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日記など。

大雪の夜に

年が明けて少しだけ経って、目まぐるしく色鮮やかに日々が過ぎていった去年の年末がもうすでに恋しくなっている。住む場所を変えて、仕事はこれまでにないほど忙しくて、好き仲間と酒を飲んで、親には申し訳ないと思うけれど東京でいつの間にか大晦日を迎えて、気づいたら終わっていた一年。心地よい疲れの中で、随分と遠くまで来たもんだなとぼんやりと思いながら過ごした日々は、濃密だけど爽やかで、あんな日々にずっと身を置けたら、とても楽しいだろうな、なんて思いながら今になって振り返っている。

 

新年も迎えても東京の日当たりのよい部屋で、新しい街に少しずつ慣れながら、のんびりとした日々を送っている。掃除をして、洗濯をして、料理をして。お金を払ってものを書って部屋に置く。お金を払って食料を買ってそれを食べる。お金を払っていろんな所に行っていろんなものを見る。生活をすれば水道光熱費がかかるし、家賃は毎月払わないといけないし税金から逃れることはできない。そんなあたりまえのことを、あたりまえに感じながら生活していた。少し前には早起きして山に行った。ガシガシと歩いて山に登り、寒い頂上で火をおこし暖かな食事をとって、汗がひいてブルッとしながら眼下に広がる秩父の街並みを眺めて、せっせと山を下って温泉に入った。今日は東京にも60年ぶりの大雪が降って、予約した小洒落たイタリアンの店をキャンセルするかどうか迷った末に、これ以上ないくらい暖かい格好をしてはしゃぎながら雪の中を歩いて、おいしいパスタとワインに舌鼓を打った。

 

ぼくはこの街でちゃんと生きている。生活は続いていく。不安なことや、悲しいこともあるかもしれないけれど、それでも一歩ずつ、進んでいく。進んでるのかどうかもよくわからないけれど、でもきっと今ぼくはちゃんと幸せだ。

昼のビールと夕暮れ時

昔住んでいた部屋の最寄り駅には大きなスーパーがあって、そこには多種多様な酒が売ってあった。社会人になりたてで様々な刺激にいささか疲れていた僕は、金曜の夜の予定もそれほどに埋めることなく帰宅し、外を走ったりしてから眠り、土曜の朝起きるとスーパーに向かって食材と各地のビールを買い込み休日の昼から酒を口にした。今ほどクラフトビールなど流行っていなかった、少しだけ昔の話だ。真夏の強い日差しの中、汗をかきながら自転車を漕いでスーパーから帰ってきて飲むドイツやアメリカのビールは、爽やかな苦さと麦の香ばしい甘みに加えて、ほんの少しの罪悪感の味がして、それはそれはおいしかった。

 

 

会社に入って1年目のことがこんなにも昔に感じられることに驚く。あの頃は、という言葉はたとえば高校時代とか大学時代とか、もう少し昔のことを指して使う言葉だと思っていたけれど、今となってはあのうだるような暑さの夏も、ちょっと前の、立派な「あの頃」のできごとだ。

 

 

今と何が変わっただろうか。そういえばあの頃は、もっと夕日を見ていた気がする。昼から酒を飲み、少し昼寝をして、起きたらだいたい一日が無為に過ぎていっていることに気がつく。しょうがないので起き出して、顔を洗い、サンダルを履いてあてもなくふらふらと夕方の街をさまよう。橙や紫に染まっていくカラフルな街を眺めて、ちょっと立ち止まって、もんもんと悩んで、すぐにどうでもよくなって、そうやって休日の午後の時間は過ぎていった。沈む夕日よりも、変わっていく街の色が好きだった。そんなに高いビルがある街ではなかったけど、東京の夕日はすぐに建物の裏側に沈んでしまう。だから、夕日そのものを見ることではなくて、青く変わって一瞬赤く光るあの時間に身を委ねることが、気持ちよかった。

 

 

