映画『言の葉の庭』
雨が降る休日が多くなっている。
昔は雨なんて大嫌いで、なんで21世紀にもなって傘なんていう足が濡れる、貧弱な道具で手をふさがれないといけないのかと、鬱々とした気分になることが多かった。
でも最近は雨の日の美しさに気付くようになってきた。きっかけはひとつの映像作品。新海誠監督の『言の葉の庭』だ。
『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer - YouTube
あまりにも美しい雨の描写。陰鬱な感じではなく、植物の緑や差し込む陽の光のやわらかさが、本当にきれいに描かれている。そしてユキノ先生の作画もただただ美しい。すらりと伸びた足、寝転んだ時に強調される胸の膨らみ、ショートヘアだから見える首筋…フェティッシュでエロティックな、それでいて上品な佇まい。
絵だけでなく、音の使い方も見事だと思う。音楽だけでなく、雨の音、鳥の鳴き声といった環境音自体も美しいけれど、セリフを音楽や環境音で消している部分があったり、場面によって最適な音の使い方がされていると感じた。最高級にアーティスティックな作品だと思う。雨の日は頭の中でこの映像を思い出すし、「Rain」を聴きたくなってくる。
仕事や、恋愛や、いろいろなことを「ひとりで歩けない」ようになってしまった女性教師が、15歳の少年に出会い、少しずつ歩けるようになっていくまでの物語。現代社会で傷を負って暮らす人々の孤独を描き、まっすぐな夢に勇気づけられるという設定は、ともすれば陳腐なものになりかねないけれど、必要最低限の言葉のみで構成されているので大味にならない。「行間」がしっかりある、文学的な作品だと感じた。このインタビューとかを読んでみても、本当に丁寧に考えて作られた作品なんだなと感じる。
頑張りたいけれど、どうしても怖くて、頑張れない。現実から目を背けて逃げてしまう。人との関わりを避けてしまう。大人であるべきだとわかってはいても、賢くなれない。そんな場面は、誰しもあるのではないだろうか。少なくとも、そういった寂しさ、悲しさ、切なさに共感する人が多いからこそ、新海誠作品がこれほどまで幅広い支持を集めているのだと思う。僕は男性だけれど、この作品ではユキノ先生が抱える心の闇と光に、強く惹かれた。
彼の人物描写は、時としてセンチメンタルすぎる。それに苛立つこともあるんだけれど、やっぱり見直してみると、「人間、誰でもそんなもんだよな」と感じる。もちろん、自分だって。だから、妙に心をえぐられる。
「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから。」
インタビュー内で新海誠監督が語るように、この作品は彼が好んで描いてきた「セカイ系」というよりはむしろ、「きみとぼく」の間に「社会」を差し込んだものになっている。「秒速5センチメートル」の主人公は、恋心を抱いた女性を忘れることができないという、たったひとつの理由のために、不可解なほどに傷ついていったが、「言の葉の庭」のユキノ先生は理由があって、社会的な関係性の中で傷ついている。そこが、たぶん僕がこれほどまでに作品に惹かれた理由なのではないかと思う。ボーイ・ミーツ・ガール的なストーリーに胸を躍らせ、身の回りのことよりも世界の終わりとかそういうことに想いを巡らせるみたいな、そういう感覚を抱くには、老けすぎてしまっているのかもしれない。今は何を考えていても、仕事や生活のことが頭をよぎるし、今後すぐにそういった状況が変わるとも思えない。
雨の日の平日、新宿御苑に行ってみよう。