gezellig

日記など。

細胞が死ぬということ

 

 

何もない休日になると、日記を書きたくなることが多い。ひとりになれる時間はやはり必要で、ひとりになった僕が何をするかというと、頭のなかをぐるぐると渦巻くとりとめのない思いを言語化して、自分が今どこに立っているのかをちょっとでもはっきりさせることだ。最近は休日どこかに出かけてばかりで、先週まで3週間連続で新幹線に乗ったりしていたし、土曜の夜に家のベッドで眠ったのは久しぶりだ。基本的に社交性があるタイプの人間ではないし、友達と過ごすのは楽しいけれど、それでも定期的にひとりになる日がないと、心の中に淀みが生まれてしまう。そんな淀みの正体を明らかにし、自己満足に浸るために文章を書く。

 

 

ひとりで過ごす休日だけでなく、最近はどこかに行ったときに、その記憶をとどめておこうと日記を書くことも多くなった。旅行の記録は昔からしていたけれど、最近は外出するときも例えばカメラを持っていたり、「何かを探して出かけてしまっている」という気がして後ろめたい。世の中の感動というものは、本来的に、予測外のものであるべきだ。日々の生活をする中で、ときに美しい風景に出会い、忘れがたい体験をする。そういった瞬間を最近はスマホのカメラで気軽に撮れるようになり、それはそれで素敵だと思う。しかし、「フォトジェニック」な風景があることを期待しながら街を歩くのは、何か正しくないことをしているような、居心地の悪い思いをすることになったりする。世界のいろいろな街の路地裏は、迷い込んだ時にハッとその美しさや物語性に惹かれるのであって、路地裏を探しながら街を歩いてしまったら本末転倒だ。

 

 

モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画を観た。若きエルネスト・ゲバラは友人と二人で南米大陸放浪の旅をする中で、ラテン・アメリカの厳しくも雄大な自然と対峙し、社会の周縁に追いやられた弱者と接する。この旅はゲバラの物の見方を大きく変え、数年後、彼はキューバでの革命を指導する革命家として世界にその名を知られることとなる。彼は旅の目的を尋ねられたとき、「旅をするための旅」と答える。実際、そうだったのだろう。映画の中での彼の姿はあくまで無目的だった。彼特有の強い意思が見え隠れする場面は描かれていたが、この青年が数年後にキューバでゲリラ戦を主導する姿は、想像しにくい。

 

 

経験から何を感じ取り、それをどう咀嚼し、その後の生き方に活かしていくかというのはほんとうに人ぞれぞれだ。ローマを訪れた人間がローマのことを「悠久の歴史の中で生きるマジカルな街」と感じるか、「過去の遺産で生きる腐った街」と感じるかはその人次第だ。

 

Some people feel the rain. Others just get wet. (Bob Marley)

 

 

ここまで書いて、平日になった。東京の上空には雨空が広がり、そう簡単に去りそうもない。雨雲の下で、せわしなく客先に向かいながら、記憶するということの意味を考えていた。東京のようにカラッと晴れた日が少ない土地で生まれ育ったから、雨というのは自分の子供のころの記憶と密接に結びついている。それでも、数日たって春らしい、あたたかな日差しが戻ってきたときに、あのとき降った雨の匂いを思い出そうとしても、なかなか思い出すことができない。ふとした瞬間に何かを思い出すということはあっても、なにかを思い出せなかったとき、思い出すのが適切と思えるときに、「思い出そうとする」という行為はなかなかに難しいものだと感じている。季節が巡り、都合の良いことばかり覚えていて、ほんとうは覚えておきたいディテールなんてちっとも思い出せない、なんてことが多くなってしまった気がする。あのとき打たれた雨はどんな温度だったっけ。スーツに身を纏って働き始めたとき、何を感じていたっけ。おいしい料理の記憶だったり、馬鹿馬鹿しい酒の席での記憶だったり、そんなことは覚えていても、そんなことを思い出したいんじゃないんだ。結局、思い出はきれいな形でこじんまりとまとめられてしまい、日々刻々と変化する日々を過ごしているように感じても、総じてみれば、何の変哲もない日々を過ごしているのかもしれないな、なんて思ったりしてしまう。本当はそこには数えきれないほどの感情が散在していて、出会いが、別れが、感動が、絶望が、そこかしこに無秩序に詰まっているはずなのに、振り返ってみて自分の生き方がそんなふうに小奇麗な物語に変えられてしまうのはなんだか悔しい。身体の奥底になにかそんな日々のカオスが刻まれていてほしいと思ってみても、細胞は7年ですべて入れ替わってしまうときた。この瞬間にも死んでいく細胞があるという事実には圧倒されてしまう。

 

 

例えば旅をすることで抱くようなプリミティブな感情を、心の中にしっかりと留めながら生きていくことはできるだろうか。塗り替えられていく記憶、入れ替わっていく体細胞のとめどない流れの中で、それでもなお残っている何かがあるのだとしたら、それはとても大切なことなのだと思う。

 

https://instagram.com/p/1CvpxUj3Ws/

枯れて、散った花がまた新たに芽吹く。