あそこらへんの土地はのどかでおだやかで、きちっとした感じはなくてちょっとしただらしなさがあって、通勤や遊びを考えたらお世辞にもいい立地とは言えなかったけれど、その適当さ加減がとても心地よかったことを覚えている。そこには大学を卒業する前と社会人になってから少しの間の、ほんの短い期間しか住むことなく、単調な生活の中で貯まったはした金を僕は引っ越し資金につぎ込んでしまった。写真をとったり文章を書いたり、というのを意識するようになったのは引っ越しをした後だから、当時の写真も残っていなければ、ほんとうはどんな気持ちで日々を過ごしていたのかを知るすべもない。あの頃は夕ご飯はどんなものを食べていたっけ。どんな場所に出かけていたっけ。どんなことを感じていたっけ。くっきりとした記憶は消えてしまっている。でも言えるのは、その後住んだ街も、今住んでいる街も、とても好きだけれど、人生が大きく変わった瞬間を過ごしたあの街はやはり今でも特別だということ。見栄えのいい景色も気持ちのいい散歩道すらなかったけれど、夕日に染まる道を車が行き交う様子と、そのとき感じた心地よさは、きっとぼんやりとした形のままこの先もずっと記憶に残っていくのだろう。

 

 

長い休みをとってアテネエーゲ海に浮かぶ島々を訪ねてきた。海と遺跡と夕日を見る旅だ。日没の日没前後の一時間から一時間半程度を、夕日の見える場所で過ごした。贅沢な時間の使い方だ。そういえばあの頃も、夕暮れ時をもっとのんびりと過ごしていたっけ。目の前に広がる絶景と、あのしみったれた風景は、それこそ雲泥の差かもしれないけれど、あの頃の夕日だってきっとちゃんと美しかったんだ。

 

 

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広い世界の美しさに触れることの意味は、日常の小さな世界の中にもどこかで確かに息づく美しさを、見過ごしてしまわないように暮らしていくことの大切さを気づかせてくれることにもある。最近はそんなことを思うし、そう思えるようになったことを嬉しく思う。

 

 

冬の終わり

シャルケ戦で先発した17歳のマタイス・デ・リフトとジャスティン・クライファートの2人は、アヤックスが20年前にチャンピオンズ・リーグで最後に四強に進んだ当時、生まれてすらいなかった。カメルーン国籍のGKアンドレ・オナナ、コートジボワールのベルトランド・トラオレ、コロンビアのダヴィントン・サンチェスといった外国籍の選手は、アムステルダムの街に来るまで、アヤックスという小国のクラブが当時ヨーロッパ随一の戦力を誇っていたことなど、知る由もなかっただろう。そしてその他多くのメンバーや若いファンにとっても90年代の「マイティ・アヤックス」はもはや遠い遠い過去の、伝説のような、真実味のない存在になってしまった。

 

ヨーロッパリーグのベスト8に名を連ねたアヤックスは、ホームのアムステルダム・アレナシャルケ04を2-0で粉砕した。彼らが見せたダイナミックで、流動的にボールが循環する攻撃的サッカーは、まさにクラブが理想として掲げる「トータルフットボール」の姿そのものだった。平均年齢23歳、試合によっては22歳にもなるチームが、70年代、リヌス・ミケルスヨハン・クライフの時代から連綿と続くクラブの哲学を見事に体現していたのだ。これはちょっと普通のことではない。しかし、今年のチームには、期待を持つに値する選手が揃っている。奇跡的な躍進ではあるが、決して単なる奇跡ではない。

 

 

 

今年のアヤックスにはフランク・デ・ブールが率いていた昨年までとは異なる魅力がある。両ウイングに入るアミン・ユネス、トラオレ、クライファートといった選手たちは、単にフィジカルの強さとスピードで相手を引き離すだけでなく、変幻自在のトリッキーなドリブルでリズムを作り、決定的なパスを送ることができる。その中でも注目を集めるジャスティン・クライファートは、アヤックスの黄金期を支えたパトリックの息子だ。父親とまったく同じ顔をしているが、小気味好いドリブルで敵陣を切り裂き観客を沸かせるプレースタイルは、ストライカーとして活躍した父のそれとは異なった魅力を放つ。ドイツで燻っていたユネスは、加入2年目にして、ヨーロッパリーグで最も多くのドリブルを成功させているウィンガーに成長した。そしてナポリにクラブ最高額で移籍したアルカディウシュ・ミリクの後を継ぐのは、若干19歳のデンマーク人、カスパー・ドルベルグ。モナコのキリアン・ムバッペとともに今欧州で最も注目を集める10代のストライカーだ。

 

