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日記など。

Chasing the Sun

Oasisというバンドは僕を支えてくれた、かけがえのない存在だ。

 

僕が彼らの曲を初めて聞いたのは、2002年。ちょうど"Heathen Chemistry"がリリースされるくらいのタイミングだ。テレビのCM曲を集めた安っぽいコンピレーションアルバムの中に、当時車のCMに使われていた、Oasisの"Whatever"が収録されていた。当時の僕は「こんなに美しい曲が世の中にあるのか!」と感動したものだった。

 

そして数日後、僕はまたCD屋に向かっていた。悩んだ末に買ったのは、"Definitely Maybe"。やっぱりファーストアルバムから聴くのが正しいだろう、と、今よりとんでもなく若かった僕はまっとうな判断をした。そういうちょっとしたところで頑固なこだわりを見せるところとかは、10年以上経った今も変わってないんだよな、と思い返してしみじみ思ったりもする。

 

 

たしかその日は両親と出かけていて、待ちきれなくなった僕はカーステレオでCDを再生した。最初はよくわからなかった。J-POPほどわかりやすいコーラスがあるわけでもないし、お世辞にもテクニカルとは言い難い演奏だ。よくわからないし、両親も「なにこれ?」って心底興味なさそうな反応だった。

 

 

数時間後、自分の部屋に戻ってもう一度CDプレーヤーの再生ボタンを押してみた。高らかに鳴り響くギター。独特な、酒とタバコで少しだけ潰れたボーカル(でもこの頃のリアムの声はそんなに潰れていないし高温も出ている)。そして"Tonight I'm a rock'n'roll star"という、身も蓋もない叫び。そうだ、これだ。こういうのを探していたんだ。

 

 

今でも変わらぬお気に入りは"Digsy's Dinner"と"Married with Children"だ。趣向の違う二曲だけれど、共通しているのは気怠い演奏とボーカルと、極上のメロディーだ。それも、アメリカンな底抜けの明るさでもなく、日本の演歌的な旋律でもなく、しっかりとグレート・ブリテンの伝統が滲み出た、曇り空によく合うメロディー。

 

 

それからずっとOasisを聴いてきた。サッカーの大事な試合がある朝には"Whatever"を聴くようにしていたし、"Don't Look Back in Anger"や"Wonderwall"は何度も何度も聴いた。

 

"Definitely Maybe"がリリースされてから今年で20年。ファーストアルバムが出たときの衝撃を、「クール・ブリタニア」と称されたイギリス文化の熱狂とそれに対する憧憬の念を、そして「ブリット・ポップ」の興奮を、僕はリアルタイムで知っているわけではない。でも僕を支えてくれたバンドの、20年という月日は、最高級のリスペクトを送るべき対象なのだ。

 

 

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若者が溢れかえる週末のラフォーレ原宿の6階に、ほんの少しだけ高い年齢層の人たちが集まっていた。バンドTシャツを着た人。ひとりで来ている人。マンチェスター・シティのマフラーを巻いた人。それぞれがそれぞれの想いを抱えて、展覧会に集まった。素晴らしい写真が並んではいたものの、大半の人にとって目当ては"Definitely Maybe"のジャケット写真のセットで撮影ができるスペースだ、僕らも、無理やり5人を集めて、1時間以上並んで写真をとった。リアム。ノエル。ボーンヘッド。ギグジー。マッキャロル。最高のアルバムを作った、クソ野郎どもに想いを馳せ、土曜の午後の時間は過ぎていった。

 

 

 

 

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そのあと女の子たちと合流して、おいしい夕食を食べながらおいしいお酒を飲んで、夜の街を飲み歩いて、そしたらその中の二人が付き合っていることを知って、そんな大学生みたいなことをいつまでも続けている僕たちに、なんだか少しいいなって思ったりした。食べて、飲んで、いい気分で酔っぱらって、帰り道、ふと振り返ると2組のカップルが並んで歩いたりしていて、手なんかもつないだりしていて、純粋にそういうの、すごくいいと思った。

 

 

もしかしたら、今この瞬間って、人生で一番美しいときなんじゃないかって。一番楽しくて、甘美な時期って、今なんじゃないかって。たまに友達と飲んだりすると、そんなことを思う。今この瞬間を、8ミリカメラとかで切り取ったら、本当に美しいフィルムになるんじゃないかって思った。だって僕らは昔と違って、おいしいものをたくさん食べることができる。みんな大人になって、いろいろな場所を知っていて、みんなを連れていくことができる。でも、それでいて、秋の気持ちの良い夜に、青山の街を、まるで世界に自分たちしかいないみたいに、歩き回ることができる。まだまだ、僕らの世界は僕らだけでできていて、僕らは馬鹿みたいにそんなことを信じることができる。少なくとも、週末の間は、ね。

 

 

願わくば、この瞬間が、いつまでも続きますように。

 

 

それは無理なんだ、そうじゃないんだ、ってみんなわかっている。週末は終わるし、年齢を重ねるにつれて生活は変わっていく。でも、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、陽の光を追いかけていたいと思う。

 

 

 

ちょっとだけ寝不足で、昔みたいにちょっと寝ればお酒が抜けているなんてこともなく体はどんよりしていて、でも今日もやることがたくさんあって、会いたかった人に会えるってわかっている。そんな日曜の朝は美しい。

 

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sunday morning 6:06 a.m.