gezellig

日記など。

want

一人暮らしを始めて7年になるし、社会人になってから3年、そして今の家に住み始めてから2年以上が経った。こうなってくると、身の丈に合った、生活に必要なものは大抵揃っているから、食糧その他の消耗品や、古くなったり壊れたりしてしまったものを買い替える以外には、特段金をかけず生きることができる、はずだ。

 

 

実際はそういうわけにはいかなくて、「もっといいものを」「もっと便利なものを」「もっとかっこいいものを」といった具合に、人々は愚かにも金銭を浪費していく。例えば僕だって、ほしいものがいろいろある。

 

 

自転車は持っている。でもタイヤがパンクしてしまっているし、ロードバイクがあったらかっこいいし色々なところに行けるな、と思う。これで5万円。

 

 

父親から譲り受けた一眼レフカメラを持っているけれど、ボディはかなり型落ちのもので、ここだけ買い替えたらもっといい写真がとれるだろうな、と思う。色々探したけど、ほしいのはだいたい6万円くらい。

 

 

スーツは何着も持っているけれど、冬物は少ないし、安物ばかりだ。そこまで高級なものじゃなくていいけれど、ちょっといい感じの、冬物のスーツを買うべきかもしれない。だいたい、3万円か4万円かな。

 

 

携帯電話も、もう2年以上使っている。便利だけど、さすがに電池の持ちとか、いろいろ古くなってきているし、iPhone6でも買おうかと考え始めている。SIMフリーの16GBモデルで、75800円。

 

 

フットサルとか、ジムに行ったり、ランニングしたり、なにかとスポーツウエアは使う。ちょっといい感じのウインドブレーカーがほしいし、色々と買い替えたいものもある。全部含めて、だいたい、2万円くらい。

 

 

炊飯器が壊れてるし、レンジも古いし機能が少ない。ついでに掃除機とかも買い替えてしまおうか。身の回りのいろいろなもの、ちょっといいものを買えば3万円くらい。

 

 

DVDレコーダーがほしいかもしれない。録画ができるやつ。だいたい、15000円くらいだろうか。

 

 

 

合計するのも嫌になるほどの金額だ。今の生活は満足できるもののはずなのに、もっとちょっとだけいい生活を望もうとしたら、やっぱりお金がかかるし、人間なかなか今持っているものに100%満足することは難しい生き物なのだ。

 

 

とりあえずカメラだろうか。旅行に行く前のタイミングで買った方がいいから、1週間以内に判断しなければ。

 

 

lost

朝、普段は地下鉄に乗る。地下鉄に乗ってしまえば真っ暗な車窓から眺めるべきものなど何もなく、ただ目的地につくまでジッと音楽を聞いたり、スマホで無意味な情報を眺めたりしている。

 

 

たまに時間に余裕があるときは、地下鉄ではなく地上を走る電車に乗ってみる。そうすると、線路沿いにぎっしり立ち並ぶ家やアパートの数々から、いろいろな人々の生活が見えてくる。

 

 

あわただしく洗濯をする人。テレビを見る人。ぼーっとしている人。様々な生き方があり、様々な時間の過ごし方があり、そのほとんどの人たちと自分は一生、何の関わりもなく生きていく。ひとりひとりに物語があり、自分自身にも自分自身の生き方や物語があるけれど、それらの物語は、多くの場合、決して交錯することはない。

 

 

例えばほかにも、夕方の街の風景。買い物をする人、家路を急ぐ人、これから街へ繰り出す人。いろいろな人がいて、この人たちにはこの人たちなりの暮らしがあって、今家に向かっている自分だってもしかしたらまったく知らない場所で、まったく知らない人と、まったく別の生き方をしている可能性だってあったんだとふとした瞬間に気づき、途方もない気持ちになる。それは、単純に無数の「ありえた自分」の可能性に触れたことに対する困惑だったり、これだけ多くの人間が存在しているにも関わらずほんとうにわかりあえる人間というのはほんの一握りにすぎないんだなという切なさだったり、だからこそ人とのつながりを大切にしようという暖かな気持ちだったり、いろいろなものがごっちゃになった感情だ。

 

Sometimes I look at people and make myself try and feel them as more than just a random person walking by. I imagine how deeply they’ve fallen in love, or how much heartbreak they’ve all been through.