特筆すべきは中盤の構成。30歳にしてアンカーにコンバートされたラッセ・シェーネは、長短の正確なパスでチームのボール回しの中心となるだけでなく、危険を察知し相手の攻撃を芽を摘む能力を発揮している。キャプテンとして攻守を牽引するクラーセンは、おそらく現在のアヤックスで移籍市場において最も高値のつく選手だろう。彼がチームをあらゆる局面で引っ張り、スペースを見つけて素晴らしい得点を決める。そして、クラーセンのダイナミズムに彩りを添えるのが、トゥエンテから加入したハキム・ツィエフだ。彼の存在が、近年のアヤックスに長らく欠けていたクリエイティビティをチームにもたらし、彼らのサッカーをより魅力的なものにしている。

 

守備陣にも素晴らしい選手が揃う。バルセロナカンテラ出身であるオナナは、ヤスパー・シレセンが去ったゴールマウスを堂々と守りきるだけでなく、足元の技術を活かしビルドアップの起点となる。オランダ代表としてW杯も経験したヨエル・フェルトマンは右サイドバックにコンバートされ、的確なオーバーラップと正確なフィードで攻撃にも大きく貢献する。20歳のサンチェスと17歳のデ・リフトは身体能力の高さで相手を潰すだけでなく、攻撃参加し点も決めることができるモダンなCBだ。そして27歳のニック・フィールヘフェルは、昨年まではなかなかスタメンに定着できない時期が続いたが、今年はCBと左サイドバックの両方を高いレベルでこなし、チームに欠かせないピースとなっている。ヘーレンフェーン出身のダレイ・シンクフラーフェンは、攻撃的MFから左サイドバックにコンバートされ、目覚ましい活躍を見せている。

 

その他にもドニー・ファン・デ、ベーク、アブデルハク・ヌーリ、フレンキー・デ・ヨングといった若手も、着実に経験を積み、来期以降のスターティングメンバーの座を虎視眈々と狙っている。平均年齢は若いながらも、要所要所にベテランも起用され、バランスの良い戦力を揃えることができているのが、今年のアヤックスだ。

 

 

 

相手を圧倒する素晴らしい試合を展開した1戦目とは打って変わって、2戦目は苦しい展開となった。後半、2点を立て続けに決められ、延長前半にも1点を許すだけでなく、フェルトマンも退場となる絶望的な状況。しかし、チームを救ったのはフィールヘフェルだった。120分間、どこにそんな力が残っているのか不思議になるほどピッチ全体に顔を出し、守備に貢献するだけでなく多くのチャンスを作った。延長後半、ケニー・テテからのクロスをクリアーしようとしたナスタシッチにフィールヘフェルが猛然と詰め寄る。クリアーがブロックされ、ボールはそのままゴールへ。さらに、前がかりになったシャルケに引導を渡すゴールをユネスが叩き込み、アヤックスは2戦合計4-3での準決勝進出を決めた。これはアヤックスが実に20年ぶりにヨーロッパの舞台で四強入りを決めた瞬間だった。試合を見た人にとっては、戦術やスタッツでは表すことのできないフットボールの美しさ、ひいてはスポーツが生む奇跡や感動、そして一方では残酷さを、目の当たりにすることとなった。

 

フィールヘフェルのゴールは運の要素も多分にあるゴールだったが、あそこであと一歩足を伸ばせること、冷酷に駄目押しの2点目を決められること、そして苦しい状況でも運を手繰り寄せらることこそが、このチームの持つ価値を表している。平均年齢23歳のチームが、ついにここまで来てしまった。これは当然ながら、現時点でチャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグの四強となっている8チームのうち、最も低い数字だ。若いと言われるモナコでも25歳なのだから。

 

 

ヨーロッパでの躍進はピーター・ボス監督がアヤックスのサッカーを蘇らせた結果でもある。無難にパスを回すだけでなく、時に力強くゴールに迫る。大胆なロングパスで裏を狙う。選手の技術の高さに裏付けされたポゼッションだけでなく、美しくゴールを奪うことこそがアヤックスアイデンティティなのだと、アムステルダムの人々は再確認している。

 

 

