ: 【モンベル】サンダーパスパンツ

まぁ、これで不便を感じたことは特にない。沢登りをするわけでもないし、最低限、雨のときに脚が冷えなければ良いと割り切っている。よりUL志向に行くなら同じモンベルのバーサライトパンツにしてみるか、あるいはより大きな安心を得るためにピークシェルパンツにしてみるか…など思案中ではあるが、決定打にならずいつもこいつをザックに忍ばせている。安いし。

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3. 防寒具

厳冬期の雪山には行かないので、防寒具といってもダウン、保温用のパンツ、手袋だけだ。

 

ダウンジャケット①: 【THE NORTH FACE】 フード付きダウン(800FP)

ハワイのアウトレットで格安で買うことができた一品。宿泊ならこれを持つ。軽くて温かい。フードは邪魔かなぁと思ったけど、被ると暖かくて気持ち良い。写真なし。

 

ダウンジャケット②: 【ユニクロ】ウルトラライトダウン

日帰りならウルトラライトダウンを持つ。冬の低山でも自分の場合、停滞時間はMax 30分なので、持っている服を組み合わせればウルトラライトダウンでも大丈夫。寒さが不安ならTNFのダウンを持つだろう。

 

保温用パンツ: 【モンベル】U.L. サーマラップパンツ

軽くて温かい。テント場で着ているのと、冬にスーパーやコンビニに外出するときなんかも履いている。色とデザインは微妙だが、3シーズンの防寒には十分すぎるくらい。真夏なら持っていかなくてもいいけど、自分は極限まで荷物を削るスタイルではないので持っていく。テント場でさらに寒さが気になるようなら荷物に保温タイツを追加するイメージ。

webshop.montbell.jp

 

手袋: 【ショーワグローブ】テムレス

説明不要。軽く、暖かく、衝撃的に安い。黒いバージョンが販売されているが、愛用は昔ながらのダサい青。ダサくて何が悪い。

www.showaglove.co.jp

 

4. 靴と靴下

気持ちよく歩けて、気が向いたら走ったりできるという自由さを手に入れるためにはローカットのトレランシューズ。ハイカットの登山靴も持っているけれど、基本はローカット。足首を締め付けられない感覚が自由で好き。厳しい岩稜帯や悪天候が予測される場所にいるのでなければ、まったくもってこれで十分。ただしローカットシューズやトレランシューズの利用は自身の筋力や技術を考えて慎重に。

 

靴: 【ALTRA】ローンピーク4.5

ロングトレイルのド定番。防水性はないが水と蒸れを逃がす作りになっているので、多少の雨や、浅い水たまりや沢に足を突っ込んだ程度であれば快適に歩き続けることができる。足本来の力を引き出す作りは慣れていないとふくらはぎに強烈な筋肉痛をもたらすけれど、慣れてしまえばこんなに自由に歩ける靴はなかなかない。

ちなみに、今シーズンはアルトラ愛用だけど、昨シーズンまではSalomonのGORE-TEXのトレランシューズを使っていた。Salomonは比較的安価かつ簡単に手に入って品質もデザインも良く、シューレースはストレスなく使えて本当に便利。もう一足買ってアルトラと使い分けようと画策中。

altrafootwear.jp

 

靴下: 【Injinji】アウトドア ミッドウェイト ミニクルー

適度な厚みが気持ち良いソックス。ウール混ながらそんなに価格も高くないのでガンガン使える。ちなみにテント泊にあたって適切なサンダルを未だに見つけることができずビーサンを使っているんだけど、5本指ソックスなのでビーサンも履けるというちょっとした便利さも。ミッドカット以上の登山靴を履くときのためにもう少し丈の長いタイプも持っている。

www.mountain-products.com

 

 5. 必携の道具

ここで言う「必携の道具」とは、日帰りであっても泊りがけであっても必ず持っていく道具ということだ。言い換えると、着るもの以外でどんな場合でも欠かすことのできない装備ということになる。

 

折りたたみ傘: 【モンベル】U.L. トレッキングアンブレラ

まずは折りたたみ傘。登山の必携品を掲載しているサイトや本は多くあるが、以外なほど傘を勧める情報は少ない。しかしもはや登山において傘は新たな常識になっていると言って差し支えないだろう。樹林帯である程度広くて平坦な道なら傘をさして構わないだろうし、下山後に雨が降っているときの林道歩きのときにもよく使う。公共交通機関で移動するときに自宅付近で雨が降っていたらどうする?わざわざレインウェアを出して着るのか?馬鹿げている。素直に傘をさせば良い。

また、非常によく使うのが、テント場だ。後述するが、僕のテントはシングルウォールだ。つまりテントの入口を開けて雨が降っていたらモロに雨が入ってくる。食事のときが大変だ。テント内で火を使いたくはないが外は雨…そんなときによく、テントの中にいながら入り口を開け、傘を広げてその下で火を使ったりする。トイレや水場に行くときにも重宝する。モンベルのこの傘はたかだか123gしかない。極限まで重量を切り詰めたいわけじゃないのであれば、持っていかない理由はほとんど見当たらない。

webshop.montbell.jp

 

エマージェンシーキット

緊急用の道具を入れたケースを必ず持ち運ぶ。意外とかさばるが、背に腹は変えられない。絶対に削ってはならない。もっと中身を吟味したいが、とりあえずいまのところ入っている中身は下記のとおりだ。

  • 絆創膏
  • 消毒液
  • キズぐすり
  • 常備薬
  • テーピング(伸縮しないタイプ)
  • ダクトテープ
  • 携帯トイレ
  • ホイッスル
  • ピンセット、ロープ、結束バンドなど
  • SOL エマージェンシーブランケット

SOLのエマージェンシーブランケットはなんだかんだ持っていると安心。幸い、テント内以外ではこれまで使う機会はないが、包まれば保温力が高まるし、テントの床に敷けば床からの冷気を緩和してくれる。日帰りでも忘れずに持っていきたい。その他、緊急用に三角巾があったほうがいいという情報が多いが、テーピングで代用できると考えている。

 

浄水器: 【SAWYER】ミニ

マイナーなルートを通る際には必ずしも豊富に水場が用意されているとは限らない。浄水器を持っていれば、沢さえあれば水を確保できる。また、あまり考えたくないが、遭難して沢に迷い込んだときもこれがあればほんの少しだけ安心要素が増える。これまた必携である。

www.uneplage.net

 

トレッキングポール: 【Black Diamond】ディスタンスカーボンZ

色々考えた結果、この軽量なトレッキングポールを、日帰りの際も極力持っていくことにしている。山に行って身体を鍛えたいという人もいるだろうけれど、僕は極力疲れずに長い距離を歩きたい。なので身体へのダメージを最小限にするために、トレッキングポールはあったほうがいい。僕はサラリーマンだ。トレッキングポールは月曜日がなるべく憂鬱にならないようにするための必需品だ。

www.lostarrow.co.jp

 

