神の子らの復権〜「ヴェルヴェット・レボリューション」から続くアヤックスの物語〜
レアル・マドリードのホームスタジアム、サンチャゴ・ベルナベウには異様な雰囲気が流れていた。チャンピオンズリーグを3連覇中の白い巨人は前半すでにアヤックスに2点のリードを許しており、迎えた62分、際どい判定で右サイドのライン内にボールを残したノゼア・マズラウィから始まるショートカウンターでボールは中央のデュシャン・タディッチに渡る。正確なコントロールで得意の左足にボールを置き、振り抜いた弾道は美しく弧を描いてゴール左隅に突き刺さった。
誰がこんな展開を予想しただろうか。セルヒオ・ラモスが意図的なイエローカードを貰ったことで不在だったとはいえ、ホームでの初戦を1-2で落としたアヤックスの勝利を予想する声は少なかった。事実、ラモス自身も、この試合は勝てると踏んで故意に出場停止を選んだのだ。かたや3連覇中のメガクラブ。かたや今や凋落したと思われたオランダの経験不足の若者たち。実力差は明確なように思われた。
しかしこの日のアヤックスは自信に溢れていた。前線からの執拗なハイプレスでレアルに落ち着く隙を与えず、弱冠19歳のキャプテン、マタイス・デ・リフトを中心とする守備陣はことごとく攻撃を跳ね返した。その後のインターナショナルウィークでブラジル代表に初招集されることとなる21歳の技巧派ドリブラーのダヴィド・ネレス、魔法のようなボール捌きと意表をつく長短のパスで決定機を演出するモロッコ代表のハキム・ツィエフの両ウィングは尽くチャンスを演出しゴールを決めた。圧巻だったのは3ゴールに絡んだタディッチと、来夏のバルセロナ行きが決まったフレンキー・デ・ヨングだった。タディッチは文句のつけようがなく、デ・ヨングは相対するモドリッチに一歩も引けを取らないどころか、いとも簡単に中盤を支配しているように見えた。
タディッチの美しいゴールが決まった瞬間、英語の実況はこう叫んだ。
"The rebirth of Ajax as an European giant"
果たしてこれは、アヤックスの復権なのだろうか?栄華を極めた70年代、そして90年代中盤のアヤックスが、ようやく戻ってきたのだろうか?
物語は2010年に遡る。
「これははもはやアヤックスではない」
アヤックス、そしてバルセロナのレジェンド、近代フットボールの父、ヨハン・クライフは、オランダの新聞デ・テレフラーフのコラムでそう語った。奇しくもレアル・マドリードに0-2の敗戦を喫した後の話であった。クライフはクラブへの介入を始め、「ヴェルヴェット・レボリューション」と呼ばれる改革を始める。彼は手始めに、アヤックスの魂を理解するかつての名選手たちをクラブのマネジメントに招き入れた。エドウィン・ファン・デル・サール、ヴィム・ヨンク、フランク・デ・ブール、マルク・オーフェルマルス、デニス・ベルカンプ。錚々たるメンバーのもと、アヤックスの改革は徐々に進んでいった。
クライフが目指したのはクラブのアイデンティティへの回帰だ。すなわち、「デ・トゥーコムスト」と呼ばれる、オランダ語で「未来」を意味するユースアカデミーを中心とするチーム作りと、オランダ流のパスを回す攻撃的なサッカーの実現である。ヴィム・ヨンクをヘッドとするユースの改革は進み、「各年代での勝利を目指さず、個に焦点を当てた育成を行う」という方針が確立された。チームプレイのみならず、より多くの時間がテニスや柔道といった個々人のスポーツ能力を高めるトレーニングに当てられるようになった。オフィシャルサプライヤーであるアディダスの協力を受け、選手のプレーと運動量をトラッキングする仕組みも整った。結果、トップチームを率いたフランク・デ・ブールの元、クラブはコンスタントに優秀な選手を輩出し、国内では4連覇を達成することとなる。その間、ヤン・フェルトンゲン、トビー・アルデルヴァイレルト、クリスチャン・エリクセン、ダレイ・ブリント、ヤスパー・シレセン、アルカディウシュ・ミリクといった選手がビッグクラブに旅立ち、クラブは相当額の移籍金を手に入れ、財政基盤を盤石なものとしていった。