「今度こそは」と誰もが思っている。今度こそ、ヨーロッパで結果を残してくれる。今度こそ、ワールドクラスのタレントが再びアヤックスから輩出されるようになる。今度こそ、愚かなミスでの敗退ではなく、完全な勝利か、戦いきった末の美しい敗北で、シーズンを終えてくれる。アムステルダムの人々は、20年間、辛抱強くこの時を待っていた。今、その瞬間がついに来ようとしている。そして、シャルケに素晴らしい形で勝利した今年のアヤックスは、その境地に一歩、足を踏み入れつつある。

 

デ・リフトやクライファートがワールドクラスの選手になるというのは、少々過度な期待かもしれない。若く経験の浅い彼らは、準決勝でリヨンにあっけなく敗れ去り、リーグではフェイエノールトとの差を埋めきれずに2位に終わるかもしれない。しかし、きっと、ファンはこのシーズンを後世に語り継いでいくだろう。誰よりも愛されるキャプテンの背番号10がチームを率いた姿を。クライファートの息子が、その後長く続くであろうその偉大なキャリアの第一歩を踏み出した瞬間を。サンチェスのオーバーヘッドを。シェーネのフリーキックを。ドルベルグのハットトリックを。

 

 

この一年は語り継がれていく。どんな結果になるにせよ、長い冬の時を経て、ようやく、クラブに誇らしい新たな歴史が生まれたのだから。そしてそれは、若いファンにとって、父親や母親たちが語る伝説ではなく、ようやく彼ら自身の口から語ることのできる、自分たちの物語なのだから。

 

 

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冷えた街

夜遅くに起こった厄介ごとのせいで、日が昇る前に起きて震えながら裸になってシャワーを浴びる。冬なんてたいして汗もかかないんだし、肌も乾燥するから、朝のシャワーを浴びる必要はあまりないのだけれど、なんとなく習慣で、毎日シャワーを浴びている。熱いお湯で強制的に目を覚まし身体を洗い髭を剃り、洗面所で髪を乾かし、髪型を整え、少しだけ香水をつけてからスーツを身に纏う。外に出ると刺すような冷気だ。曇った空は少しずつ明るくなるけれど、それは厚い雲の存在を際立たせるだけで、青空は一向に見えてこない。ふと、軽く肌に触れるものがある。粉雪が舞っていた。まるで、上空の寒さに耐えられなくなったから、地上に逃げ出してきたみたいだな、と思う。小さくて、ごく軽い雪の粒が、路上に落ちて消える。東京に暮らしていても、こんな日もある。

 

 

嘘をつくことがうまくなってしまって、日常をやりすごすことに慣れてしまって、やってはいけないことを繰り返すことに慣れてしまって、これでいいのかと思いながら一日、また一日と、心の中に黒い染みが増えていく。もう少し頑張れば、救いはあるだろうか。どこまで走り続ければほんとうにほしいものが手に入るだろうか。ちょっと疲れたから休もうかと考える余裕もなくて、ふと振り返ると今日は昨日とまるで違う一日で、僕は一時間前のことすらうまく思い出せないで立ち尽くす。

 

 

気が付いたら肯定してほしいだとか、認めてほしいだとか、そんなちっぽけなことばかり考えている。勝手に傷ついて、相手のことなんて考えないで、自分の殻に閉じこもる。そんな生き方はもうやめようと思って、ちょっとだけうまくできたかなと思ったけれど、自分の本質はそんなに簡単に変えられるものではない。だからこそ人を認められる人でありたい。肯定できる人でありたい。でもそれがうまくできずに日々、悶々としている。

 

 

 

怪獣の腕のなか

笑っちゃうくらいに抱きしめるから

誰かを拒むための鎧など

重たいだけだから捨てましょう

 

―きのこ帝国『怪獣の腕のなか』

 

 

 

ここ最近の東京は冷え込みが厳しくて凍えるようだ。暖かい季節というのは、どんなものだったっけ。人はその状況から遠く離れたときにうまく記憶を呼び寄せることができない生物だ。いつだって思い出すのは、その瞬間がやってきたとき。ああ、昔、こんな冬もあったなと、思い出す。

 

 

someone, somewhere cares

すっかり寒くなり引き締まった空気は心地よく、週の中日の祝日にたいした予定もなく寝て家事をして結局仕事をしたりして過ごした。会社の近くのジムで汗を流して家路につく。休日の赤坂は好きだ。オフィスが立ち並ぶここ一帯はおいしいご飯とお酒を出すお店も多いけれど休日にぶらぶらとするような街ではない。だから人はまばらだけど、休みの日にここにいる人たちは、ちゃんと用事があってここにいてそれはとても素敵なことなのではないかと思う。そんな場所をひとりで特にあてもなく歩くのはなんだか少し贅沢な気分になる。