時計: 【Garmin】Instinct

正直言ってこれはそんなに高機能なものは求めていないのでなんでもいい。たまたま、安く手に入る術があったので使っている。自分が使っているものは廃盤で売っていないようだけど、Garminのアウトドア用ウォッチの中でも最安値くらいのものを使っている。たまに高度や方角をチェックしたりするくらいなので、シンプルなデザインで防水ならもっと安いものでも構わないと考えている。ただし昔、中華製の防水アウトドア用ウォッチを使っていたときに数回利用しただけで壊れたので、やはりそれなりに名の通ったメーカーのものにすべき。

www.garmin.co.jp

 

ヘッドライト: 【Black Diamond】スポット325

日帰りでも必ず持っていきましょう。

www.lostarrow.co.jp

  

日焼け止め

日焼け止めは本当に重要。絶対に忘れてはならない。絶対に。以前、夏の山で日焼け止めを塗ることを怠った場合に酷い炎症になったことがあり、それ以降、どんなときも欠かさず持ってこまめに塗るようにしている。

 

虫除けスプレー

山は虫だらけだ。上信越の山ならブヨ、夏の緯度が低いところならヒルなど、やっかいな存在も多い。今年の夏に行った南アルプス深南部もヒルがすごかった。全身に吹きかけるだけでなく、靴や靴下にも念入りに吹きかけるようにしている。

 

サニタリーセット

どう名付けるのが適切かよくわからないけれど、防水のケースに歯ブラシ・歯磨き粉・ティッシュ・ウェットティッシュ・ワセリンを入れて持ち運んでいる。日帰りでも下山後の温泉などで歯を磨くとすっきりするし、いちいち出し入れするのも面倒なので毎回持っていっている。そしてワセリンはとても重要。手や唇の保湿に使えるし、靴ずれ対策にも使える。また、歩行距離が長くなることが予想されるときは足裏や指にまんべんなく塗ってマメ対策をしている。こういうのをいちいちやるのは面倒だけど、やらなかったときの後悔をするくらいなら面倒でもやりましょう。

www.vaseline.jp

 

モバイルバッテリー

必携の装備としてなかなかクローズアップされないが、地図アプリの入ったスマートフォンとモバイルバッテリーはもしものときに生存の可能性を高めてくれる。持っていくもの自体は時と場合によって変えていて、日帰りなら軽量コンパクトな一回分の充電ができるもの、1〜2泊なら大容量のもの、それ以上であればソーラー充電もできるもの、というようにしている。また、登山開始時点でなるべくスマホの充電がフルになっていること、というのも重要視している。例えば中央特快や新幹線なら充電ができる車両も多いので、その場合はコンセント型のバッテリーを必ず持っていく。車ならUSBやシガーソケットから給電できるようにする。僕は電車やバスの中で寝るのが苦手でついついスマホをいじってしまうので、より一層バッテリーには気をつけている。

 

Kindle

軽くて長時間バッテリーが持つKindleも必需品。なるべくKindleで本を読むことでスマホのバッテリー消費を抑える効果もあるため、日帰りでも電車やバスの中で読むために持っていく。

 

ポリ袋とジップロック

30Lくらいのポリ袋は万能なので何枚か必ず持っていく。ジップロックも防水のため、荷物の仕分けのため、簡単に手に入ってそこそこ丈夫なスグレモノ。完全密封しなくて良いものであればファスナーがついた「イージージッパー」がおすすめ。ここに行動食なんかもいれている。

www.asahi-kasei.co.jp

 

地図とコンパス

これは時代が変わっても普遍。紙の地図は必ず持つ。サコッシュの中など、常に取り出しやすい場所に入れてこまめに見る。最近はスマホ山と高原地図やYAMAPで地図を取得しておいて、手元の紙の地図は地理院地図を山と高原地図よりも拡大された尺度で印刷しておく、というやり方にしている。コースタイムはスマホで確認し、より詳細な地形や方角の確認は紙の地図で行う、というやり方だ。自分は読図の技術がまだまだ未熟だけど、実際に試して慣れないと上達しないと思うので、地図はじっくり時間をかけて確認するようにしている。

 

サンダル: ビーサン or KEEN シャンティ

日帰りでもビーサンはなるべく持っていく。100均のものでなんの問題もない。下山後にストレスなく帰宅するという意味合いもあるし、リスク軽減という意味合いもある。本当にお恥ずかしい話だけれど、昔、行動開始から1時間程度でたどり着いた沢が前日までの雨で雑炊しており、裸足で渡ろうとした際に手を滑らせて登山靴が片方だけ流されてしまったことがある。それ以上進むことも無理なので、片足だけビーサンを履き、泣く泣く道を引き返した。これが裸足だったらもっと危険で、もっと不快だっただろう。これは特殊ケースではあるけれど、お守りとしてビーサンくらいは持っておこうと心に誓った。五本指ソックス を履いてダクトテープで固定したらけっこう安全に歩けるんじゃないかと思う。トレランシューズなのでテント場でサンダルは履きません。無意味。

KEENのシャンティは3シーズン、車で移動する際に履いていて、車に置いていくものだ。汚れた登山靴で自宅まで帰るのはけっこうなストレスなので、なんらか、履き替える靴は持っておいた方が快適だと思う。

 

www.keenfootwear.com

 

 

6. テント泊のための道具

テント泊の装備には皆さんいろんなこだわりがあると思う。 自分の場合、軽量であることと、設営・撤収がしやすいことが重要と考えるようになった。雨の中で設営・撤収しないといけないとき、疲れていて今すぐテントの中に潜り込みたいとき、朝寝坊して早く片付けて歩き出したいとき…設営・撤収が簡単なら、ストレスを少しでも減らしてくれる。

 

テント: 【PAINE】G-LIGHT X

ぶっちゃけると、グレートトラバースに憧れて購入…。シングルウォールなので色々不便です。いくら結露が少ないとはいえ、ダブルウォールに比べたら圧倒的に不便。笑 でも、軽くて、手際よくやれば誇張ではなく1分で説明できる。このテントで泊まりすぎてテントに対するハードルが著しく下がっているのでたまに登山を伴わないキャンプで手持ちの安物のダブルウォールのテントで寝たり友達のSnowpeakのテントで寝たりするとめちゃくちゃ感動する。廃盤なのが残念。

www.greattraverse.com

 

寝袋: 【モンベルアルパインダウンハガー800 #3

説明不要のド定番アイテム。これで十分。

webshop.montbell.jp

 

シュラフカバー: 【モンベル】タイベック スリーピングバッグカバー

シュラフカバーなんていらんやろ!と思っていたけど、保温力を高め、ほどよく濡れを防ぐので、意外と重宝。本当に外が強い雨で結露も酷くなりそうな状況なら足元にポリ袋をかぶせるので本末転倒感は否めないが…。ところで、車中泊をするようになって、車内でこれ1枚を被って寝てみたところかなり丁度よかった。暑くて寝苦しいときはテントの中でもこれ1枚で寝てしまえばいい。必須ではないが、テント泊の快適性を10%くらい上げてくれるアイテムだ。

webshop.montbell.jp

 

