gezellig

日記など。

Steady

「○○はひとつのところにとどまるタイプじゃないからさ。俺とか、BとかCは、安定を求めるタイプだけど。」

 

 

久しぶりに大学の友人たちと集まって、とてもおいしい食事を食べた。帰り際、友人のAから言われたのが、冒頭の言葉だ。(○○が僕の名前である)

 

 

AとBとCは、皆教員になっている。僕の学科からある特定の教科の先生になった彼らは、ある意味ブランド品だ。彼らはその特定の分野において日本で最高の教育を受け、試験と面接を勝ち抜き、夢だった教員への道を歩み始めている。

 

 

一度教員になった人間がほかの職に就くことはまれだ。日本社会はこれからもどんどん変容していくだろうが、基本的には、彼らに待っているのは安定した未来だ。

 

 

 

久しぶりに友人と話すと、話す内容も随分変わってきたなあとしみじみ思うことがある。いつ結婚すんのか、だとか、そろそろ車を買うだとか、思い出話だったり、そういうこと。

 

 

「あの頃、楽しかったよな」

 

 

って誰かが言った。僕が社会人になってからも、会えば馬鹿な話ばかりしていたのが、大学院に進んでいた友人も含めて一通り皆が働き始めている中で会ってみると、会話はなんだかとても現実的で、一人一人の内面は変わらず懐かしくても、やはり何かが決定的に変わってきているんだよな、とぼんやりと考えてしまう。

 

 

例えば僕らはこれから家庭を持つだろう。貯蓄も必要だ。僕みたいに地方出身の人間としては、たとえばこれから年老いていく両親の介護とか、土地をどうするのかだとか、そういう息苦しいことも考えなければならない。その中で僕は、地元の銀行だとか、公務員とか、あるいは伝統的な日本の大企業に勤めた友人とは異なって、本質的な「安定」とかけ離れたキャリアを歩み始めている。友人もそれは知っていて、「いつ会社やめんの?」とか、「いつ喫茶店開くの?」とか、茶化して言ってくる。「今の会社辞めたら世界一周とか、放浪しようと思うんだよね」って荒唐無稽な夢を語ったりすると、「あー○○はそういうことやってそうだよね」という無責任な反応が返ってくる。

 

おいおい、もうちょっと止めてくれよ。もっと現実的になれよ、って、言ってくれよ。

 

そんなことを思ったりもする。無理はない。所詮は他人の人生だ。知ったことではない。僕だって他人がどんな仕事につこうが、どんな人生を送ろうが、関係ないと思っている。でも僕だって、「人の言うことなんて聞くもんか」と思いながら、どこかで人生へのガイダンスが欲しかったりするのだ。リアルになれよ、って、言ってほしいのだ。言われたら言われたで、いろんな理由をつけて、反発してしまうのだろうけど。

 

 

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そんなことばっかり考えてないで、もっと考えるべきことあるんだろうけど。よし、もっと本を読もうと考える、雨の日曜日。