 

 

ええと、そうだ、ここ最近のことを思い出そう。春があって、夏があって、秋があった。気が付けば今年もあと2か月で終わる。何が変わって、何が変わっていないだろうか。何もかもが変わってしまったような気もするし、変わったことなど何もないような気もする。

 

 

この街に住み始めて1年が過ぎた。平日は眠りに帰るだけで、少し時間ができたときも外で飲み歩いたりすることも多いことからか、未だにどこか、部屋に入るたびに、新鮮な気持ちになる。これが本当にぼくの部屋だったっけ。ぼくは本当にここで生きているのだったっけ。昔よりも、誰かと時間を過ごすことや、誰かを部屋に入れることに抵抗が少なくなって、ひとりで居たいと思うことが少なくなった。いろいろな人と関わりながら仕事をしているのに、仕事を離れても誰かと居たいと思うということはどういうことなんだろうな。昔だったらせめて、一日中人と接したあとは、ひとりで居たいと思っていたけれど、そういったことがなくなった。それは寂しいという感情とも違って何かへの依存がないと自我が保てなくなっているということなのか、もしそうだとしたらそれは由々しき事態であってどこかにメスを入れなければいけないのだろうな、でも心のどこかにメスを入れた途端にまたどこか心の別の部分にいるじぶんが「そっちじゃないよ」と声を上げ、開いた切り口からダラダラと血が流れるのをただ呆然と眺めることになりそうで、そんな曖昧で輪郭がつかめない心の姿に当惑する。

 

 

過去の記憶は消すことはできないが薄れていくことはある。全体としてはぼんやりとした記憶になっているできごとも、その中の、切り取られた一部分だけが尖った記憶となっていく。あのとき、この部屋で感じた、あの感情。眼に入ってきたあの色。あの形。あの表情。耳に入る声。匂い。喜び。痛み。快楽。苦痛。最近は起こったことを一連のつながったできごととして記憶しておくことが億劫なのか、静止画のような記憶が積み重なって、ランダムで再生するスライドショーのように脈絡もなく次から次へとフラッシュバックしてくることが多い。最近のことはどうだろう。とても最近のことなのにすでに色褪せてしまった記憶や、随分と前のことなのに未だに鮮明に焼き付いた記憶、そして覚えていたことすら忘れていたとりとめのない、無数の、日常の記憶が複雑に折り重なったその色は、全体としてはぼやけていて、しかしときとして、ある一点の鮮やかな色が強烈な存在感を放っていたりする。これは狂気だろうか、平穏だろうか。半年や一年という期間は一言で形容するにはいささか長すぎる。急にいろいろなことを思い出そうとすると、疲れてしまうものだな。こうやって、思い出すことが減って、覚えることも減って、いつのまにか何かを失うことも得ることもどちらにも気づかないまま日常が進んでいく。

 

 

外に出て、冷たい風に当たりながら雲の合間に見える星の弱々しい光を探した。この辺にはちょっとした林があって、少し前までは、虫の鳴き声がうるさいくらいだったけれど、今は微かに、数匹が鳴くだけだ。数ヶ月に一本しか吸わない、煙草に火をつけてみる。煙を吸って吐き出し、何かを思い出そうとしてみる。こういうときに楽しい思い出は、なかなか浮かんでこないものだな。良くない思い出が蘇ってきて、やはり人生はクソだと、思ってしまう。いつものことだ。冬が来る。眠りにつけば、冬にまた一歩近づいた朝がやってきて、仕事があり、夜がある。部屋に戻ろうとする。ここがぼくの居場所なのだっけ。今ぼくはどこにいる。明日のじぶんはどこにいる。

 