枕: 100均のエアー枕

シュラフカバーと同じく、いらんやろ!と思っていたけど、大した重さでもないし持っていって損はない。着替えを入れた袋の上に置いて使っている。

 

耳栓

安眠のために必須。テント内でも動物が近づく音などに気づけるようにしておいたほうがいいのでは?とも思うので使うのに躊躇するときもあるけど、 まぁ気づいたところで本当に危害が及ぶ状況ならもう手遅れ。諦めて安眠を優先しましょう。

 

 ライト: 【CARRY THE SUN】Warm Light Small

軽量なソーラーライト。なくてもいいけどテント内の生活を少しだけ快適にしてくれる。

carrythesun.jp

 

7. ザック関連

正直、納得いっていない部分もあるけど、あまり長い休憩をとらずに歩き続けることが多いので、ザックを下ろさなくてもいろんなことができるという点は重要視している。昔はチューブを吸って水を飲むタイプのハイドレーションを利用していたけど、残量がわかりにくい・水場で給水するときにいちいちザックの中を掘り起こすのが面倒・ゴムの味がして水がまずい・掃除が大変…といったネガティブ感情が爆発。ザックの横についてるポケットにボトルを取り出そうとすると手を届かせるのに一苦労で嫌だ。そんなときにふと、トランスジャパンアルプスレースの映像を見ていたら、みんなペットボトルをショルダーハーネス部分から取り出して飲んでいるではないか。これのほうが絶対便利じゃん。ということでこだわりポイントは身体の前に飲み物や重要なアイテムが来ること。

 

日帰り用: 【Terra Nova】Laser 20 Pro

Proじゃないとダメ。決め手は、ショルダーハーネスにボトルを入れるポケットがついていること。ここに水とポカリを刺しておく。20リットルとそこそこの容量なので下山後の着替えも含めてここにまとめて入る。そんなにストイックに活動したいわけではないのでやらないけど、ストラップがついていたりするので頑張ればテント泊装備も入ってしまうと思う。

yosemite-store.com

 

 

テント泊用: 【モンベル】バーサライトパック40

正直、あまり満足していないので買い替えようと思っている。背負心地や機能性はそこそこ、ただし710gと軽い。一度、木の枝にひっかけてしまいザックの中央が破れてしまったことがあるけど、モンベルの工場で修理してもらった。アフターサービスも素晴らしい。

webshop.montbell.jp

 

サコッシュ: 【RawLow Mountain Works】Nuts Pack

サコッシュというかウェストバック。軽量で身体にフィットするので険しい岩場を歩くときや軽く走ったりするときも安心。山と高原地図もちゃんと入る大きさで、500mlペットボトルも入る。なのでアタックザック代わりにもなる。いちいちジッパーをいじらないといけないのは不便なので、外側にメッシュポケットがついてたらなお良かったかな。スマホ、地図、コンパス、行動食、日焼け止め、虫除けスプレーを入れてすぐに取り出せるようにしている。

rawlow.jp

 

その他: 【Mammut】Add-On Bottle Holder

これも水を飲んだり水場で給水する行為をザックを降ろさずに済ませるために購入。Mammutである必要はないし、そもそもザックにボトルホルダーがついていれば不要なので、ザック自体を変えたいなぁと思う今日このごろ。

www.mammut.jp

 

8. 食事関連

まず、お湯を沸かす以外の料理は行わない。固形燃料だし、コップすら持たない。そして、なんらかの酒を持っていく。このふたつを前提に、いかに快適に食事ができるか、ということを考える。

 

ストーブ: 【Esbit】Titanium Stove

冗談かと思うほど軽く小さい。冗談かよ。お湯をわかすだけなので、固形燃料で十分。ただし悪天候が予測される際や、稜線で風が強いテント場に泊まるときなどはアルコールストーブ、もしくは普通のガスカートリッジを持っていくようにしているので、あくまでデメリットを理解しながら軽量化する形。

moonlight-gear.com

 

クッカー: 【エバニュー】チタンマグポット500

お湯を沸かすだけなので、これで良い。また、朝は沸かしたお湯にインスタントコーヒーを入れて飲む。ただし日帰りの場合はいちいち沸かすのがめんどくさいので山専ボトルにお湯をつめていくことも。

evernew-product.net

 

手作りコージージップロック

お湯を沸かすだけで何を食べているのか?というと、ジップロックに入れた食料である。モンベルのリゾッタとかフリーズドライの食料でもいいんだけど、コンビニやスーパーで簡単に手に入る食料にすることも重要。なので、例えば軽くてカロリーが高いカレーメシなどをジップロックに移して、さらにポテチを加えることでカロリーをブーストする。食べるときはジップロックにお湯を入れ、手作りしたコージーで保温しつつスプーンで食べる。食事というより餌だ。これはカロリー摂取のための行動と割り切り(ちゃんとうまいですけどね)、タンパク質を補えるツマミ類で楽しむスタイルです。

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その他: 潰した2リットルペットボトル

プラティパスとかいろいろあるけど、別にこれでいいですよね。自宅で常備しているアルカリイオン水の2Lボトルを潰して持っていく。軽いし2リットルも入る。プラティパスの方がコンパクトでは?と思うかもしれないけど、水場が少ない場所では2リットルいっぱいに水を入れて持ち運ぶシーンも想定しないといけないので、ここをコンパクトにするメリットがそんなにあるとは思えない。潰したペットボトルだと穴が空きやすかったりするかもしれないけど、ダクトテープを常に持っているから大丈夫。

 

おすすめの酒とツマミ

テント場でビールを飲むことは幸せな行為だ。だが、ビールは重い。度数が高いアルコールを基本に、ビールは気が向いたら持っていく、もしくは小屋で買う(高いけど…)。おすすめは下記。これじゃなくても、極論、ペットボトルなど軽量な容器に移せばなんだっていい。

  • ジムビーム ポケットボトル200ml:なんとボトルがペットボトル。軽い!
  • パックワイン:正式名称がよくわからないけど、最近、プラスチックのパックに入った250mlくらいのワインが売ってることがある。これは持ち運びやすいので登山にもいい。
  • ビーフジャーキー:軽く、高タンパク。登山中の食事は炭水化物に偏ってしまうことが多いのでタンパク源は重要。

 

 番外編: 持っていくのをやめたもの

荷物を軽くするためには、道具自体を軽量化することよりもまず持っていく必要がないものを削ることが大切。もっとストイックに削ろうと思えば削れるけど、そこまでの軽量化を求めてない。上記の装備だとベースウェイトが6kg未満くらいにはなるので、ウルトラライトとは言えないけど十分軽いんじゃないでしょうか。というか、これでも重いと感じるなら山に行く前に体鍛えたほうがいいのでは?と思う。