しかしながら、改革が様々な軋轢を生んだことも事実である。クライフの介入を良しとしないクラブは2011年末にルイ・ファン・ハールをジェネラル・ディレクターとして迎え入れるが、これは反発するクライフ側との裁判沙汰に発展した。2012年2月、法廷においてファン・ハールの就任は無効との判決が下る。クライフ自身はアヤックスの経営に直接的に関わることはなく、あくまで「テクニカル・ハート」と呼ばれた、彼の意思を体現しクラブの方向性に対する意思決定を下す前述の往年の名選手たちに対するアドバイザーという立場をとったが、これが事実上のクライフの勝利であることは間違いなかった。
クライフ(右)とヨンク(左)
この決定がクラブの安定的な繁栄のための基盤を作ったことは確かだが、国内の成功と裏腹に国際舞台では結果を残せない時期が続いた。2015年にクライフはテクニカルアドバイザーとしての職を辞し、2016年には肺がんでこの世を去ることとなる。ヴェルヴェット・レボリューションはここで象徴的な終焉を迎える。しかしながら、アムステルダムにおけるクライフは今も昔も神だ。常にクラブを正しい方向に導く、フットボールの神。伝説の背番号14。アムステルダムの誇り。誰一人として彼の見えていた世界に辿り着くことはできない。
クライフは神だ。しかしその強引な手法には常に批判も付きまとい、しばしばクライフ派と反クライフ派の間で対立が起こる。両者の溝は、もしかしたら些細な違いでしかないかもしれない。クライフもファン・ハールも、攻撃的なサッカーを志向する。素人目には両者のサッカーに大きな違いはないように見えるだろう。しかし両者は不仲で知られ、前述の通り彼らの対立は裁判まで発展した。クライフが去り、フランク・デ・ブールが去る間、クライフの信奉者とされるヴィム・ヨンクも「プラン・クライフが十分に実行されていないこと」からクラブを去った。同じく「クライフ信者」とみなされるデニス・ベルカンプはフランク・デ・ブールの後任のピーター・ボスと対立し、ボスが1年でクラブを去る要因になったと言われている。ベルカンプも解任を不当と捉え、クラブに対する訴訟を起こし、金銭的な解決が図られるに至った。この時点ですでに形骸化していたテクニカル・ハートの正式な終焉である。
2016-17シーズン、若く、素晴らしいアヤックスを率いたピーター・ボスは、ヨーロッパリーグ決勝進出という結果をもたらした。しかし、その後の1年はアヤックスにとって混乱と不幸が続いた。ボスはスタッフとの対立によりわずか1年でクラブを去ることとなる。ベルカンプとヘニー・スパイケルマンに支えられたマルセル・カイザー監督のもとで、新たなチーム作りにとりかかろうとしていた矢先、アヤックス・ユースの近年における最高傑作という見方も多かった、稀有な才能がチームを離れることになる。
アブデルハク・"アッピー"・ヌーリ。小柄で、笑顔を絶やさない、誰からも愛される天才プレーメーカー。異次元のテクニックと視野の広さでチャンスを演出する10番。彼はワールドクラスなんてものでなく、世界最高の選手になる可能性だってもっていた。
ヌーリはプレシーズンのトレーニングマッチにおいて突如、ピッチに倒れ込み、身体の動かぬ状態となった。そのまま彼がピッチに戻ることはなく、今に至るまで病院のベッドで過ごしている。チームのメンバーにとってショックの大きさは相当なものだっただろう。1ファンとしても、彼が活躍する姿を見たかったと、強く思う。今ひとつ調子の上がらないチームはチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの出場を逃し、リーグでも不甲斐ない結果が続いた。マルセル・カイザー監督は解決策を失い、スポーティング・ディレクターのオーフェルマルスとCEOのファン・デル・サールは全コーチングスタッフの解任に踏み切ることとなる。クラブは当時、ユトレヒトの監督を務めていたエリック・テン・ハフを引き抜き、ホッフェンハイムでユルゲン・ナーゲルスマンの元で働いていたアルフレッド・シュロイデルをアシスタントとして迎え入れた。