日記20160528

ひとを肯定すること、まちがいや失敗も許すこと、そんなことを無理せずにさらりとできる大人になりたいなと、大人になりもう随分と経った今になってよく思う。大切に思う人に対してやさしくあることだったり、自分とまったく違った考え方や価値観を許容することだったり、そういうことに対するスキルが自分にはまったく備わっていないのだ、と、最近はよく思う。口先では多様な価値観を認めたい、価値観を同じにすることなんてできないんだからお互いを認め合えればそれでいい、と言うけれど、けっきょくこれまでの自分はなんとなく自分と同じような価値観を持った人に囲まれて、ぬくぬくと過ごしてきたんだなと、すこしだけ職場での立場が変わって、それと、すこしだけ、生き方そのものが変わって、まるで体験したことのないことばかりを体験している今、毎日毎日考え、そんなこと以外に何も考えられなくなるくらいにそればかり考えているけれど、結論も出ず、また同じ間違いをして、どうしたらいいかわからないのに、信頼できる友人であってもすべてを包み隠さず話すことが恐ろしい。いつも、強がって、自分を強く見せようとしてきた。自分の弱い部分を隠してしまい、ありのままの自分を見せるのがむずかしい。いつのまにか身体に染みついてしまったその子どもじみた高慢で、自分で自分の首を絞めている。そして、隠そうとすればするほど、ほんとうの自分の気持ちはわからなくなり、自分はいったいなにものなのだ、誰に対して見せている、どの自分がほんとうの自分なのだ、ひとりで部屋で唸りながら考えている自分が、ほんとうに、ほんとうの自分なのか、などというありきたりでくだらない思いが頭の中の空間を埋め尽くす。

 

 

つらいことというのは、つねにあるものだなと、これまでを振り返って思う。何もかもがすべてうまくいったことなんてあっただろうか。きっとないだろうな。いつもいつも、自分勝手に傷ついて、鬱々とした気持ちになって、それをできるかぎり、周りに見せないように生きてきた。自分の感じている絶望なんて薄っぺらいものだ、なんてことはわかっていて、だからこそ余計にめんどくさく、他人に愚痴ることができるものでもないなと考え、そういうときはこんなふうに文章を書いてきた。そして、なんとなく自分の気持ちや、行動をコントロールして、うまいこと生きることができてきた。それでもやっぱり、どこかで自分を認めてくれて、大変だね、でも大丈夫、心配ないよって言ってくれる人が、きっと自分には必要なんだと、できることならば自分自身がそういう存在でありたかったと思うようになってはじめて気づく。まいったな、何が大切なのか、路頭に迷う中で気づくことができそうになっているのに、そう思ったときにはいろんなことが手遅れになっていて、それをすぐに実践するにはあまりにも自分は不器用すぎるまま成長してしまっていて、傷ついたまま立ち尽くすしかない。人を守りたいとうたう歌が世の中には溢れていて、その気持ちが今までずっと理解できなかったけれど、やっと、この歳になって、その意味がわかりはじめてきたような気がする。目の前の相手を肯定することができるか。何があってもその人の味方になることができるか。自分にそうする覚悟があるか。そして、自分も同じように、そうされることができるか。相手を信頼できるか。そういうことなんだろうなって、今は思う。もしこの先、そういう人間関係を、誰かと築くことができなかったら、きっと後悔だらけの人生になってしまうんだろうなと、ぼんやりと思う。

 

 

それでも、自分は元気だ。誰よりもたくさん働くし、誰よりも仕事に対して深く考えるし、成長意欲も上昇志向もある。周りに負けたくない、成功してやりたい、と毎日強く思いながら働いている。そのほかのことが何ひとつうまくいかなくても、情熱を注げる仕事が目の前にある。重圧に潰れそうになることもあるけれど、負けない。それだけが今、自分の中のひとつの防衛線になっている。いつまでこんな状態が続くのかわからないし、そんなに悠長に問題を先延ばしにしている余裕もないのだけれど、今はそれで大丈夫。すべてうまくいくときが、きっと来る。

 

reccuring nightmare

心が弱ったときに見る・するあれこれみたいな情報が今日もネットには溢れかえっている。心なんて随分と前から弱りっぱなしで、そんな人間に対する救済なんていうものはなかなか簡単に見つかるものではない。筋トレやランニングはダメだ。単純な反復作業を繰り返す中でどうしても余計なことを考えてしまう。最近は唯一フットサルをやっているときだけが余計なことを考えなくて済む。パスをもらうその瞬間、どこにボールを持ち出すのが最適か。細かいタッチがいいのか、大きく持ちだすのがいいのか。あるいはワンタッチでパスを出すのがいいのか。足元のボールに対して、脚をどんな角度で、どんな速度で振ったら、目指す位置にボールを飛ばすことができるのか。キーパーが取れないシュートを打つために、どこにボールを置いて、どんなキックをすればいいか。サッカーやフットサルというのは常に無数の可能性の中から最適解を選ぶゲームであり、その複雑性の中に身を委ね、目の前のプレーに集中することで、束の間、他のことを考えなくて済む。