  • 防寒用のフリース:春夏秋なら、ダウンが暖かければいらないです。寒かったらもってるものを全部着込んでエマージェンシーシートと寝袋にくるまる。
  • タオル:自分の場合、タオルで汗を拭いてもとめどなく汗をかくので、結局無意味ということに気づいた。テント立ててる間に汗は引くし。最近は手ぬぐいすら持ってない。
  • マグカップ:いらんでしょ。軽量なものだったとしてもかさばるし。クッカーから直接飲めばいい。
  • アルファ米:これに限らずフリーズドライ製品って高いし手に入れるのが面倒。カロリーを考えたら効率的でもないし。だったらスーパーで手に入るもので工夫すれば良い。
  • ウォーターキャリー:ペットボトルで十分。
  • パンツ:いる?ノーパンで海パン履く、もしくはノーパンでタイツを履く、で特になんの不自由もない。

 

 さいごに

大事なことは、自分がどんな旅をしたいのか、軸を持つことであると思う。自分の場合は軽いことも大事だけど、不快さを下げたり安全性を高めたりすることも重要。なので、厳密に言うと使わないことが多い道具も持っていく。人によってスタイルは様々なので、自分のスタイルで楽しい旅を。

 

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On a Sunday

日曜日だった。

 

 

 

同居人が友人と旅行に出かけていて、一人で目覚めた。一人で過ごすには少し広い部屋。寒々しい冬の朝。前日、山道を長い距離歩いたり走ったりしたせいで身体が少し痛む。目を覚ますためシャワーを浴びて、着替えて家を出る。電車を乗り継いで知人の家に向かい、子供と遊んで美味しいご飯を頂いて、昼過ぎまで過ごす。ああ、今日はあとは何をしよう。曇っていて、夕方が近づいていて、何もする予定がなくて、日曜日だ。近所の行ったことのない銭湯に行ってみる。どうやら区民が割引になる日だったらしく、ぎゅうぎゅう詰めの浴槽に少し浸かってから、しばらく腰掛けていると、幸運なことに少しずつ人が少なくなってくる。浸かって、上がって、を繰り返す。湯けむりの上がる、湿度が多くて清潔な銭湯だ。たっぷり汗をかいて、寒空の下、家路につく。ちょっと歩きたい気分だ。30分ほどの道のり、ゆっくりと歩いていく。

 

 

三連休の中日の日曜日。街は心なしか少し落ち着いた雰囲気だ。坂を上り下りして家の近くまでやってきた。スーパーに寄って一人分の食材を買う。一人暮らししていたときは、どんなふうに時間を過ごしていたんだっけ。この場所では、その時々の気持ちを、なるべく書き記してきたつもりだけど、いざ文章を見返してみると自分がどうやって生きていたのかまるでわからない。いや自分はもしかして生きてなどいなかったのではないか。何を食べ、どうやって時間が過ぎていっていたのか、さっぱり思い出すことができない。ブログやSNSを見返してみると、そこにあるのは連続した生活の記録ではなくあくまで断片的な日常のかけらでしかなかった。あの日、友達と楽しい時間を過ごしたあと、どうやって家に帰ったんだっけ。家の近くにはどんなコンビニがあったっけ。そこに寄ったんだっけ、それともそのまま家に帰ったんだっけ。あの頃、たとえば飲んだあと家に帰ったら、どんな過ごし方をしていたんだっけ。そのまま眠りについたのだろうか。何か食べたり飲んだりしていたのだろうか。その瞬間には色鮮やかで、忘れがたいと思っていた日々が、後から振り返ってみると驚くほどに断片的で、おぼろげでつかみどころのないもののように感じる。様々な記憶が混じり合って本当の姿を失っていく。人の記憶はこうも儚いものなのかと思う。

 

 

どうしても覚えていたかった記憶をうまく思い出せずにもやもやとすることもあれば、突然、長い間ずっと忘れていた記憶が鮮明に蘇ってくることもある。あの空気の匂い。あの空の色。ずっと忘れていた。でもそのとき、確かに僕は、心をゆり動かれていた。

 

 

Jimmy Eat Worldの初期の曲に "A Sunday" という曲があって、それを思い出した。

 

 

日曜日、手に入ると思ったものが手に入らない。クスリが抜けて眼の中から霧が消えていく。クスリというのは文字通りの意味ではないかもしれない。何かへの執着、あるいは何かに向き合い、それを乗り越えるための、正しくはない方法。キリスト教文化において日曜日というのは特別な意味を持つ。罪の意識、救い、その中で前に進む気持ち。前向きでなくても、罪や、痛みと、共に生きていくのだという、ある種の決心や予感。

 

On a Sunday I'll think it through.
On the drive back I'll think it through.
What you wish for won't come true.
Live with that.

 

Live with that. 

 

痛みは、消えることがない。それと共に生きていく。しかし眼の中の霧は晴れている。そんな、100%前向きなわけではない感情を、これ以上ないほどに美しいギターとストリングスに乗せて歌った曲だ。

 

地味な一曲だ。彼らの代表曲である、 "Sweetness" や、 "The Middle" のような、ストレートで明るいメロディアスなロックチューンと比べると、地味で、暗い。

 

 

でも、僕はこの一曲を聴くたびに、救われた気分になる。この曲を彼らは "Clarity" というアルバムに収録した。霧が晴れる。靄が消えていく。透明度が増す。この曲を聴くと、ベタベタな表現だけれど、心が洗われる。

 

 

家に帰る道、頭の中でこの曲が鳴り響いていた。なんでだろう。何かに、救われたと感じたのだろうか。これでいいのだと、思ったのだろうか。間違っていないと。いろんなことがあったし、これからもいろんなことがあるだろうけど、その色々な記憶とともに、これから生きていくことができると、もしかしたら思ったのかもしれない。なぜ、そう思ったのか、説明することはできない。ただ、なぜか、そこには、救いがあった。前を向いていてもいいんだ。痛みは消えることがなくても、そのまま生きていくことはできるから。

 

 

The haze clears from your eyes on a Sunday

 

  

湯上りの濡れた髪を冬の風が乾かして、霧が眼から晴れていった。

 

 

街の話

寒かったり暖かかったり、不思議な天気が続いている。ある日は気持ちの良い小春日和、またある日は冷たい雨の降る冬の一日。今日は気だるい気分の土曜日、部屋の外では小雨が昨日の夜から止むことなく降り続いている。

 

 

気づいてみれば今の家にも住み始めて2年が経とうとしている。この街はきちんとした人が多くて、どこに行くのにも便利で、買い物にも食事にも困らないけれど、大きな道路が走っていて緑はそんなに多くない。ラーメン屋や居酒屋は少なくてちょっといい値段のするチェーンのレストランが多い。退屈で、穏やかな街だ。とても好きになることはこの先もないかもしれないけれど、嫌いになることもなさそうだ。いろんな事情で、少しの妥協もしながら、当面はここらへんに住み続けるのだろう。

 

 

 