Her (2013)

 

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少しずつ夜に沈んでいく街。春を待つ桜。暖かい食卓。今年ももうすぐ終わってしまう。

today

家についてしまえばどんなに遅い時間であっても、少なくとも次の朝が来るまでは自分だけの時間がやってくる。一切の社交性も必要なく、ただひたすらに、次に生きないといけない瞬間までの時間つぶしをする。死んでいるみたいだ、と思うけれど、実は死んでいるのは陽が昇っている時の自分なのかもしれない。本当の意味で生きているのはいまこの肌寒い部屋で眠気と戦って、なんとなく明日を先送りにしている自分なのかもしれないとほんのすこし思ったりする。

 

 

たとえば今午前2時で、4時間もすれば立派に朝と呼べる時間になって、その4時間という一瞬のうちにすぎてしまう時間が夜と朝を隔てているのだと考えると、夜とはなんて儚く脆いものなのだろうと不思議な気持ちになったりする。時をかける少女を観て、もし自分も時をかけることができたらいったいいつの時点に戻るだろう、と思ったりしたけれど、たぶん毎日毎日ささいな、とても小さな後悔にとらわれながら生きている今の自分は、どうせ「1週間前」とか「数か月前」とか、そういうみみっちい、それでいて贅沢な、選択しかできないのだろうなと思う。どこかにあるかもしれない別の人生に踏み出すことを考える余裕なんてなくて、なんだかんだで今の自分を肯定してしまっている自分はどこかから人生をやり直すなんてのも億劫で。

 

 

なんていうとりとめもない文章を書いていたらいつのまにか眠ってしまっていた。残酷なことに、寝て起きたら朝が来る。楽しみながら働いているように見せかけて実は心は死んだままで働き、家に帰り、金曜日が終わって週末が来る。他の4日とは少しだけ違う夜。良い週末が来ますように。

No title

 

人と会って話すことが増えていたけれど、特に何もしない週末というのを久しぶりに過ごした。特段誰とも話さず、ただひたすらにコンピュータの画面に映し出される無益な情報や、あるいはテレビ画面のフットボールの様子を、怠惰に眺め、時々コーヒーを飲んだりお酒を飲んだり本を読んだりしながら「時間があったらこんなことするのにな」とか「大金があったらこんなことするのにな」といったような無駄なことをとりとめもなく考えていた。

 

運動もせず人とも話さない週末はまったくもって味気なく、こんなことしていていいのだろうかという思いが頭をよぎる。でも僕は飯を食い、気が向くままに横になり、自堕落な休日を過ごしていた。夕方になって「一歩も家から出ないのはまずい」と強迫観念のようなものに襲われ、近所の商店街だったり電車でちょっといったところにあるいろいろな店が揃う街にでかけたりする。最近の僕はすっかり、常に何らかの消費活動をしないといけないような気がしてしまっていて、流行りの断捨離だったりミニマムな生活というのがどうも苦手だったりする。つくづく、自分は物質世界の人間なんだなと実感する。マテリアル・ワールドの住民。ガールじゃなくてボーイだけど。

 

ただただ無益に過ぎていく時間だけれど、仕事がなくなるわけじゃない。月曜の朝から大量のやることが待ち構えている。一時期のぶっ壊れた生活からは少しだけ解放されているけれど、なにはともあれ忙しい仕事だ。

 

先週末、母校の大学の学園祭に行った。東京の中でも「田舎」と呼んで差支えない場所にある僕の母校は、世界各国の言語を学べることで有名で、学園祭ははっきりいってたいていの大学よりよっぽどオリジナリティがあり、充実した体験ができるものだと思う。そんなことを考えていたら、自分にも母校に対する帰属意識みたいなものがあったんだなーと少し感慨深い気持ちになった。そういう意識というのはどうも苦手で、毛嫌いしていたところがあるんだけど、大学時代の友達と会ったりしているとそういうのも悪くないかなと思ったりする。

 

 

いろいろな物事の出口や、あるいは入口が、よく見えないまま2014年も終わろうとしている。ぼんやりと時間を過ごしていつのまにか年を取っていました、というのをすんなりと受け入れられるには僕はまだまだ若すぎて、何かを成し遂げなきゃという衝動を持っていつつも、同時にうんざりとした現実が気になってしまう程度には大人になっていて、そういったリビドーのようなものをすべて仕事に捧げられたらいいんだろうけど実際はなかなか難しい。もちろん、頑張ってはいるけれど。その結果やり場のない衝動をどうにかする手立ても何もなく、焦りを抱えたまま日々が過ぎていく。ふとこういった一年が終わりつつあるようなタイミングで振り返ってみて、現状を何も変えることができていないどころか日々心の中に抱えたしこりや淀みを大きくしていってしまっている自分に気づき、少しだけ絶望するんだ。

 

 