 

 

どこを見渡しても喪失しかない。進むべき方向性も、大切にすべきものも、何もかも見失ってしまったような感覚だ。暗い部屋でコーヒーをすすって青々とした光を放つパソコンのディスプレイに向かう。何の生産性もないけれどぐちゃぐちゃとした思考を文章にまとめて書き殴るのはそれはそれで気を紛らわすことになる。自分には何もない。仕事がうまくいこうがそれがどうした。仕事に打ち込んで何になる。それが将来の何につながる。そこからつながる将来に、どんな意味がある。今までの人生の中で築いてきた、いろいろな人とのつながりや、これまで頑張って身につけてきたいろいろなことを、すべて捨て去って、どこか知らない場所に行くことができたら、どんなにいいだろうと思う。でもけっきょくそんなことをする勇気もなくて、どうせこのまま仕事を続けたらそれなりの成功を手に入れて、どこかのタイミングで幸せな家庭でも築いて、それなりに幸せな人生を送るんだろうなと思う。

 

 

大切にしていた気持ちはどこにいった。そんなものは果たして最初から、あったのだろうか。期待を裏切り、人を傷つけ、自分を傷つけ、最低な気持ちで日々を送っている。そうやって過ごすことで少しでも自分の気持ちを満足させることができたらいいのに、どうやったって、自己嫌悪を繰り返すだけだ。ひとときの満足を得るためなら酒を飲めばいい。ひとときの満足すら得ることができないような言動を繰り返して、何度も何度も後悔して、なんでそういうふうにしか生きていくことができないんだろうと、沈んでいく。

 

 

Where are you?
And I'm so sorry
I cannot sleep
I cannot dream tonight
I need somebody and always
This sick strange darkness
Comes creeping on so haunting every time

 

 

春の夜の闇は街をやさしく包む。街灯に照らされた花は夜もなお生き生きと、可憐でいて妖艶な姿を見せ、その美しさに胸が詰まるけれど、僕はその薄桃色の花の名前さえ知らない。二人で歩きながら、道端の花の名前を次々と言い当てた人のことを少しだけ思い出す。日曜の夜はこんなにも平和で、家路を急ぐ人たちもどこか心地よさそうにしているというのに、それに対比されるように自分の心の闇が浮き彫りになる。その闇は、このやわらかな夜の闇とは違った色をしている。それは濁っていて、ふれたらチクチクとするような刺々しさと、悪意を持っていて、身体を内側から侵食していく。視界にはぼんやりとした靄がかかり、皮膚の感覚は鈍く、思考は遅い。歩いても、脚が動いているという感覚がなく、ふわふわと空中を浮いているような感覚だ。でもそれは心地よいものではなく、地に足がつかないもどかしさ、むず痒さが、またしても少しずつ、心を傷つけ、むかむかとした吐き気が身体の奥の方でぼんやりと湧き上がってくる。何もかもが面倒で、気だるく、家に帰っても死んだようにベッドに横たわることしかできない。ああいま僕は生きていようが死んでいようが変わらない状態だ、と気づくと、さすがに少し起き上がって皿を洗ったり、洗濯物をしたり、掃除機をかけたりしてみる。どんなに深く、暗く切ない感情に胸を切り裂かれていたとしても、そうやってどす黒い血をダラダラと流したままだとしても、食べて寝て普通に生きていくことだけは続けないといけない。繰り返し感じる痛みはいつか麻痺していく。痛みは痛みとしてそこにあり、対峙する自分の感覚だけが腐っていく。それはけっして、時間がすべてを洗い流してくれるだとか、そんなきれいなことではなくて、ただただ、自分の中の何かが、少しずつ崩れていくのを傍観しているような気分だ。抑えている感情はふとした瞬間に爆発し、人並みに生きたい、人並みに生きたいと、誰の耳にも届かない咆哮を上げる。