街に住むというのはどういうことなのか、と最近はよく考える。少し前に5ヶ国を巡る旅をして、様々な街に数日間ずつ滞在して、現地のものを食べ、現地のスーパーや薬局を覗き、街を歩き、バスで移動して、その街の空気を感じとった。思い返してみると、学生の頃の旅はまさに未知との遭遇の連続で、見たことのない景色に心を痛めるほど感動して、自分の将来とか、生活とか、そんなことは抜きにしてただただ圧倒されていた。大人になった今、旅をして見える景色は少し違ってきている。この街に住むというのは、どのような感覚なのだろうか。この人たちはどこからやってきて、どうしてこの街に住むことを選んだのだろうか。もし、自分がこの街に住むとしたら、どんな生き方をすることになるだろうか。そんなことを、どこに行っても考えるようになった。それは昔よりも自分の思考が現実的になったということでもあり、もしかしたら物事に素直に感動する感覚が鈍くなってしまっているということなのかもしれない。しかしそれはまた一方で、旅先の街を単なる鑑賞の対象としてだけではなく、より現実味を帯びた、自らに近い存在として感じとれるようになったということでもある。それを成長と呼ぶのか退化と呼ぶのか、僕にはわからない。しかし、その街に住むことをより深く考えてみると、見えてこなかった風景が見えてくるようになる。普通なら歩くことのない道を歩いてみたくなる。ある意味、大人になって色々なものを見て、経験して、今まで以上に好奇心が旺盛になったと言えるのかもしれない。

 

 

きっと今の時代なら、いろんな街に住むことができる。インターネットがあれば、必ずしも東京にいなくても東京の仕事をすることができる。日本にもいろんな街があるし、世界に目を向けたら選択肢は無限にある。数年後、自分はどこに住むことを選ぶのだろうか。その街に住むことで、自分はどんな人生を送ることを選択しようとしているのだろうか。その街のことを、自分はどれだけ愛しているだろうか。もしかしたらぼんやりと、ずっと今の街に住み続けるのかもしれない。もしそうなったら、自分は老いたときに、どんな人間になっているだろうか。

 

 

 

将来のことを考えるのは恐ろしいことでもあり、興奮することでもある。マンションの10階。たまに見ることのできる夕焼けは美しい。雨に濡れた今日のベランダからは見えそうにない。それでもまだこの街で、何度も訪れるであろう夕方に、また今日とは違った気持ちで、東京の風景を眺めることができるだろう。悲しい気持ちのときも、幸福な気持ちのときもあるだろう。でもきっと、その時々の気持ちに合わせて、自分はこの風景に感動し、癒されることができる。そう思えるこの家のことは、嫌いじゃない。

 

 

 

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変化と鈍感さについて

ぬるりと生暖かく湿った風が10月になっても吹いていて、夕方の薄暗がりの部屋では季節外れの扇風機が今もせっせと羽根を回している。

 

働く場所を変え、外国で少し長く時間を過ごし、日本に戻って、左手の薬指のリングの異物感にそわそわして、駅前の建設中のビルは立派な外見にできあがり、部屋には緑が増えて大きなテレビがやってきた。何かが大きく変わったようで、でも振り返ってみると変わったような感覚もない。季節の変わり目をなかなか感じられない中で、生活の変化にも鈍感になっているのかもしれない。

 

 

最近は自分の身の回りの変化には鈍感なのに、ふとした瞬間によく季節の移り変わりのことを考えている。東京の夏に吹く風と、カリフォルニアの夏に吹く風は別の風だった。東京オリンピックを1年後に控えた今年の東京は身の危険を感じるような暑さで、10月になっても後遺症が残っているような空気だ。日程や天候の問題で今年の夏と秋はあまり山で時間を過ごすことができず、少しフラストレーションを感じながら過ごしている。10月は海外を旅して、日本に戻ってきたらきっとこの暑さも少し和らいで、秋が深まっていくはずだ。そしたら山には人が減って、静かな冬の山をじっくりとひとりで歩いて、温泉が気持ち良い季節が来る。東京の冬も悪くない。自分の生活に軸のようなものができあがると、その軸がぶれずに日々が過ぎていく限りは、その軸よりも外側にある色々な事象の変化を感じとる感覚が研ぎ澄まされていくのかもしれない。そういう意味では穏やかで平凡な日々も悪くないなと思う。

 

 

日常の中にも、小さな変化は日々起こって、そんな変化にもうまく対処していくことができるようになると良いなと思う。たとえば誰かと生きていく生活の中で、ふとした瞬間訪れる、ひとりの時間をどう過ごすのかは難しい。山に行ったり仕事で家を空けていればそれははっきりとしたひとりの時間だけれど、日常の中のちょっとしたひとりの時間をどう過ごすのか、ということだ。共に過ごす時間を待ち望みすぎるのも心臓に悪いし、ひとりの時間を待ち望んで楽しもうとしたってその時間は限られていて逆に不満が溜まるかもしれない。ほどよく穏やかな気持ちで、ひとりでいる時間とそうでない時間の境目が曖昧になるくらいがちょうど良い。切り替わるのではなく、ゆるやかに移ろいゆく。まだまだそんなちょうど良い感覚で過ごすことはできていないなと感じる。今日はひとりになってなんとなく休日の黄昏の中で長い文章でも書いてみたくなった。きっと子供を持てばこんな過ごし方はなかなかできなくなるんだろうなと思う。部屋でひとりで過ごす、というのは実は今しかできない贅沢な時間の使い方なのかもしれない。もっと本を読もう。音楽を聞こう。ゆるやかに時間が流れていくように。

 

 

そんなことを思えるということは、きっと様々な刺激を感じながら生きることができているということなんだろうなと思う。何かが変わったり、変わらなかったり。それを感じとったり、感じとらなかったり。何もかもを鋭利な感覚で感じとる必要はない。でも確かに何かが変わることは感じている。それはきっと、今の生き方が間違っていないということなのだろうと思う。

 

 

神の子らの復権〜「ヴェルヴェット・レボリューション」から続くアヤックスの物語〜

レアル・マドリードのホームスタジアム、サンチャゴ・ベルナベウには異様な雰囲気が流れていた。チャンピオンズリーグを3連覇中の白い巨人は前半すでにアヤックスに2点のリードを許しており、迎えた62分、際どい判定で右サイドのライン内にボールを残したノゼア・マズラウィから始まるショートカウンターでボールは中央のデュシャン・タディッチに渡る。正確なコントロールで得意の左足にボールを置き、振り抜いた弾道は美しく弧を描いてゴール左隅に突き刺さった。

 

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誰がこんな展開を予想しただろうか。セルヒオ・ラモスが意図的なイエローカードを貰ったことで不在だったとはいえ、ホームでの初戦を1-2で落としたアヤックスの勝利を予想する声は少なかった。事実、ラモス自身も、この試合は勝てると踏んで故意に出場停止を選んだのだ。かたや3連覇中のメガクラブ。かたや今や凋落したと思われたオランダの経験不足の若者たち。実力差は明確なように思われた。

 

しかしこの日のアヤックスは自信に溢れていた。前線からの執拗なハイプレスでレアルに落ち着く隙を与えず、弱冠19歳のキャプテン、マタイス・デ・リフトを中心とする守備陣はことごとく攻撃を跳ね返した。その後のインターナショナルウィークでブラジル代表に初招集されることとなる21歳の技巧派ドリブラーダヴィド・ネレス、魔法のようなボール捌きと意表をつく長短のパスで決定機を演出するモロッコ代表のハキム・ツィエフの両ウィングは尽くチャンスを演出しゴールを決めた。圧巻だったのは3ゴールに絡んだタディッチと、来夏のバルセロナ行きが決まったフレンキー・デ・ヨングだった。タディッチは文句のつけようがなく、デ・ヨングは相対するモドリッチに一歩も引けを取らないどころか、いとも簡単に中盤を支配しているように見えた。

 

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タディッチの美しいゴールが決まった瞬間、英語の実況はこう叫んだ。

 

"The rebirth of Ajax as an European giant"

 

 

果たしてこれは、アヤックス復権なのだろうか?栄華を極めた70年代、そして90年代中盤のアヤックスが、ようやく戻ってきたのだろうか?

