gezellig

日記など。

街の話

寒かったり暖かかったり、不思議な天気が続いている。ある日は気持ちの良い小春日和、またある日は冷たい雨の降る冬の一日。今日は気だるい気分の土曜日、部屋の外では小雨が昨日の夜から止むことなく降り続いている。

 

 

気づいてみれば今の家にも住み始めて2年が経とうとしている。この街はきちんとした人が多くて、どこに行くのにも便利で、買い物にも食事にも困らないけれど、大きな道路が走っていて緑はそんなに多くない。ラーメン屋や居酒屋は少なくてちょっといい値段のするチェーンのレストランが多い。退屈で、穏やかな街だ。とても好きになることはこの先もないかもしれないけれど、嫌いになることもなさそうだ。いろんな事情で、少しの妥協もしながら、当面はここらへんに住み続けるのだろう。

 

 

 

街に住むというのはどういうことなのか、と最近はよく考える。少し前に5ヶ国を巡る旅をして、様々な街に数日間ずつ滞在して、現地のものを食べ、現地のスーパーや薬局を覗き、街を歩き、バスで移動して、その街の空気を感じとった。思い返してみると、学生の頃の旅はまさに未知との遭遇の連続で、見たことのない景色に心を痛めるほど感動して、自分の将来とか、生活とか、そんなことは抜きにしてただただ圧倒されていた。大人になった今、旅をして見える景色は少し違ってきている。この街に住むというのは、どのような感覚なのだろうか。この人たちはどこからやってきて、どうしてこの街に住むことを選んだのだろうか。もし、自分がこの街に住むとしたら、どんな生き方をすることになるだろうか。そんなことを、どこに行っても考えるようになった。それは昔よりも自分の思考が現実的になったということでもあり、もしかしたら物事に素直に感動する感覚が鈍くなってしまっているということなのかもしれない。しかしそれはまた一方で、旅先の街を単なる鑑賞の対象としてだけではなく、より現実味を帯びた、自らに近い存在として感じとれるようになったということでもある。それを成長と呼ぶのか退化と呼ぶのか、僕にはわからない。しかし、その街に住むことをより深く考えてみると、見えてこなかった風景が見えてくるようになる。普通なら歩くことのない道を歩いてみたくなる。ある意味、大人になって色々なものを見て、経験して、今まで以上に好奇心が旺盛になったと言えるのかもしれない。

 

 

きっと今の時代なら、いろんな街に住むことができる。インターネットがあれば、必ずしも東京にいなくても東京の仕事をすることができる。日本にもいろんな街があるし、世界に目を向けたら選択肢は無限にある。数年後、自分はどこに住むことを選ぶのだろうか。その街に住むことで、自分はどんな人生を送ることを選択しようとしているのだろうか。その街のことを、自分はどれだけ愛しているだろうか。もしかしたらぼんやりと、ずっと今の街に住み続けるのかもしれない。もしそうなったら、自分は老いたときに、どんな人間になっているだろうか。

 

 

 

将来のことを考えるのは恐ろしいことでもあり、興奮することでもある。マンションの10階。たまに見ることのできる夕焼けは美しい。雨に濡れた今日のベランダからは見えそうにない。それでもまだこの街で、何度も訪れるであろう夕方に、また今日とは違った気持ちで、東京の風景を眺めることができるだろう。悲しい気持ちのときも、幸福な気持ちのときもあるだろう。でもきっと、その時々の気持ちに合わせて、自分はこの風景に感動し、癒されることができる。そう思えるこの家のことは、嫌いじゃない。

 

 

 

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