なんだか暗い文章になってしまった。やっぱり休日は人と話したり、色々なところに行ってみないと駄目だ。でも、まぁそうじゃない週末というのもたまにはいいかと思いながら、ゆったりとした日曜の夜は更けていく。秋も終わって冬が来る。

 

 

 

映画『言の葉の庭』

雨が降る休日が多くなっている。

 

 

昔は雨なんて大嫌いで、なんで21世紀にもなって傘なんていう足が濡れる、貧弱な道具で手をふさがれないといけないのかと、鬱々とした気分になることが多かった。

 

 

でも最近は雨の日の美しさに気付くようになってきた。きっかけはひとつの映像作品。新海誠監督の『言の葉の庭』だ。


『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer - YouTube

 

あまりにも美しい雨の描写。陰鬱な感じではなく、植物の緑や差し込む陽の光のやわらかさが、本当にきれいに描かれている。そしてユキノ先生の作画もただただ美しい。すらりと伸びた足、寝転んだ時に強調される胸の膨らみ、ショートヘアだから見える首筋…フェティッシュでエロティックな、それでいて上品な佇まい。

 

絵だけでなく、音の使い方も見事だと思う。音楽だけでなく、雨の音、鳥の鳴き声といった環境音自体も美しいけれど、セリフを音楽や環境音で消している部分があったり、場面によって最適な音の使い方がされていると感じた。最高級にアーティスティックな作品だと思う。雨の日は頭の中でこの映像を思い出すし、「Rain」を聴きたくなってくる。

 

 

仕事や、恋愛や、いろいろなことを「ひとりで歩けない」ようになってしまった女性教師が、15歳の少年に出会い、少しずつ歩けるようになっていくまでの物語。現代社会で傷を負って暮らす人々の孤独を描き、まっすぐな夢に勇気づけられるという設定は、ともすれば陳腐なものになりかねないけれど、必要最低限の言葉のみで構成されているので大味にならない。「行間」がしっかりある、文学的な作品だと感じた。このインタビューとかを読んでみても、本当に丁寧に考えて作られた作品なんだなと感じる。

 

 

 

頑張りたいけれど、どうしても怖くて、頑張れない。現実から目を背けて逃げてしまう。人との関わりを避けてしまう。大人であるべきだとわかってはいても、賢くなれない。そんな場面は、誰しもあるのではないだろうか。少なくとも、そういった寂しさ、悲しさ、切なさに共感する人が多いからこそ、新海誠作品がこれほどまで幅広い支持を集めているのだと思う。僕は男性だけれど、この作品ではユキノ先生が抱える心の闇と光に、強く惹かれた。

 

 

彼の人物描写は、時としてセンチメンタルすぎる。それに苛立つこともあるんだけれど、やっぱり見直してみると、「人間、誰でもそんなもんだよな」と感じる。もちろん、自分だって。だから、妙に心をえぐられる。

 

 

 

「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから。」

 

 

 

 

インタビュー内で新海誠監督が語るように、この作品は彼が好んで描いてきた「セカイ系」というよりはむしろ、「きみとぼく」の間に「社会」を差し込んだものになっている。「秒速5センチメートル」の主人公は、恋心を抱いた女性を忘れることができないという、たったひとつの理由のために、不可解なほどに傷ついていったが、「言の葉の庭」のユキノ先生は理由があって、社会的な関係性の中で傷ついている。そこが、たぶん僕がこれほどまでに作品に惹かれた理由なのではないかと思う。ボーイ・ミーツ・ガール的なストーリーに胸を躍らせ、身の回りのことよりも世界の終わりとかそういうことに想いを巡らせるみたいな、そういう感覚を抱くには、老けすぎてしまっているのかもしれない。今は何を考えていても、仕事や生活のことが頭をよぎるし、今後すぐにそういった状況が変わるとも思えない。

 

 

 

雨の日の平日、新宿御苑に行ってみよう。

 

Chasing the Sun

Oasisというバンドは僕を支えてくれた、かけがえのない存在だ。

 

僕が彼らの曲を初めて聞いたのは、2002年。ちょうど"Heathen Chemistry"がリリースされるくらいのタイミングだ。テレビのCM曲を集めた安っぽいコンピレーションアルバムの中に、当時車のCMに使われていた、Oasisの"Whatever"が収録されていた。当時の僕は「こんなに美しい曲が世の中にあるのか!」と感動したものだった。

 

そして数日後、僕はまたCD屋に向かっていた。悩んだ末に買ったのは、"Definitely Maybe"。やっぱりファーストアルバムから聴くのが正しいだろう、と、今よりとんでもなく若かった僕はまっとうな判断をした。そういうちょっとしたところで頑固なこだわりを見せるところとかは、10年以上経った今も変わってないんだよな、と思い返してしみじみ思ったりもする。