 

 

 

物語は2010年に遡る。

 

「これははもはやアヤックスではない」

 

アヤックス、そしてバルセロナのレジェンド、近代フットボールの父、ヨハン・クライフは、オランダの新聞デ・テレフラーフのコラムでそう語った。奇しくもレアル・マドリードに0-2の敗戦を喫した後の話であった。クライフはクラブへの介入を始め、「ヴェルヴェット・レボリューション」と呼ばれる改革を始める。彼は手始めに、アヤックスの魂を理解するかつての名選手たちをクラブのマネジメントに招き入れた。エドウィン・ファン・デル・サール、ヴィム・ヨンク、フランク・デ・ブールマルク・オーフェルマルスデニス・ベルカンプ錚々たるメンバーのもと、アヤックスの改革は徐々に進んでいった。

 

 

クライフが目指したのはクラブのアイデンティティへの回帰だ。すなわち、「デ・トゥーコムスト」と呼ばれる、オランダ語で「未来」を意味するユースアカデミーを中心とするチーム作りと、オランダ流のパスを回す攻撃的なサッカーの実現である。ヴィム・ヨンクをヘッドとするユースの改革は進み、「各年代での勝利を目指さず、個に焦点を当てた育成を行う」という方針が確立された。チームプレイのみならず、より多くの時間がテニスや柔道といった個々人のスポーツ能力を高めるトレーニングに当てられるようになった。オフィシャルサプライヤーであるアディダスの協力を受け、選手のプレーと運動量をトラッキングする仕組みも整った。結果、トップチームを率いたフランク・デ・ブールの元、クラブはコンスタントに優秀な選手を輩出し、国内では4連覇を達成することとなる。その間、ヤン・フェルトンゲントビー・アルデルヴァイレルトクリスチャン・エリクセンダレイ・ブリント、ヤスパー・シレセン、アルカディウシュ・ミリクといった選手がビッグクラブに旅立ち、クラブは相当額の移籍金を手に入れ、財政基盤を盤石なものとしていった。

 

しかしながら、改革が様々な軋轢を生んだことも事実である。クライフの介入を良しとしないクラブは2011年末にルイ・ファン・ハールをジェネラル・ディレクターとして迎え入れるが、これは反発するクライフ側との裁判沙汰に発展した。2012年2月、法廷においてファン・ハールの就任は無効との判決が下る。クライフ自身はアヤックスの経営に直接的に関わることはなく、あくまで「テクニカル・ハート」と呼ばれた、彼の意思を体現しクラブの方向性に対する意思決定を下す前述の往年の名選手たちに対するアドバイザーという立場をとったが、これが事実上のクライフの勝利であることは間違いなかった。

 

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クライフ(右)とヨンク(左)

 

この決定がクラブの安定的な繁栄のための基盤を作ったことは確かだが、国内の成功と裏腹に国際舞台では結果を残せない時期が続いた。2015年にクライフはテクニカルアドバイザーとしての職を辞し、2016年には肺がんでこの世を去ることとなる。ヴェルヴェット・レボリューションはここで象徴的な終焉を迎える。しかしながら、アムステルダムにおけるクライフは今も昔も神だ。常にクラブを正しい方向に導く、フットボールの神。伝説の背番号14。アムステルダムの誇り。誰一人として彼の見えていた世界に辿り着くことはできない。

 

クライフは神だ。しかしその強引な手法には常に批判も付きまとい、しばしばクライフ派と反クライフ派の間で対立が起こる。両者の溝は、もしかしたら些細な違いでしかないかもしれない。クライフもファン・ハールも、攻撃的なサッカーを志向する。素人目には両者のサッカーに大きな違いはないように見えるだろう。しかし両者は不仲で知られ、前述の通り彼らの対立は裁判まで発展した。クライフが去り、フランク・デ・ブールが去る間、クライフの信奉者とされるヴィム・ヨンクも「プラン・クライフが十分に実行されていないこと」からクラブを去った。同じく「クライフ信者」とみなされるデニス・ベルカンプフランク・デ・ブールの後任のピーター・ボスと対立し、ボスが1年でクラブを去る要因になったと言われている。ベルカンプも解任を不当と捉え、クラブに対する訴訟を起こし、金銭的な解決が図られるに至った。この時点ですでに形骸化していたテクニカル・ハートの正式な終焉である。

 

2016-17シーズン、若く、素晴らしいアヤックスを率いたピーター・ボスは、ヨーロッパリーグ決勝進出という結果をもたらした。しかし、その後の1年はアヤックスにとって混乱と不幸が続いた。ボスはスタッフとの対立によりわずか1年でクラブを去ることとなる。ベルカンプとヘニー・スパイケルマンに支えられたマルセル・カイザー監督のもとで、新たなチーム作りにとりかかろうとしていた矢先、アヤックス・ユースの近年における最高傑作という見方も多かった、稀有な才能がチームを離れることになる。

 

 

アブデルハク・"アッピー"・ヌーリ。小柄で、笑顔を絶やさない、誰からも愛される天才プレーメーカー。異次元のテクニックと視野の広さでチャンスを演出する10番。彼はワールドクラスなんてものでなく、世界最高の選手になる可能性だってもっていた。

 

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ヌーリはプレシーズンのトレーニングマッチにおいて突如、ピッチに倒れ込み、身体の動かぬ状態となった。そのまま彼がピッチに戻ることはなく、今に至るまで病院のベッドで過ごしている。チームのメンバーにとってショックの大きさは相当なものだっただろう。1ファンとしても、彼が活躍する姿を見たかったと、強く思う。今ひとつ調子の上がらないチームはチャンピオンズリーグヨーロッパリーグの出場を逃し、リーグでも不甲斐ない結果が続いた。マルセル・カイザー監督は解決策を失い、スポーティング・ディレクターのオーフェルマルスとCEOのファン・デル・サールは全コーチングスタッフの解任に踏み切ることとなる。クラブは当時、ユトレヒトの監督を務めていたエリック・テン・ハフを引き抜き、ホッフェンハイムでユルゲン・ナーゲルスマンの元で働いていたアルフレッド・シュロイデルをアシスタントとして迎え入れた。

 

