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日記など。

Grow Up

夏の間にはぼんやりとして捉えきれなかった風景が、秋のパリっとした空気の中で見えてくることがある。

 

晴れた日の空の色は季節を問わず平等であるはずなのに、今年の夏はただひたすら本来美しいはずの空の青さを呪い、うだるような暑さから逃れようとしても逃れられず、なんだか悶々と体内に熱を溜め込んで不機嫌な日々を送ってしまったような気がしている。

 

 

寒い朝は布団から出るのが億劫だけれども、凛と澄んだ朝の空気を吸うのはとても好きだったりする。普段日常的には煙草は吸わないけど、青く冷えた朝の空気の中で煙草を吸ったらさぞ美味しいだろうな、と想像したりして、でもその一方でやっぱり人間健康が一番、吸うのは煙ではなくこの空気でいいのだ、とも思ったり。とにかく人生やそれを取り巻く色々な可能性に思いを馳せて心が踊ったりする。

 

 

数年前の冬、ヨーロッパの様々なところを旅していた時期があった。パリ、ロンドン、ベルリン、ローマ、フィレンツェアムステルダムバルセロナ。ヨーロッパの朝は、ピンと張り詰めた冷気の中にどこか暖かさを感じさせて、朝を迎える喜びとか、活力のようなもので満ち溢れていた気がする。そういえばいつぞや行ったニューヨークの朝も、キリリと冷えた空気の中に「これから何かが始まる」という緊張感やらワクワクが詰まったような感覚があったっけ。

 

 

東京の朝は、そんなにポジティブなものではない。僕は今や旅人ではなく労働者で、見える景色や感じ取れる空気の種類は、当時とはまったく違ったものになってしまっているかもしれない。それでも、満員電車で一様に暗い顔をした人々の群れを見ると、希望ではなく絶望、挑戦ではなく諦め、みたいな空気を感じる。

 

世の中には何かを耐え忍びながら暮らしている人がたくさんいて、僕だってそういった疲れた大人の一人になりつつあって、かといって病んでるかといったらそうでもなく、なんとなく日々を過ごす中で徐々に神経をすり減らし、すり減った先に何が残るのかも見当がつかず、ぼんやりとした希望とぼんやりとした絶望の両方を抱きかかえながら、いつのまにやら時間がとんでもなく早く過ぎていってしまっていることを実感している。

 

いつぞやパリの地下鉄の駅でそうしたように、流れる人々の行列を片目に、コーヒーを一杯飲むような、ほんのちょっとした余裕さえ持てればいいのにな、とよく思う。でも、疲れて家に帰ってそんなことを妄想しているうちにどんどん夜は更けていき、結局それなりにギリギリの時間に目覚め、せわしなく駅へ向かい、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗る。気づいたら、会社だ。

 

 

なにはともあれ、そんな憂鬱さも、秋になるとほんの少しだけ和らいでいく。東京の、排気ガスで汚れた空気だって、よく冷えていれば十分に美味いのだ。明日も気持ちのよい青空になればいいなと思いながら夜を過ごそう。朝は、誰しもに平等にやってくる。でも、同じ朝は二度と来ない。その景色や、その空気は、大切に感じ取るべきなのだ。