 

 

たしかその日は両親と出かけていて、待ちきれなくなった僕はカーステレオでCDを再生した。最初はよくわからなかった。J-POPほどわかりやすいコーラスがあるわけでもないし、お世辞にもテクニカルとは言い難い演奏だ。よくわからないし、両親も「なにこれ?」って心底興味なさそうな反応だった。

 

 

数時間後、自分の部屋に戻ってもう一度CDプレーヤーの再生ボタンを押してみた。高らかに鳴り響くギター。独特な、酒とタバコで少しだけ潰れたボーカル(でもこの頃のリアムの声はそんなに潰れていないし高温も出ている)。そして"Tonight I'm a rock'n'roll star"という、身も蓋もない叫び。そうだ、これだ。こういうのを探していたんだ。

 

 

今でも変わらぬお気に入りは"Digsy's Dinner"と"Married with Children"だ。趣向の違う二曲だけれど、共通しているのは気怠い演奏とボーカルと、極上のメロディーだ。それも、アメリカンな底抜けの明るさでもなく、日本の演歌的な旋律でもなく、しっかりとグレート・ブリテンの伝統が滲み出た、曇り空によく合うメロディー。

 

 

それからずっとOasisを聴いてきた。サッカーの大事な試合がある朝には"Whatever"を聴くようにしていたし、"Don't Look Back in Anger"や"Wonderwall"は何度も何度も聴いた。

 

"Definitely Maybe"がリリースされてから今年で20年。ファーストアルバムが出たときの衝撃を、「クール・ブリタニア」と称されたイギリス文化の熱狂とそれに対する憧憬の念を、そして「ブリット・ポップ」の興奮を、僕はリアルタイムで知っているわけではない。でも僕を支えてくれたバンドの、20年という月日は、最高級のリスペクトを送るべき対象なのだ。

 

 

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若者が溢れかえる週末のラフォーレ原宿の6階に、ほんの少しだけ高い年齢層の人たちが集まっていた。バンドTシャツを着た人。ひとりで来ている人。マンチェスター・シティのマフラーを巻いた人。それぞれがそれぞれの想いを抱えて、展覧会に集まった。素晴らしい写真が並んではいたものの、大半の人にとって目当ては"Definitely Maybe"のジャケット写真のセットで撮影ができるスペースだ、僕らも、無理やり5人を集めて、1時間以上並んで写真をとった。リアム。ノエル。ボーンヘッド。ギグジー。マッキャロル。最高のアルバムを作った、クソ野郎どもに想いを馳せ、土曜の午後の時間は過ぎていった。

 

 

 

 

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そのあと女の子たちと合流して、おいしい夕食を食べながらおいしいお酒を飲んで、夜の街を飲み歩いて、そしたらその中の二人が付き合っていることを知って、そんな大学生みたいなことをいつまでも続けている僕たちに、なんだか少しいいなって思ったりした。食べて、飲んで、いい気分で酔っぱらって、帰り道、ふと振り返ると2組のカップルが並んで歩いたりしていて、手なんかもつないだりしていて、純粋にそういうの、すごくいいと思った。

 

 

もしかしたら、今この瞬間って、人生で一番美しいときなんじゃないかって。一番楽しくて、甘美な時期って、今なんじゃないかって。たまに友達と飲んだりすると、そんなことを思う。今この瞬間を、8ミリカメラとかで切り取ったら、本当に美しいフィルムになるんじゃないかって思った。だって僕らは昔と違って、おいしいものをたくさん食べることができる。みんな大人になって、いろいろな場所を知っていて、みんなを連れていくことができる。でも、それでいて、秋の気持ちの良い夜に、青山の街を、まるで世界に自分たちしかいないみたいに、歩き回ることができる。まだまだ、僕らの世界は僕らだけでできていて、僕らは馬鹿みたいにそんなことを信じることができる。少なくとも、週末の間は、ね。

 

 

願わくば、この瞬間が、いつまでも続きますように。

 

 

それは無理なんだ、そうじゃないんだ、ってみんなわかっている。週末は終わるし、年齢を重ねるにつれて生活は変わっていく。でも、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、陽の光を追いかけていたいと思う。

 

 

 

ちょっとだけ寝不足で、昔みたいにちょっと寝ればお酒が抜けているなんてこともなく体はどんよりしていて、でも今日もやることがたくさんあって、会いたかった人に会えるってわかっている。そんな日曜の朝は美しい。

 

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sunday morning 6:06 a.m.