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結局このシーズンは目立った結果を残せず終わることとなるが、新たなコーチングスタッフの働きは今シーズン、最高の形で結果を出しつつある。今アヤックスには、新たな風が吹いている。テン・ハフとシュロイデルはいわゆる「ラップトップ監督」と言われる、データを用いた緻密なスカウティングに長けた指導者だ。血気盛んな若者たちを相手にする難しい仕事の中で、出場機会に不満を漏らす選手もおり、選手との不仲が報じられたこともある。(特にツィエフやファン・デ・ベークの不満よく報じられるが、真相は定かではない)しかし、アヤックス伝統の攻撃的なサッカーを貫きつつも、細かな部分で臨機応変に戦い方を変え、今シーズンは強豪と互角以上に渡り合ってきた。これは、これまでのアヤックスには見られなかった戦い方だ。また、選手補強の方針にも大きな変化が見られた。ツィエフ、ネレス、タディッチといった選手はそれぞれ1000万ユーロ以上の金額で獲得しており、ブリントをマンチェスター・ユナイテッドから買い戻すという策にも出た。こういった選手たちがユース出身の選手(デ・リフト、ファン・デ・ベーク、マズラウィ、ダニ・デ・ヴィットなど)、あるいはリザーブチームのヨング・アヤックスで経験を積んだ選手(デ・ヨング、オナナ、カスパー・ドルベリなど)と融合し、素晴らしいラインナップが揃っている。ジョゼ・モウリーニョアヤックスの戦い方を「ナイーブ」と表現した。しかし、レアル相手に見せた戦い方はしたたかそのもの。今のアヤックスは守りきる強さも、落ち着いてリズムを作る狡猾さも、チャンスを確実に得点につなげる怖さもある。レアルを破ったのは、大番狂わせだった。しかし大番狂わせと偶然は違う。これは育成の勝利、経営の勝利、スカウティングの勝利、そしてアヤックスのカルチャーの勝利だ。

 

 

アムステルダムは変化を厭わない街だ。新たなアイディアを取り入れることにオープンな人々の暮らす、多様で、クリエイティブで、自由な街だ。しかし同時に、歴史が息づく街でもある。守るべきところを守り、変えるべきところを変え、アムステルダムの人々は暮らしてきた。アヤックスアムステルダムとともにある。ひとつのクラブ、ひとつの哲学、ひとつの街。アヤックスという存在は、単なるフットボールクラブではない。アムステルダムの人々の生活、生き様そのものなのだ。

 

 

ヴェルヴェット・レボリューションは、大きな摩擦を生む、伝統への回帰だった。その革命の成果として、ユース世代はこれまで以上に才能溢れ、戦力として計算できるタレントを輩出できるようになった。そこに、新たな戦術理論がもたらされ、適切な投資に踏み切る姿勢を幹部が見せことで、アヤックス復権を迎えつつある。様々な偶然が折り重なって生まれた成果ではあるが、クラブの柱であるユースの再定義と、さらなる投資を可能とする財務基盤が、改革の結果生まれたものであることは間違いない。道のりは長かった。しかし、アヤックスは道半ばだ。間も無く、ユベントスとのベスト8の試合を迎える。リーグはPSVと勝ち点で並び、あと5試合、ひとつも落とさない。そして、もっと、ずっと先の未来を、エドウィン・ファン・デル・サールは夢見ている。

 

 

「究極のゴールは、フットボールの世界において、アヤックスが誰もの2番めに好きなクラブとなること。CEOとして、選手と同じように、私は勝利したい。」

 

 

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移籍だけではなく、その姿勢、描く未来、そして結果によって、「セリング・クラブ」ではなく安定したビッグクラブとしての地位を築くこと。マーケティングの側面においての改革はすでに始まっており、各国のクラブとのパートナーシップが進んでいる。また、YoutubeInstagramTwitterを見ればわかるとおり、アヤックスのメディアチームは素晴らしい働きをしている。新しい時代の、新しいアヤックスが、生まれようとしている。しかしその中でも変わらず根底を貫く哲学は、未来を見据えて、解決策を探っていく、アムステルダムという街のあり方そのものだ。

 

 

「勝者のメンタリティ。毎日、成長していくというメンタリティ。毎日、より良くなっていくというメンタリティ。そして、そうするための規律。ここにはそれがある」

 

 

こんな言葉を言うのが19歳の若者であるということに驚かされる。しかし、9歳からデ・トゥーコムストで育ったデ・リフトはクラブを、そしてアムステルダムという街を、誰よりもよく理解している。

 

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トレイルにて

穏やかな日々だ。暖かく、清潔で、明るく、適度に広い、東京の真ん中にほど近い場所にあるマンションの10階にある部屋からは、日が昇って街が橙色に輝いたり、日が沈んで紫色に染まっていく様子がよく見える。それほど混雑が深刻ではない地下鉄の路線を使えるようになったことで、悪態をつきながら満員電車に乗って消耗することも減った。閑静な住宅街という言葉が適切かどうかはわからないが、猥雑な商店街は周りに少なく、数件ある居酒屋や中華料理屋なんかも23時にはだいたい閉まってしまう。会社から終電に乗ってボロボロになりながら三軒茶屋に辿り着いて狭いラーメン屋でラーメンを啜ったり、帰り道にある24時間営業のスーパーに寄って食材を買って日付が変わるころにビールを飲みながら唐突にカレーを作り始めたり、なんていうこともなくなった。自宅にたどり着くまでにエレベーターに乗らないといけないことなんて初めてだ。通りに面した1階にあった前の家は、玄関の扉を開けたらすぐそこには自転車が停めてあって、いつでも好きなときに走り出すことができた。今、僕の自転車は、自転車が整然と並ぶマンションの駐輪場にきちんと置いてある。

 

10年近く、一人で暮らした。その中で何度か引っ越しもして、いくつかの街に住んだ。そのそれぞれに味があって、お気に入りの場所が見つかった。部屋はきれいにしようと思いつつも、たまに乱雑になってしまい、男臭い匂いが漂ってしまっていただろう。いつからか家で酒を飲むことも日常的になって、そんなことに金を使わなければ今頃もっと貯金があったかもしれないな、とふとした瞬間に思ったりするが、なにはともあれ激動で、刺激的で、いつも酩酊状態で過ごしているような日々だった。もちろん、酒を飲むのは夜だけだけど、思い返すといつも葛藤し、ギリギリで、頭の中に靄がかかったような日々だったように感じる。

 

一人で暮らす自由さにすっかり慣れてしまった僕にとってこの1年間は、そんな頭の中の靄を晴らすような日々だった。きちんと生きることは楽しいけれどとても難しい。特に自分のようないい加減で、自分勝手な人間にとって、自分以外の人のことを気にしながら、ちゃんとした生活を送っていくというのは、どうやらとても難易度の高いことのようだ。それは頭が鍛えられ、こなすことで成長を感じられることではあるし、不自由だとか息苦しいとか言うつもりはまったくないけれど、それでもやはりどこかで自分をリセットし、最大限の自由を感じる瞬間というのが必要だ。

 

 