結局このシーズンは目立った結果を残せず終わることとなるが、新たなコーチングスタッフの働きは今シーズン、最高の形で結果を出しつつある。今アヤックスには、新たな風が吹いている。テン・ハフとシュロイデルはいわゆる「ラップトップ監督」と言われる、データを用いた緻密なスカウティングに長けた指導者だ。血気盛んな若者たちを相手にする難しい仕事の中で、出場機会に不満を漏らす選手もおり、選手との不仲が報じられたこともある。(特にツィエフやファン・デ・ベークの不満よく報じられるが、真相は定かではない)しかし、アヤックス伝統の攻撃的なサッカーを貫きつつも、細かな部分で臨機応変に戦い方を変え、今シーズンは強豪と互角以上に渡り合ってきた。これは、これまでのアヤックスには見られなかった戦い方だ。また、選手補強の方針にも大きな変化が見られた。ツィエフ、ネレス、タディッチといった選手はそれぞれ1000万ユーロ以上の金額で獲得しており、ブリントをマンチェスター・ユナイテッドから買い戻すという策にも出た。こういった選手たちがユース出身の選手(デ・リフト、ファン・デ・ベーク、マズラウィ、ダニ・デ・ヴィットなど)、あるいはリザーブチームのヨング・アヤックスで経験を積んだ選手(デ・ヨング、オナナ、カスパー・ドルベリなど)と融合し、素晴らしいラインナップが揃っている。ジョゼ・モウリーニョはアヤックスの戦い方を「ナイーブ」と表現した。しかし、レアル相手に見せた戦い方はしたたかそのもの。今のアヤックスは守りきる強さも、落ち着いてリズムを作る狡猾さも、チャンスを確実に得点につなげる怖さもある。レアルを破ったのは、大番狂わせだった。しかし大番狂わせと偶然は違う。これは育成の勝利、経営の勝利、スカウティングの勝利、そしてアヤックスのカルチャーの勝利だ。
アムステルダムは変化を厭わない街だ。新たなアイディアを取り入れることにオープンな人々の暮らす、多様で、クリエイティブで、自由な街だ。しかし同時に、歴史が息づく街でもある。守るべきところを守り、変えるべきところを変え、アムステルダムの人々は暮らしてきた。アヤックスはアムステルダムとともにある。ひとつのクラブ、ひとつの哲学、ひとつの街。アヤックスという存在は、単なるフットボールクラブではない。アムステルダムの人々の生活、生き様そのものなのだ。
ヴェルヴェット・レボリューションは、大きな摩擦を生む、伝統への回帰だった。その革命の成果として、ユース世代はこれまで以上に才能溢れ、戦力として計算できるタレントを輩出できるようになった。そこに、新たな戦術理論がもたらされ、適切な投資に踏み切る姿勢を幹部が見せことで、アヤックスは復権を迎えつつある。様々な偶然が折り重なって生まれた成果ではあるが、クラブの柱であるユースの再定義と、さらなる投資を可能とする財務基盤が、改革の結果生まれたものであることは間違いない。道のりは長かった。しかし、アヤックスは道半ばだ。間も無く、ユベントスとのベスト8の試合を迎える。リーグはPSVと勝ち点で並び、あと5試合、ひとつも落とさない。そして、もっと、ずっと先の未来を、エドウィン・ファン・デル・サールは夢見ている。
「究極のゴールは、フットボールの世界において、アヤックスが誰もの2番めに好きなクラブとなること。CEOとして、選手と同じように、私は勝利したい。」
移籍だけではなく、その姿勢、描く未来、そして結果によって、「セリング・クラブ」ではなく安定したビッグクラブとしての地位を築くこと。マーケティングの側面においての改革はすでに始まっており、各国のクラブとのパートナーシップが進んでいる。また、YoutubeやInstagram、Twitterを見ればわかるとおり、アヤックスのメディアチームは素晴らしい働きをしている。新しい時代の、新しいアヤックスが、生まれようとしている。しかしその中でも変わらず根底を貫く哲学は、未来を見据えて、解決策を探っていく、アムステルダムという街のあり方そのものだ。
「勝者のメンタリティ。毎日、成長していくというメンタリティ。毎日、より良くなっていくというメンタリティ。そして、そうするための規律。ここにはそれがある」
こんな言葉を言うのが19歳の若者であるということに驚かされる。しかし、9歳からデ・トゥーコムストで育ったデ・リフトはクラブを、そしてアムステルダムという街を、誰よりもよく理解している。