答えは山にあった。なるべく身軽になるように荷物をパッキングして、山を歩いたり走ったりする。鍛えたいと思ってやっているわけじゃない。苦しい思いを積極的にしたいと思っているわけでもない。ただ僕は、人里離れた山々を、誰にも縛られることなく、走りたいときに走って、歩きたいときに歩いて、休みたいときに休みたいのだ。

 

 

だからどうやら、僕は山頂を目指し上下に移動していくいわゆるピークハントというものよりも、どうやら水平に移動することの方が好きなようだ。ある夏の北アルプス常念岳から大天井岳、燕岳と稜線を歩く日本で最も人気の登山ルートの一つである表銀座を歩いた。美しい登山道を登り切って辿り着いた乗越の小屋から眺める百名山常念岳雄大だったけれど、苦労して急坂を登っていくより風を感じながら稜線を歩きたくなって、頂上を目指すことなく先に進んだ。大天井岳はもっと楽に頂上まで行けそうだったけれど、新調したテントの中の居心地がよくて、簡単な昼食兼夕食を作ってビールを飲んでいるうちに、どうでもよくなってしまった。山並みを眺めながら、横に移動するのが好きなのだ。素晴らしい名山の頂上をスルーしてしまうことにもったいなさや、若干の罪悪感も感じてしまうけれど、でも頂上に登らないといけないって誰が決めた?この雄大大自然を一歩ずつ進んで、携帯もつながらない、誰にも邪魔されないテント場で、何もせずぼーっとすることだって、立派な山の楽しみ方なのではないか。

 

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あのときにどうやら、僕なりの山の楽しみ方というのがわかったような気がする。そのあとはそんな楽しみ方のできそうな、なるべく水平に長く、遠くまで歩いたり走ったりできるコースを探して、ちょくちょく出かけている。南から北まで移動した八ヶ岳では、苔むした沢沿いの道からとんがった山頂、そしてまるで絵本の世界のような、静かで美しい湖など、飽きることのない山歩きをすることができた。

 

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山にいるということはある程度の不衛生や不便を受け入れるということだ。泥を踏んでしまったりすることもあるし、テントで泊まったら当然シャワーなんて浴びることはできない。汗を吸った服を続けて着なければならない。トイレのそばに手を洗える水場があるとは限らない。限られた食料をどう食べていくか考えたり、ときには雨風にさらされ寒さに震えることもある。15キロの荷物を背負うことなど、日常生活では考えられない。登山口に向かうバスは数時間に一本しかないかもしれない。ヘッドライトがないとまともに歩けないこともある。普段の快適な生活からのギャップはとても激しい。あれ、自由になりたいって言いながら、山で過ごす時間って実はとても不自由なんじゃないの?とたまに思ったりするけど、気にしない。大切なのは気にしないことだ。日常生活で「気にしない」という選択をとると、自分の心が死ぬか誰かに不快な思いをさせるかどちらかだが、山では自分一人にしか迷惑はかからない。きっと、それが自由ということなのだろうな。そんなことを、朝日に照らし出された南アルプスのどっしりとした山並みを眺めながら思ったりした。

 

 

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もっと長い距離を、もっと長い日数をかけて、歩いてみたいと思う。行先は北海道か、熊野古道か、お遍路か、はたまたジョン・ミューア・トレイルか、アパラチアか、デ・アラロアか、アラスカか、ラップランドか。世界には歩いたことのない道がいくらでもあるし、なんと日本の中ですら数えきれないほどのトレイルがあるのだ。そのそれぞれに歴史があり、人々の暮らしがある。そんなことを思うと、途方もない気持ちになったりする。

 

 

もうすぐ30歳になろうとしている。もう、手放しで若いと言える年齢じゃない。友達は次々と家庭を築いていって、きっとこの先、交友関係も変わっていくのだろう。人生、先は長い。この先何が起こるかわからないし、不安もあるけれど、でもきっと、ちょっと日常に疲れたら、山に向かえばいい。山は癒してくれない。汚いし、疲れる。でもそこに身を投げ出す自分の気持ちは、背負った荷物が重ければ重いほど、そして歩く距離が長ければ長いほど、不思議と軽くなっていくような気がするのだ。

 

長い旅

気がついたらまた暖かくなって、またひとつ冬が終わって、僕はどうやら花粉症になったようだ。鼻にむずがゆさを覚えながらも、一歩一歩を確かめながら、夕暮れの東京の街を走る。休みをとって、眠りすぎた結果、鈍った身体の中に血が巡る感覚が心地よい。まだまだ、こうやって何の不自由もなく身体を動かせることのありがたさを感じるとともに、それでも年々、筋肉はしなやかさを失い、脚の運びは少しずつ鈍くなることにも同時に気付かされる。

 

 

人生を選ぶ、というのはどういうことだろう。トレインスポッティングレントンは言った。"Choose life"と。人生を選ぶことを拒否し怠惰な生活を続けていた彼は、物語の最後にようやく自らの意志で、人生を選びとる。しかし、その選択は彼を幸せにしたとは言い難い。結局彼は、過去の友人からは遠く離れ、彼の忌み嫌った「普通の」人生を送ることとなったが、その人生もどうやら順風満帆にいっていたわけではなさそうだ…という様子はトレインスポッティングの20年後を描くT2で映し出されている。

 

 

責任をとる、というのはどういうことだろう。30も近くなり、周りの友人はどんどん結婚していく。なんとなく面倒で避けてしまっている地元に久しぶりに帰ったりすると、自分の親がまさにそうしてきたように、地元で結婚し、家庭を持ち、子を育てる、という人生を送る友人を目の当たりにすることになる。彼らは、自分だけではなく、共に時間を過ごす家族に責任を持つことになる。そんな彼らが、僕の目には、とても眩しく映る。

 

 

今の日本は、レールから外れたときに、戻ってくるのがとても難しい社会だ。だからどこかで自分も腹をくくらないといけないのだろう。レールの上で、まっとうに、生きていくのだと。東京で働き、家庭を持ち、家族を愛し、子を育て、財を成し、老後に備え、家を買う。しかしこれが本当に当たり前なのだろうか。地元の友人たちにとって、あるいは地方で暮らすことを決めた大学以降の友人たちにとってみれば、東京でそのような生き方をすることなど非合理の固まりのように映るのかもしれない。そんなふうにできるのは、一部の人だけのはずなのに、いつのまにかそれが当たり前のように考え、そう考えること息苦しさを感じたりもする。かといって自分はどこに行きたいのだろうか。好きな場所はどこなんだっけ。

 

 

たとえば、突然、長い旅に出て、好きな場所を見つけて、そこにちょっと休憩するみたいな感覚で、住み着いてしまうことができたら楽なのかもしれないな、と思う。しかし、今の自分にそんなことができるだろうか。レールから外れることができるだろうか。自分の人生を、そのような形で選べるだろうか。ひとりで生きているわけではないという、その責任と天秤にかけて、それでも旅に出たいなどと、言えるだろうか。

 

 

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きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ - 星野道夫

 

そう、こうして更けていく東京の夜の風を感じている、今この瞬間だって。